48.セシリア!今すぐ雑役の仕事に戻れ!
即席の賭場と化した帝国騎士団戦闘部の練兵場は、異常な熱気に包まれていた。
「ほらよ!俺はギルバートに銀貨100枚だ!」
「俺も乗るぜ!こんな確実な小遣い稼ぎ、逃す手はない!」
「お嬢様にも同情で銀貨5枚くらい入れてやるか!夜の世話係になる前祝いだ!」
訓練の合間を縫って集まった騎士たちが、次々と銀貨を差し出していく。
下級ランクの雑役少女と、中級ランクの双剣士の決闘。
さらにセシリア自身が言い出した三対一のオッズが、退屈していた男たちの射幸心を完全に煽り立てていた。
ギルバートは自分の勝利を疑わず、集まる銀貨の山を見て下品な笑いをこらえきれない様子だ。
セシリアは冷や汗を流しながらも、震える足を必死に踏ん張ってその場に立っていた。
そんな狂乱の最中。
「なぜこんなに騒がしいんだ!今日の練習はどうした!」
鋭く、よく通る声が熱気を切り裂いた。
青いマントを翻し、銀色の短髪を揺らして歩いてきたのは、中級騎士のクロエ・アシュフォードだった。
彼女は眉間に深いシワを寄せ、サボって騒いでいる騎士たちを睨みつける。
「ク、クロエ先輩……」
「やべえ、真面目なのが来ちまった」
騎士たちが慌てて道を空ける。
クロエは広場の中心に立つセシリアと、だらしなく笑うギルバート、そして審判役として立つクライヴの姿を視界に収めた。
近くにいた若手の騎士の胸ぐらを掴み、事の顛末を問いただす。
数秒後、詳細を聞き終えたクロエの顔色が、怒りで蒼白に変わった。
「何をしているんだ、セシリア!」
クロエは足音を荒げ、セシリアの目の前まで歩み寄った。
その声には、信じられないものを見るような驚愕と、激しい怒りが入り混じっていた。
「クロエ様……」
セシリアは小さく身をすくめたが、すぐに顔を上げる。
「私は、クロエ様との約束を果たしているだけです。実力で証明してみせると言いましたから」
「約束だと!?」
クロエは怒鳴った。
確かに1か月前、雑用区画で言い残した言葉はある。
行動で見定めてやると言った。
だが、それは日々の鍛錬や昇格試験で真面目に結果を出せという意味であって、いきなり中級の正騎士に無謀な決闘を挑めなどと指示した覚えはない。
「身の程知らずにもほどがあるぞ!魔法もまともに使えない下級の雑役が、中級の双剣士に勝てるわけがない!」
クロエはセシリアの肩を強く掴み、揺さぶった。
「しかも、負けた時の条件を聞いたぞ!お前、自分が何を賭け金にしたのか分かっているのか!今すぐこのくだらない試合を取り消せ!」
クロエは心底、セシリアの愚かさに呆れていた。
コネ入団の寄生虫だと軽蔑してはいるが、だからといって無知な村娘が下劣な男の毒牙にかかるのを黙って見過ごせるほど、クロエの正義感は腐っていない。
「セシリア!今すぐ雑役の仕事に戻れ!ここに来るな!」
クロエがセシリアを引っ張って連れ出そうとした、その時。
「おいおい、クロエ先輩。何をしているんですか」
ギルバートが二本の木剣を肩に担ぎ、ニヤニヤと近づいてきた。
「決闘は当人同士の合意で成立しているんですよ。いくら先輩でも、邪魔をする権利はないはずですが」
クロエはギルバートを鋭く睨みつけた。
「貴様……!セシリアに何を言った!無知な小娘をそそのかして、自分の欲望を満たそうとしたな!」
クロエの剣幕に、ギルバートは大げさに両手を挙げて肩をすくめる。
「勘弁してくださいよ。俺はこの姉ちゃんの名前すら知らなかったんですけど?勝手にやってきて、勝手に決闘を申し込んできたのはそっちですぜ」
ギルバートは薄ら笑いを浮かべたまま、クロエを頭からつま先まで嘗め回すように見る。
「それに、俺たちの邪魔をしないでくれませんか?自分がハルト様の推薦状をもらった一人目だからって、偉い格好をしているのは鼻につくんですよ。あんただって、コネでいい思いをしている仲間でしょうが」
「貴様……!」
クロエが腰の長剣の柄に手をかける。
しかし、彼女の視界の端に、周囲を取り囲む何十人もの騎士たちの熱狂的な視線が入った。
すでに賭けの金も大きく動いており、誰もがこの異常な見世物の開始を待ち望んでいる。
審判役には実直なクライヴが立っており、騎士団の規律の範囲内でこの私闘が成立してしまっていた。
もはや、クロエの一存で中止できる段階を完全に超えていた。
クロエは剣の柄から手を離し、ギリッと奥歯を噛み締める。
「セシリア……!バカか、貴様は!」
クロエは悔しそうに声を絞り出し、セシリアを睨みつけた。
セシリアはクロエの怒気を受け止めながらも、決して目を逸らさなかった。
「申し訳ありません、クロエ様。ご心配をおかけして」
セシリアは深く、何度も頭を下げる。
「でも、私の決意は変わりません。ここで逃げたら、私は本当にただの寄生虫になってしまいます。ハルト様の顔に泥を塗ったまま、生きるわけにはいきません」
その言葉の裏には、一ヶ月間耐え抜いた夜の地獄の特訓と、星乃への絶対的な信頼があった。
下級ランクの村娘が持つには、あまりにも強固すぎる意志。
クロエは、その澄んだ瞳の奥に宿る覚悟を見て、複雑な感情に襲われた。
「……そこまで言うなら、勝手にしろ」
クロエはセシリアの目を真っ直ぐに見据える。
「お前の覚悟は見届けた。万が一お前が負けて、あいつが下劣な条件を強要しようとした時は……何があっても、私が責任を背負って止めてやる。だから、死なない程度に戦え」
その言葉に、セシリアは目を見開いた後、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます、クロエ様!」
セシリアは再びクロエに頭を下げると、決闘の場である広場の中央へと戻っていった。
クロエは腕を組み、険しい顔でその背中を見守る。
そして、審判の位置に立つクライヴが、右手を高く挙げた。
「双方が所定の位置についたな。これより、帝国騎士団の規律に基づき、両者の決闘を認める」
クライヴのよく通る声が練兵場に響く。
ギルバートは二本の木剣を軽く振り、セシリアを小馬鹿にするように構えた。
一方のセシリアも、自分の武器を構える。
その瞬間。
セシリアと一番近い距離で向き合っていたクライヴだけが、彼女の異変に気がついた。
セシリアが左手に構えたのは、木製の小さな丸盾。
そして右手に逆手で握っているのは、短い刃を持つ木製の短剣だった。
クライヴの目が細まる。
二ヶ月前、公爵の査定試合で自分が相手をした時。
彼女は明らかに「剣士」の動きを模倣し、真っ直ぐな木剣を握って戦っていたはずだ。
だが今の構えは、剣士のそれではない。
騎士な戦型だ。
(盾と短剣……?あれ?セシリアは、剣士ではなかったっけ?)




