51.邪神様!そんなこと言っている場合じゃないです!助けてください!
倒れ伏したギルバートを冷ややかな目で見下ろしていた騎士たちの間に、静かな熱気が戻り始めた。
先ほどまでの嘲笑や侮蔑は消え失せ、代わりに驚愕と戸惑いが入り混じったざわめきが練兵場を覆う。
「嘘だろ……あのギルバートが、下級の小娘に負けたのか?」
「武器を投げて視界を奪い、最後に弩弓で急所を突くなんて……実戦の殺し合いの動きだぞ」
そして、そのざわめきの中から、悲痛な叫び声が上がり始める。
「俺の、俺の銀貨百枚が!」
「くそっ!あの野郎、大口叩いておいてなんて無様な負け方だ!」
「俺なんて一ヶ月分の給金を全部注ぎ込んだんだぞ!」
騎士が、震える手で地面に積まれた銀貨の山をかき集める。
オッズは、ギルバートが一、セシリアが三だった。
下馬評を完全に覆したセシリアの勝利により、莫大な賭け金が彼女の元へと転がり込むことになる。
騎士が重い革袋を抱え、気まずそうにセシリアの前に歩み出た。
「あー……その、お嬢さん。いや、セシリア。お前の取り分だ。銀貨を金貨に両替しておいたから、受け取ってくれ」
差し出された革袋を受け取ると、ずしりとした重みが両手に伝わる。
中を覗き込むと、鈍く輝く金貨が三枚も入っていた。
「金貨、三枚……!」
セシリアは目を丸くした。
決闘で勝ったことよりも、この大金の重さに彼女の手が微かに震える。
(ふん。まあ、ちょっとした小遣い稼ぎにはなったわね)
脳内で、星乃の退屈そうな声が響いた。
(本当ならもっと巻き上げてやりたかったけれど、雑魚相手の余興ならこんなものね)
重い鋼の鎧を鳴らし、審判を務めたクライヴがセシリアの前に立った。
彼は腕を組み、真剣な眼差しでセシリアを見下ろす。
「見事な立ち回りだった、セシリア」
クライヴの低い声が響く。
そこには、二ヶ月前に彼女を叩きのめした時の冷徹さはなく、明確な敬意が込められていた。
「盾で視界を塞ぎ、短剣で足下を狙う。さらに接近戦の不利を悟るや否や、武器を投擲して相手の意表を突く。そして最後は、服の下に隠し持っていた弩弓での不意打ち。剣士や槍士の常識に縛られない、戦況に応じた完璧な戦術の切り替えだった俺も長く騎士団にいるが、あんな型破りな戦術を見たのは初めてだ」
クライヴは自身の顎を撫でながら、戦いの流れを思い返すように目を細めた。
「剣士の動きに固執せず、状況に応じて最適な武器を選択し、相手の思考の隙を突く。それが、武器マスターの真の戦い方というわけか。ただの器用貧乏だと思っていた俺の認識が甘かった」
「クライヴ様……」
セシリアは革袋を抱えたまま、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。でも、私一人の力ではありません。この二ヶ月間、毎晩厳しい特訓を積んできたおかげです」
(毎晩の地獄の特訓ね。あんた、よく生き残ったわよ)
星乃が鼻を鳴らす。
「特訓、か」
クライヴは感心したように頷く。
「ハルト様が不在の間、腐らずに己を鍛え上げていたのだな。お前のその強固な意志には、本当に恐れ入る」
クライヴはそう言い残し、気絶したままのギルバートを雑役たちに運ばせるため、指示を出しに向かった。
クライヴと入れ替わるように、今度は青いマントを羽織ったクロエが歩み寄ってきた。
彼女の銀色の短髪が風に揺れ、凛々しい顔立ちはどこか複雑な表情を浮かべている。
セシリアは少し身構えたが、クロエはセシリアの数歩前で立ち止まり、真っ直ぐに彼女の目を見た。
「セシリア」
「は、はい!クロエ様!」
クロエは小さく息を吐き出し、静かに頭を下げた。
「私が間違っていた。お前をただの寄生虫だと決めつけ、心無い言葉を浴びせたことを謝罪する」
その真っ直ぐな謝罪に、セシリアは目を瞬かせる。
「いいえ!クロエ様が怒るのも当然です。実際に、推薦枠を悪用する人たちがいたのですから」
セシリアが慌てて否定するが、クロエは首を横に振った。
「私は自分の目で見たものしか信じない。お前の戦いは、決してコネや他人の力に頼ったものではなかった。自身の肉体と知恵で、中級の双剣士を打ち破った。その事実は、帝国騎士団に所属する者として正当に評価する」
「だが、これで完全に認めたわけではないぞ」
クロエの目に、強い闘志の光が宿る。
「お前が真に中級の力を持つのか、それともギルバートが不甲斐なかっただけなのか。それを見極める必要がある」
「クロエ様……?」
「次回の昇格試験。そこで、私と直接対決をしてもらう。私もお前と同じ、実力で道を切り開いてきた身だ。手加減は一切しない」
クロエの力強い宣戦布告。
それは、セシリアを侮蔑の対象から、明確な競争相手へと引き上げた証だった。
セシリアは一瞬言葉に詰まった後、力強く頷いた。
「はい!私も、全力でクロエ様に挑みます!」
クロエは短く鼻を鳴らし、少しだけ口角を上げ、背を向けて歩き去っていった。
二人との会話が終わると、セシリアを取り囲む空気が一変した。
先ほどまで遠巻きに見ていた若手の騎士たちが、我先にとセシリアの元へ駆け寄ってきたのだ。
「あ、あの!セシリアさん!」
茶色い髪の若手騎士が、顔を真っ赤にしながら声をかけてくる。
「俺、第二部隊のトッドと言います!さっきの戦い、本当に凄かったです!もしよかったら、今度一緒に食事でも……」
「ずるいぞトッド!俺は第三部隊のマルクだ!剣の手入れで困ったことがあったら、いつでも俺に言ってくれ!重い荷物も俺が運ぶから!」
「君のその服、すごく似合っているよ!休みの日に、王都の街を案内させてくれないか!」
男たちが次々と名乗りを上げ、セシリアの気を引こうと必死にアピールを始める。
彼らの目は、実力を示した戦士への敬意よりも、絶世の美貌を持つ少女への純粋な欲望で濁っていた。
決闘に勝ったことで、セシリアに手を出せば怪我をするという共通認識が生まれたと同時に、彼女を自分のものにしたいという独占欲が騎士たちの間で一気に膨れ上がったのだ。
「えっ、あ、あの……!」
突然の囲み取材のような状況に、セシリアは完全にパニックに陥り、数歩後ずさる。
(あっはははは!男なんて本当に単純な生き物ね!)
脳内で、星乃の愉快そうな笑い声が響き渡った。
(強くて美しい女には、すぐに群がってくるわ。少し痛い目を見せれば、すぐに手のひらを返して尻尾を振る。これが権力と力の効果よ!)
星乃の嘲笑は止まらない。
「セシリアちゃん!俺の銀貨五枚、返さなくていいから、その代わりに俺の部屋へ……」
「ちょっと待て、俺が先だ!」
迫り来る男たちの顔が、欲望で歪んで見える。
(これで彼らはあんたの完全な奴隷予備軍よ。荷物運びも掃除も、全部こいつらにやらせなさい!存分にこき使ってやるのよ!)
『邪神様!そんなこと言っている場合じゃないです!助けてください!』




