43.無理です!許してください!
朝靄が晴れぬうちから、帝国騎士団本部の片隅にある雑用区画は騒がしかった。
重い木箱の運搬、無数に積まれた武器の研磨、そして軍馬の世話。
力仕事が絶え間なく続く環境だ。
「おい、あそこの新入り……」
「ああ。どこの貴族の令嬢かと思ったぞ」
汗水流して働く下級騎士や先輩の雑役たちが、手を止めて一人の少女に目を奪われていた。
簡素な作業着である麻の服を着ているにもかかわらず、セシリアの存在感は際立っていた。
リリアに選んでもらった清楚な服は普段着としてしまってあるが、洗練された髪のまとめ方や、元々持っていた美貌は隠しきれない。
桜色の長髪を布でまとめ、真剣な表情で鉄の剣を磨く姿は、粗野な男たちばかりの練兵場において一輪の花だった。
「セシリア、その木箱は俺が運んでおくよ」
「あ、いいえ!私の仕事ですから、自分でやります!」
親切を装って近づく男たちの申し出を、セシリアは愛想よく、しかしきっぱりと断った。
彼女は自分の身の丈ほどの高さがある木箱の前に立ち、小さく息を吸い込む。
「大地の恵みよ、私の体に活力を……」
下級の身体強化魔法が発動し、細い腕に少しだけ力が漲る。
「やぁっ!」
気合と共に木箱を持ち上げ、よろよろと歩き出した。
雑役の仕事は純粋な体力勝負だ。
武器庫から修練場への荷物の運搬、訓練で使われた鎧の泥落とし、馬房の掃除。
下級の魔力しか持たないセシリアにとって、それはすぐに息が上がり、筋肉が悲鳴を上げる過酷な労働だった。
顔を真っ赤にして汗を流し、何度か転びそうになりながらも、セシリアは絶対に弱音を吐かなかった。
公爵の査定で敗北した悔しさと、自身の無力さを痛感した彼女にとって、ここは這い上がるための最初の足場だったからだ。
雑役の仕事の合間、短い休憩時間や仕事終わりには、リリアがセシリアの元を訪れた。
「いい調子ね、セシリア。身体強化魔法の持続時間が少し長くなっているわ」
リリアは練兵場の隅で、杖を構えながら指導を行う。
「ありがとうございます、リリアさん。でも、まだまだです」
「次は武器強化魔法の基礎よ。魔力を外部の物体に固定する感覚を掴んでちょうだい」
リリアの丁寧な教えのもと、セシリアは支給された鉄の短剣に魔力を流し込む練習を繰り返した。
少しずつだが、魔力の制御が上達していくのを感じる。
ハルトも遠くからその様子を見守り、セシリアの努力に静かな敬意を払っていた。
(ふん。まあ、基礎の基礎としては悪くないけれど)
セシリアの精神の奥底で、星乃が退屈そうに呟く。
(このままじゃ、中級騎士に追いつくのに何年かかるかわからないわ。あんたを早く強くするための方法、ちょっと思いついたのよね)
星乃の声には、不吉な響きが混じっていた。
『え……?方法って、何ですか?』
セシリアが心の中で尋ねるが、星乃はそれ以上答えず、ただ含み笑いを残して沈黙した。
夜が更け、騎士団本部が深い静寂に包まれる頃。
セシリアは割り当てられた狭い個室のベッドに倒れ込んだ。
全身の筋肉が痛み、指先を動かす気力さえ残っていない。
『邪神様……今日のお仕事、終わりました……』
セシリアは意識の奥へ語りかける。
(お疲れ様。よく耐えたわね。同僚の騎士どもが色目を使ってきてウザかったけれど、あんたはよく無視して真面目に働いていたわ)
星乃の声が響く。
(それで、あんたを早く強くするための方法。今日、荷運びをしているあんたを見ていて、ちょっと思いついたのよ)
『私を、強くする方法……ですか?』
セシリアは疲労で霞む頭で問い返す。
(そう。極級の勇者やあの公爵どもを見返したいなら、今の下級の肉体のままじゃ話にならない。ステータスの底上げが急務よ)
星乃の声が、妙に楽しげな熱を帯びている。
『ハルト様やリリアさんが教えてくれる訓練では、足りないんですか?』
(あんな生温いやり方じゃ、何年かかるか分からないわ。私が直接、あんたの体を鍛え上げてあげる)
星乃の言葉に、セシリアの心に嫌な予感がよぎった。
(体をよこしなさい)
セシリアの意識が後退し、体の主導権が星乃へと移り変わる。
星乃はベッドから跳ね起き、首をポキポキと鳴らした。
「さて。ここからが本当の地獄よ」
星乃は部屋の隅にある、昼間に持ち帰った重い鉄のインゴットを見据えた。
通常の下級ランクの筋力では、両手でようやく持ち上がるかどうかの重さだ。
プレイヤーの「重量軽減」の権能が自動で発動され、自身にのしかかる重力の概念がねじ曲がる。
星乃は鉄のインゴットを片手で軽々と掴み上げた。
そして、そのインゴットを持ったまま、常軌を逸した速度でスクワットと跳躍を繰り返し始めた。
高速での屈伸運動。
部屋の端から端への瞬間的なダッシュ。
権能によって動きは規格外に速いが、肉体にかかる負荷そのものが消えるわけではない。
激しい運動が、セシリアの筋肉と骨に絶大なダメージを与えていく。
『じゃ、邪神様!?体が、ちぎれちゃいます!』
意識の奥底で、セシリアが悲鳴を上げる。
「うるさいわね。筋肉は破壊して治すことで強くなるのよ」
星乃は動きを止めない。
それどころか、身体強化魔法と治療魔法を同時に発動させた。
「無詠唱。強化。治癒」
短い呟きと共に、星乃の全身を魔力の光が覆う。
激しい負荷で筋肉の繊維が千切れると同時に、治癒魔法で強制的に回復させ、さらに身体強化魔法で限界以上の力を引き出し続ける。
破壊と再生の無限ループ。
体内の魔力が異常な速度で消費され、全身の神経が焼き切れるような激痛がセシリアの魂を苛む。
『痛い痛い痛い!無理です!許してください!』
セシリアが泣き叫ぶ。
「だめだ!」
星乃は冷酷に却下し、さらに速度を上げた。
十五分経過。
魔力と体力の完全な枯渇により、セシリアの意識が暗転する寸前まで追い込まれる。
限界を超えた瞬間、星乃はピタリと動きを止め、残った最後の魔力をすべて治癒魔法へ回した。
光が肉体を修復し、意識不明の寸前で引き戻される。
「はい、一セット終了。一時間休んだら、次を始めるわよ」
『うあああああ……』
セシリアは心の中で泣き崩れた。
その日から、セシリアの夜は完全な地獄へと変わった。
昼間は過酷な雑役の仕事をこなし、夜になれば一時間ごとに星乃が体を乗っ取り、体の強制操作して限界破壊トレーニングを行う。
重量軽減の権能で物理法則を無視した負荷をかけ、無詠唱の治癒魔法と強化魔法で肉体を無理やり維持する。
疲れ切り、痛みで意識を失う寸前まで追い込まれるたび、治癒魔法で強制的に回復させられ、また同じ地獄が始まるのだ。
そんな非人道的で過酷な夜の特訓が、一ヶ月もの間続いた。
日中は雑役として働き、リリアから魔法の制御を学ぶ。
夜は星乃によって限界を破壊され、治癒で回復するサイクルを延々と繰り返す。
常人ならば三日で精神が崩壊するほどの苦痛。
だが、セシリアは気弱で臆病でありながら、その中にある強固な意志でなんとか耐え抜いていた。
一ヶ月後。
早朝の練兵場。
セシリアは、倉庫で一番大きな武器が入った鉄の箱を、一人で軽々と持ち上げた。
身体強化魔法を使うまでもなく、純粋な筋力だけでも以前の倍以上だ。
さらに、体内を巡る魔力回路も、破壊と再生を繰り返したことで太く強靭になり、魔力量も飛躍的に増大した。
夜の地獄の代償として、セシリアの全能力は、彼女自身も気づかないほど恐ろしいスピードで引き上げられた。
さらに、星乃の操作可能時間も少しずつ増えている。
(この感じだと、全ステータスもかなり上がったが、どれくらい上がったかまったくわらからないのも困るね)
(それに、この感じだと、彼女が強くなったら、いずれ私は彼女をクールタイムなしで操作することも、可能になるというのか…)




