↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

54/68

54.こんなにも優しいお姉さんが、悪い人なわけないですよね!

「司祭のソレイヤ様に、心の迷いを聞かせていただきたいのですが」


セシリアが両手を握りしめて緊張気味に尋ねると、丸眼鏡をかけた青年は少し困ったように眉を下げた。


「申し訳ありません。ソレイヤは今、スラムで子どもたちにパンを配っておりますので、戻るまで少々お待ちいただけますか?」


「スラム……ですか?」


セシリアは目を瞬かせた。


「えっ!こんなに派手で大きな王都にも、スラム街があるんですか?」


彼女の記憶にある王都の大通りは、色とりどりの果物や高価な布地が並び、貴族や裕福な商人が優雅に歩く、まさに帝国の中心として一番繁栄している場所だった。


青年は手に持っていた燭台を置き、苦い微笑みを浮かべた。


「そうですね。王都は確かにお金持ちが集まる場所ですが、だからといって、全員が裕福に生きられるわけではありません。光が強ければ、その分影も濃くなるものです」


青年は祭壇の前の長椅子を布で拭きながら、静かに語り始めた。


「冒険者になって魔獣と戦って命を落とし、残された家族が家を失うこともあります。工事や荷運びの力仕事で大怪我をして、二度と働けなくなる人もいます。あるいは、責任感のない親に見捨てられた孤児たち……。この街には、今日食べるパンすら手に入らない可哀想な人たちがたくさんいるんですよ」


青年の静かな声が、薄暗い礼拝堂に響く。


「そんな……」


セシリアは胸を押さえ、言葉を失った。


憧れていた輝かしい王都の裏側に、自分の故郷であるペトラ村よりも過酷な生活を送る人々がいる。


その事実は、彼女にとって非常に強い衝撃だった。


「お嬢様が想像できないのも当然のことです」


青年はセシリアの純白のブラウスと淡い青の美しいスカートを見て、納得したように頷く。


「世界には、自分の目で直接確かめないと信じられないことが、たくさんあるものですから」


セシリアは少し俯き、頭の中で考えを巡らせた。


昨日、ギルバートとの決闘で勝った際、賭け金として三枚の金貨を手に入れた。


銀貨に換算すれば三百枚にもなる大金だ。


王都の相場は分からないが、村での生活を考えれば、少しでも力になれるかもしれない。


「あの……!」


セシリアは顔を上げ、青年に向かってまっすぐに言った。


「私にも、寄付させてください!えっと、二百銀貨でもいいですか?」


金貨二枚分。


これでも手元には一枚残る。


青年は大きく目を見開き、眼鏡の奥で驚愕の色を隠せなかった。


「に、二百銀貨!?それは……」


彼はセシリアの洗練された服装と、その美貌を改めてじっくりと見た。


「失礼ですが、お嬢様はどちらかの貴族のご令嬢でしょうか?それほどの大金を、この小さな教会に寄付していただけるなんて……」


「違います!」


セシリアは顔を真っ赤にして両手で全力で否定した。


「私は貴族なんかじゃありません。ただの……帝国騎士団の雑役です!」


「ざ、雑役……?」


青年の顔に、さらなる戸惑いが浮かぶ。


「帝国騎士団といえば、帝国の精鋭騎士たちが集まる厳格な組織です。雑役でさえ、並の実力では受からないと聞いていますが……。それに、雑役の方がそれほどの大金を持っていらっしゃるなんて」


セシリアは苦笑いをして、頭を掻いた。


「いろいろありまして……」


(本当にいろいろあったわよね。あんたが自らオッズを設定して中級騎士から巻き上げたんだから)


星乃の声が脳内でからかうように響く。


セシリアは慌てて星乃の声を無視し、青年に向き直った。


「とにかく、寄付は受け取ってください!子どもたちのおいしいパン代にしてください!」


「……分かりました。ソレイヤも、子どもたちもきっと喜びます。ありがとうございます」


青年は深く頭を下げた後、自己紹介を始めた。


「私の名前はノアと言います。この教会で下級の治癒術師として、ソレイヤの手伝いをしております」


ノアは穏やかな笑顔を見せた。


治癒術師。


戦う力は持たないが、傷ついた人々を癒す専門のクラスだ。


このスラムに近い教会にはぴったりの役割だろう。


「ノア様ですね。私はセシリアと申します」


セシリアも丁寧にお辞儀を返した。


「セシリアさん。……ところで、一つお聞きしてもよろしいでしょうか」


ノアは少し不思議そうな顔で小首を傾げた。


「どうして、ソレイヤに面会を?これほど多額の寄付をしてくださるということは、ソレイヤの活動をご存知だったのですか?」


その質問に、セシリアは言葉に詰まった。


『邪神様!どう答えればいいですか!?』


(昔の知り合いだと言いなさい。久しぶりに顔を見に来たってね)


星乃の指示に従い、セシリアは愛想笑いを浮かべた。


「ええと……実は、私、ソレイヤ様の昔の知り合いなんです。王都に来たので、久しぶりに顔を見に来ました」


その言葉を聞いた瞬間。


ノアの表情が、はっきりと強張った。


「……昔の、お知り合い?」


「は、はい。何かおかしいですか?」


ノアは眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、ひどく困惑した様子で答えた。


「いえ……少し驚きました。ソレイヤは、五年ほど前に王都の郊外で倒れていたところを、前の司祭様が助けたのです。その時、彼女は記憶喪失で、自分の名前も、過去の記憶が一切なかったのですよ」


「記憶喪失……?」


セシリアも驚いて目を丸くする。


ノアが何かを言いかけようとした、ちょうどその時。


ギィィ、と背後の古い木製の扉が開く音がした。


「ただいま戻りました、ノア」


柔らかく、どこまでも透き通るような女性の声が礼拝堂に響く。


セシリアが振り返ると、そこに一人の女性が立っていた。


白い簡素な修道服に身を包み、腰まで届く美しい青色の長髪を緩やかに束ねている。


年齢はセシリアより少し上、二十代半ばほどに見えた。


透き通るような白い肌と、深い海の色をした青い瞳。


派手な装飾など一切ないのに、その場にいるだけで心が安らぐような、圧倒的な母性と慈愛のオーラを放っていた。


まさに優しいお姉さん系の、美しい女性だった。


彼女の手には、パンを入れるための空になった大きな籠が提げられている。


「お帰りなさい、ソレイヤ。ちょうど良かった。実はお客様がいらっしゃっています」


ノアが歩み寄り、セシリアを手で示した。


「帝国騎士団で働いておられるセシリアさんです。なんでも、ソレイヤの昔のお知り合いだとか……」


ノアの言葉に、ソレイヤは少しだけ目を丸くし、それからふわりと微笑んだ。


その笑顔は、見る者の警戒心を完全に解きほぐすほど温かいものだった。


「まあ、そうなのですか」


ソレイヤはゆっくりとセシリアの前に歩み寄り、申し訳なさそうに眉を下げた。


「ごめんなさい、セシリアさん。ノアから聞いたかもしれませんが、私は昔のことはあまり覚えておりませんの。でも……あなたが訪ねてきてくれて、とても嬉しいです」


ソレイヤは籠を近くの椅子に置き、優しくセシリアの肩に触れた。


「立ち話もなんですから、とりあえず少しお茶にしましょうか。教会の裏に小さな部屋がありますのよ」


「あ、ありがとうございます……」


『邪神様!この方は、邪神メティシアの手下ですか?』


星乃が王都にいる邪神メティシアに会うと言っていたから、てっきり恐ろしい魔族の幹部か何かだと思っていた。


(いや)


星乃は短い言葉で否定する。


『よかった……』


セシリアは、そのあまりにも綺麗で優しい態度に、完全に毒気を抜かれていた。


極級の魔人を従える恐ろしい勢力。


そう聞いていたから、どれほど恐ろしい人物が出てくるのかと身構えていたのだ。


ノアがお茶の準備をするために奥へ向かい、ソレイヤもその後を追って準備を手伝いに行く。


『そうですよね。こんなにも綺麗で優しいお姉さんが、悪い人なわけないですよね』


礼拝堂に一人残されたセシリアは、大きく息を吐き出して胸を撫で下ろした。


(彼女は、邪神メティシア本人だけど?)


その言葉が、セシリアの脳髄に叩きつけられた。


数秒の完全な沈黙。


セシリアは、奥の部屋でお茶の準備をしている白衣の美しい女性を、信じられないという目で見つめた。


あの優しそうな人が。


あの慈愛に満ちた微笑みを持つ修道女が。


空を黒く染め、極級の勇者さえも一蹴した魔人たちを統べる、絶望の象徴。


『うええええええええええ!?』


セシリアの魂が、心の奥底で限界の悲鳴を上げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。