34.くそがあああああ!!!テメエ!!!
「陣形を崩すな!」
山賊の頭の怒号が、ペトラ村の広場に響き渡った。
三メートルを超える毒牙蜘蛛が、緑色の毒液を撒き散らしながら突進してくる。
頭は前衛に立つ数人の手下の背後から、自身の長剣に下級の魔力を練り込んだ。
刃が淡い光を帯び、鋭利な切断力を生み出す。
「おおおおおっ!」
山賊の頭は、迫り来る巨大な毒牙蜘蛛を前に、長く伸びた剣の刃へ魔力を一気に注ぎ込んだ。
刀身が淡い光を帯び、鋭利な刃がさらに研ぎ澄まされる。
下級剣士として培ってきた魔力操作のすべてを、この一撃に込める。
「オレが前衛で足止めをする!弓兵はあの化け物の目を狙え!火矢を持て!」
頭が叫び、地面を蹴った。
ズン、ズンと地響きを立てて突進してくる毒牙蜘蛛の巨体。
その八本の脚のうち、先頭の一本が頭上から真っ直ぐに振り下ろされた。
体を右へ捻り、致命の一撃を紙一重で躱す。
地面に深々と突き刺さった太い脚へ向け、魔力を帯びた長剣を真横から全力で薙ぎ払った。
硬質な音が高らかに響く。
「もらった!」
確信した瞬間、手元に強烈な違和感が走った。
剣の刃は蜘蛛の脚の硬い外殻を切り裂き、内側の肉に届いた。
だが、そこから先へ進まない。
分厚い筋肉と粘り気のある体液が刃に絡みつき、剣が完全に脚の内部へ食い込んでしまったのだ。
「なっ……抜けねえ!」
両手で柄を握り、全体重をかけて剣を引き抜こうとする。
蜘蛛が激痛に身を捩り、巨大な体躯が揺れた。
「おい!オレを支援しろ!弓兵、早く撃て!」
頭が必死に叫ぶ。
後方から数本の矢が飛んでくるが、手下たちの腕は恐怖で震え上がり、狙いは定まっていなかった。
蜘蛛の胴体に当たった矢も、勢いが弱すぎて硬い外殻に弾き返され、カラカラと地面に落ちるだけだ。
「役立たずどもめ!」
足を蜘蛛の関節に押し当て、全身の体重をかけて無理やり長剣を引き抜いた。
ブチッ、と緑色の体液が飛び散る。
剣を抜いた反動で頭が後ろへよろけたその隙を狙い、蜘蛛の左前脚が丸太のような威力で横薙ぎに襲いかかった。
「くそっ!」
咄嗟に長剣を盾にして身構える。
ドガンッ!
「ぐあああっ!」
体が大きく後方へ弾き飛ばされ、土煙を上げて地面を転がる。
蜘蛛は追撃の手を緩めない。
巨大な口が開かれ、緑色の毒液が頭のいた場所へ向けて吐き出された。
頭は反射的に横へ転がり、毒液の直撃を免れる。
地面に落ちた毒液がジュウと音を立て、石や草を一瞬でどろどろに溶かしていく。
その光景に、頭の心臓が早鐘を打った。
「あんなものを食らったら、骨まで溶ける……!」
息をつく暇もなく、蜘蛛の脚が三本同時に突き出される。
必死に剣を振り回し、防戦一方で脚を弾き続ける。
手元の感覚が次第に麻痺し、魔力の供給も限界に近づいていた。
戦力の判断を誤った。
自身は下級剣士として、対人戦や小規模な魔獣との戦闘経験は豊富だった。
だが、これほど巨大で狂暴な魔獣と正面からぶつかるのは初めてだった。
まともな陣形と、訓練された兵士がいれば、下級の魔法剣を活かして勝てたかもしれない。
だが、周りにいるのはただの荒くれ者の集まりだ。
この圧倒的な暴力を前に、手下たちは完全に戦意を喪失し、震えるだけのカカシに成り下がっている。
(このままじゃ、オレが死ぬ……!)
村の宝どころではない。
山賊団の崩壊も知ったことか。
自分の命が一番惜しい。
痺れる腕で握っていた長剣を、地面へ無造作に放り投げた。
「あ、頭!?」
頭を信じて、少し後ろで弓を構えていた手下の一人が、信じられないという顔で声を上げた。
「わりぃな。オレはここで降りる」
頭は手下たちに背を向け、村の奥へ向かって全速力で走り出した。
「えっ?あ、待ってくれ!頭!」
頭を信じて陣形を維持していた手下が、パニックを起こして盾を下ろした瞬間。
背後から迫った毒牙蜘蛛の巨大な牙が、その手下の体を容易く噛み砕いた。
「うああああ!」
短い悲鳴が上がり、男の半身が空中に放り出される。
それを見た他の手下たちも、重くて邪魔な武器を次々と放り捨て、悲鳴を上げながら四方八方へ逃げ出した。
村人たちも広場の隅で固まっていたが、逃げ惑う山賊たちに巻き込まれ、さらなるパニックが巻き起こる。
「ハァッ、ハァッ!」
頭は息を切らしながら走る。
背後からは絶えず悲鳴と咀嚼音が聞こえてくるが、振り返りはしない。
(手下も、あの村人どもも、せいぜいあの化け物の餌になって時間を稼いでくれ!)
心の中で生き延びる道だけを考える。
このまま村を抜け、別の都市へ身を隠せば、いくらでもやり直せる。
そう確信し、足を速めようとしたその瞬間。
「ぐああ!?」
頭の右足のふくらはぎに、鋭い痛みが走った。
バランスを崩し、無様な格好で地面に倒れ込む。
「なっ……なんだ!?」
激痛に耐えながら足元を見ると、一本の短い矢が肉を貫通し、地面に縫い付けるように突き刺さっていた。
毒牙蜘蛛が放ったものではない。
これは、人間が使う弩弓の矢だ。
頭は歯を食いしばり、矢が飛んできた方向、蜘蛛が暴れ狂う広場の反対側へと顔を向けた。
そこには、驚くべき光景があった。
蜘蛛の巨体のすぐ傍の陰から、ゆっくりと歩み出てくる一人の少女。
散策でもするような余裕の足取りで歩いている。
その手には、先ほど頭の足を撃ち抜いた弩弓がしっかりと握られていた。
「く、くそがあああああ!!!テメエ!!!」
頭は激痛と怒りで顔を真っ赤に染め、叫んだ。
「いかれたか!??オレらを殺し、村人を巻き込んで、自分もろとも魔獣の餌になるつもりか!」
その怒号に対し、少女……星乃は、ただ傲慢な瞳で見下ろしているだけだった。




