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14.泣いてるきみには花のお茶(前)


 死人防衛線を突っ切って、やってきました開かずの間。


 ちなみに、道中ナキに撥ねとばされたゾンビたちは、さすがゾンビと言うべきなのか何事もなかったように復活して、また背後の廊下をうろついている。扉の前まで到達したわたしたちに襲いかかってくる様子はない。わたしはとっても助かるけれど、それでいいのか防衛線。じつはたんなる見かけ倒し説が浮上するぞ。


 奥で巨大蛙が籠城しているらしい、焦茶色のその扉には、鈍い金の取っ手がついていた。


「鍵がかかっているのです」


 わたしをここまで運んでくれたナキが、眉尻を下げてそう言う。まあ、そうだろうね。単身ここまで辿り着けたナキにも開けられなかったわけだし。

 ……ナキならその気になれば、力づくで蝶番ごと開けられるような気もするけど。


 扉の向こうはしんとしている。でも、ナキが説得していたというから、声は届くんだろう。

 そう思って、扉に口を寄せた。


「お邪魔してます。食堂〈アメイロタマネギ〉の律也です」


 声は、返ってこなかった。だけどたしかに、扉の向こうで、なにかが動いた気配があった。

 だからわたしは、言葉を続けた。


「料理、作ってきたよ。前にあなたが好きだって言ってくれたピンクシチュー。今日はそれから、ふわふわ卵と燻製肉とルコラ草のキッシュに、彩り野菜のホットサラダもあるよ」


 ごそり。扉の向こうで、身じろぐ気配がして、


「――太るからだめ」


 くぐもった声が返ってきた。


 年頃の女子か。思わずそんな感想が浮かんだけど、口に出す気にはならなかった。

 意識して丁寧に、違う言葉を舌にのせた。


「そっか。じゃあ、一口ずつにしよう?」


 ナキがびっくりしたような目でこっちを見ている。接客のときにすらしないようなやわらかい口調で悪かったね。……いや、ナキは悪いなんて思ってないか。わたしが勝手に、らしくなく甘ったるいことを言った自分にぞわぞわしているだけだ。


 いやでも、でもね。


 太るからだめ、と応えたその声が、あまりに苦渋に満ちていたというか、しかもどこか切なげでもあったというか。仮にも料理で日銭を得ている者として、放っておけないものを感じたのだ。


「食べなくても、見るだけでもいいよ」


 そう続けたとき、ごとり、と、ひどく重い音が扉の向こうで鳴った。たぶん、錠が外されたのだと、思った。

 そして、細く、本当に、紙一枚入るかどうかというくらいに細く――扉が、開かれた。


「……リツヤ?」


 扉越しでない声は、やっぱりアルトとテノールのちょうど中間くらいの高さの、耳触りのいい音だった。だけど、淡々としていた前回とは違い、今は、どこか不安定に揺れていた。


「そうだよ、この間はどうも。……こんなときでも蛙の姿でいるんだ? ――ユリエスさま」


 細すぎる扉の隙間から、部屋の主の姿は見えない。だけど声が聞こえてくる高さからして、そうなんだろうと思った。


 悄然とした声が返ってきた。


「……こんなときだからこそ蛙の姿でいるの」

「そう」


 なんで「だからこそ」なのかはわからなかったけど、聞かなかった。今重要なのはそこじゃない。


「料理、部屋の中に入れてもいい?」


 聞くと、ちょっとの間があった。そして、ちょうどわたしの身幅くらいまで、扉がさらに開かれた。


 ……ところで今さらだけど、ユリエスは巨大蛙の姿でどうやって扉を開けているんだろうか。舌?


 開いた扉の向こうには、ヒキガエルを巨大化したらまさにこんな感じだろうという、前回最初に会ったときと同じ姿をしたユリエスがいた。

 これがあのおっそろしい、精緻な水彩画から抜け出てきたような美人になるなんて、知っててもちょっと想像できない。

 ただ唯一、どちらの姿にも共通するエメラルドのような翠の目が、今はなんだか揺れているように見えた。


 ……ナキにしてもそうだけど、わたしはこういう目に弱いんだよなあ……。


 少しだけ膝をかがめて、蛙バージョンなユリエスと視線を合わせる。両手のお盆を軽く揺らしてみせた。


「一応ここに置くね。それでもって、お茶淹れてくる。それだったら太るのも気にしなくていいでしょ」


 冷める前にこの料理を食べさせようとは、今はもう考えていない。

 温かい飲み物には、喉につかえているものをほっとほどいて、気持ちを落ち着けてくれる効果がある。

 なんとなく、今一番ユリエスに必要なのは、それだと思った。


「というわけで、悪いんだけどナキ」


 と、言いつつ振り返ったわたしの背後では、ナキがぼろぼろと落涙していた。


「主さまが、主さまが扉を開いてくださった……!」

「早い早い早い」


 まだ四日ぶりの食べ物を口にしたわけでも、水分を摂取したわけでもないのに感動は早すぎる。……まあ、それだけこの開かずの扉に気を揉んでいたんだろう。


 あとでナキにもなにか料理を作らせてもらおうかと考えつつ、とりあえず、わたしはナキに手を伸ばした。


「あらためて、悪いんだけどナキ、また死人防衛線を越えさせてくれる? お茶淹れてきたいの」

「もちろんでございます!」




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