40.私は、邪神様に選ばれた理由を自分で証明したい!
王都の帝国騎士団本部、巨大な石畳が敷き詰められた練兵場。
周囲を無数の騎士たちが冷ややかな目で見下ろす中、中央には二つの影が対峙していた。
一人は、下級ランクの魔力しか持たない小柄な少女、セシリア。
もう一人は、分厚い鋼の鎧に身を包んだ実力主義の中級騎士、クライヴ・オルソン。
手には訓練用の重い木剣が握られている。
「小娘。ハルト様は色々と弁明していたが、俺は言い訳など聞く耳を持たん。騎士団は結果がすべてだ」
クライヴは低い声で告げ、木剣を腰の高さに構えたまま動かない。
「俺から先手は打たん。最初の十本はお前に譲る。その十本以内で俺を倒せるなら、お前の勝ちと認めよう。だが、十本以上も厚かましく俺の前に立っているのなら、その時は本気で斬りかかる」
その言葉には、圧倒的な実力差に対する絶対の自信が満ちていた。
極級枠を名乗る偽者への苛立ちを隠そうともしない。
セシリアは短く息を吸い込み、深く頭を下げた。
「ありがとうございます、クライヴ様。よろしくお願いします!」
顔を上げたセシリアは、すぐさま自身の魔力を練り上げようとした。
戦うからには、全力を出さなければならない。
「大地の恵みよ、私の体に……」
セシリアが身体強化魔法の詠唱を口にした、その瞬間。
ガンッ!
鈍い衝撃音が練兵場に響いた。
クライヴは木剣を振り上げるどころか、鞘に収めた真剣の鞘の先で、セシリアの腹部を軽く、しかし正確に突き飛ばしていた。
「きゃっ!?」
セシリアは息を詰まらせ、数歩後ずさる。
練りかけていた魔力が霧散し、詠唱が強制的に中断された。
「これで一本だ。戦場にお前を待ってくれる親切な敵などいない。詠唱の時間など与えられないと思え」
クライヴは冷徹に言い放ち、再び元の位置に戻った。
腹部の痛みを堪えながら、セシリアは木剣を両手で構え直した。
『邪神様……。教えていただいた動き、やってみます』
心の中で呟き、セシリアは脳内に深く刻み込まれた光景を呼び起こす。
暗緑の森で魔獣の攻撃を躱した時の体捌き。
ペトラ村で巨大な毒牙蜘蛛の連撃を最小限の動きで回避した、あの無駄のないステップ。
セシリアは地面を強く蹴り、クライヴの懐へ向かって奇襲を仕掛けた。
ただ真っ直ぐに突っ込むのではなく、星乃がやっていたように姿勢を低くし、相手の視線から外れるような軌道を描く。
(悪くない動きね。でも、圧倒的に速度が足りていないわ)
意識の奥で、星乃が冷静に分析する。
セシリアの木剣が、下からクライヴの脇腹を狙って跳ね上がる。
カキィン!
乾いた音が鳴った。
クライヴは表情一つ変えず、木剣の柄の部分だけでセシリアの全力の突きを弾き落としていた。
「二本。動きの基本は悪くないが、速度も重さも中途半端だ」
弾き返された反動で、セシリアは体勢を大きく崩した。
そこへクライヴの木剣の平が、セシリアの肩を容赦なく叩き据える。
「三本。隙が大きすぎる」
「くっ……!」
セシリアは歯を食いしばり、痛む肩を庇いながら再び距離を詰める。
今度は星乃が魔人の球体を跳ね返した時のように、相手の力を利用するタイミングを狙って打ち込んだ。
しかし、中級ランクの基礎能力は、下級のセシリアとは比較にならない。
クライヴはセシリアの攻撃の軌道を完全に読み切り、力任せに受けるのではなく、軽く払って体勢を崩し続けた。
「四本。五本。六本……」
冷酷なカウントが続く。
セシリアは何度も倒れ、土に塗れながらも木剣を振るい続けたが、クライヴには傷一つ、息の乱れ一つ生じなかった。
剣を合わせるたびに、手首が痺れ、腕の感覚が失われていく。
「……九本。十本。ここまでだ」
クライヴの無慈悲な宣告が落ちる。
セシリアは膝をつき、荒い息を繰り返していた。
「約束通り、ここからは俺から行く」
クライヴは木剣を両手で握り直し、明確な闘気を放った。
「今から、本気で叩く。それでもよいか」
その問いかけは、降伏を促す最後の警告だった。
周囲の騎士たちも、これ以上の戦闘は無意味だと冷ややかな視線を送っている。
ハルトが練兵場の端で拳を握りしめ、今にも飛び出そうとしているのが見えた。
それでも、セシリアはよろけながら立ち上がった。
「はい!お願いします!」
恐怖で声が震えている。
だが、その瞳だけは強い光を放ったまま、決してクライヴから逸れなかった。
(才能はなくても、折れない心を見せる。そう言ったわね、あんた)
星乃は静かに、その戦いを見守る。
「いいだろう。死なない程度に手加減してやる」
クライヴが動いた。
中級騎士の踏み込みは、セシリアの眼には一瞬で距離が消滅したかのように映った。
上段からの強烈な振り下ろし。
セシリアは必死に木剣を横にして防ごうとした。
だが、その重さはこれまでの比ではなかった。
ガァンッ!
セシリアの木剣がへし折れ、その勢いのままクライヴの木剣がセシリアの額を掠めた。
「あっ……!」
鋭い痛みが走り、視界が真っ赤に染まる。
割れた額から流れた血が、セシリアの左目を塞いだ。
追撃の横薙ぎが胴体を捉え、セシリアの体は宙に浮いた。
石畳に激しく打ち付けられ、全身の空気が吐き出される。
痛みを認識する間もなく、セシリアの意識は暗闇へと沈み込んだ。
完全に動かなくなった少女を見下ろし、クライヴは木剣を下ろした。
「勝負ありだ。ハルト様、悪いが彼女は極級の器ではない。治療班を呼んでやってくれ」
クライヴは短く告げ、ハルトに向かって一礼した。
そして、そのまま背を向けて闘技場から立ち去ろうとする。
「……まだです!」
静まり返った練兵場に、かすれた声が響いた。
クライヴが驚いて振り返る。
石畳の上に倒れていたセシリアが、血まみれの顔を上げ、片手で地面を支えていた。
「光よ、癒しを……!」
セシリアは自身の傷口に下級の治癒魔法をかけながら、よろよろと立ち上がる。
折れた木剣の短い柄の部分を、まだしっかりと握りしめていた。
(あんた……本気なの?)
星乃が驚きの声を上げる。
すでに体力の限界は超えているはずだ。
「まだ、戦えます……!」
その異常なまでの執念に、実力主義のクライヴも動揺を隠せなかった。
中級騎士の重い一撃を受け、完全に意識を断たれたはずの小娘が、なぜ立ち上がれるのか。
「お前……」
クライヴが僅かに言葉を失い、構えに迷いが生じた、その一瞬。
セシリアは最後の力を振り絞り、低く、這うような姿勢で前へ飛び出した。
額から流れる血を気にすることもなく、ただ相手の足元だけを視界に捉える。
クライヴが反射的に木剣を振り下ろそうとしたが、先ほどの執念を前に、無意識のうちに攻撃の重さを緩めてしまった。
セシリアはその迷いの隙を突き、折れた木剣をクライヴの右足の脛へ向けて全力で叩き込んだ。
パァンッ!
浅い一撃ではあったが、確かに中級騎士の足に攻撃が入った。
クライヴの動きが完全に止まる。
セシリアは荒い呼吸を繰り返しながら、血に染まった顔で小さく微笑んだ。
「私にも……できました」
その言葉を最後に、セシリアの体の力が完全に抜け落ちる。
今度こそ本当に意識を失い、石畳の上へと崩れ落ちた。
練兵場は深い静寂に包まれていた。
誰一人として、倒れた少女を嘲笑う者はいなかった。
中級騎士クライヴは、自身の足元と倒れた少女を交互に見つめ、ゆっくりと木剣を下げた。




