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33.下級剣士のオレを……なめるな!

セシリアの足元が大きくぐらつく。


木の根に足を取られ、転びそうになる体を、身体強化魔法の残滓が強引に支え直した。


荒い息が喉を焼き、全身の筋肉が限界を訴えている。


だが、立ち止まることは絶対にできない。


背後から、大地の底が割れるような重低音が連続して響いてくるのだ。


ズン。


ズン。


ズン。


3メートルを超える巨大な毒牙蜘蛛が、木々を次々とへし折りながら猛烈な勢いで迫ってくる。


「な、なんだあいつは!?」


八本の太い脚が地面に突き刺さるたび、大量の土砂が空高く跳ね上がる。


その巨体が動くこと自体が、小さな地震を巻き起こしていた。


原因はセシリアの放った一本の矢だ。


星乃の非情な指示に従い、震える手で弩弓を引き、蜘蛛の赤い眼球の一つを正確に射抜いてしまったのだ。


激痛に狂乱した毒牙蜘蛛は、セシリアを絶対に逃がさないと決めたらしい。


カチカチカチカチッ。


巨大な牙が擦れ合う音が、すぐ真後ろから聞こえる。


『ひぃっ……!』


セシリアは悲鳴を飲み込み、痛む足を必死に前に出した。


森の出口から差し込む光が、少しずつ大きくなっていく。


セシリアが森の境界を飛び出し、街道へ躍り出た直後だった。


背後の木々が爆発したように吹き飛び、巨大な毒牙蜘蛛が姿を現した。


「ば、化け物……!」


森の出口で松明を持って見張っていた山賊の一人が、その威容を前に完全に固まった。


手にした武器を構えることすらできず、足が小刻みに震え、その場に縫い付けられている。


セシリアはその山賊の横を駆け抜け、そのまま全速力で街道の先にある大きな岩の裏へと飛び込んだ。


ドンッ!


直後、山賊のいた場所で鈍い音が鳴る。


毒牙蜘蛛の鋭く太い脚が、山賊の体をあっさりと貫いていた。


男の悲鳴は上がらない。


蜘蛛は男を咥え上げ、その口へ放り込む。


岩の陰に身を潜めたセシリアは、両手で口を強く押さえ、心の中で絶叫した。


『きゃあああああ……!』


目を閉じても、耳を塞いでも、肉が潰れる不快な音が鼓膜を打つ。


(落ち着きなさい、セシリア。あんたが怯える必要はないわ。あれはただの仕掛けた罠よ)


星乃の冷たく落ち着いた声が、セシリアの意識に響く。


(このまま身を隠していれば、あの蜘蛛の意識はすぐに別の獲物へ移る。あんたはここで息を殺して、体力を回復させることだけ考えなさい)


セシリアは小さく頷き、震える膝を抱え込んで岩肌に張り付いた。


見張りを一瞬で始末した毒牙蜘蛛は、カチカチと牙を鳴らしながら頭を振った。


複数の赤い眼球が、次に捉えたもの。


それは、街道のすぐ先、ペトラ村の広場に集まる数十人の山賊たちだった。


ボタッ。


緑色の毒液が牙の隙間から滴り落ちる。


それが地面に触れた瞬間、ジュウと嫌な音を立てて土や草を一瞬で溶かした。


「な、なんだあれは……!」


村を制圧し、宝を探し出そうと息巻いていた山賊の手下たちの顔から、一気に血の気が引く。


手から剣や松明が滑り落ち、何人かは腰を抜かして地面にへたり込んだ。


「で、でけえ!森の奥から魔獣が出たぞ!」


「逃げろ!食われる!」


手下たちがパニックを起こし、蜘蛛の子を散らすように広場から逃げ出そうとする。


「待て!逃げるな!」


山賊の頭が、逃げようとした手下の一人を蹴り飛ばした。


だが、頭自身の手も微かに震えている。


長剣を握る掌には冷たい汗が滲んでいた。


頭は、森の暗がりと巨大な蜘蛛を交互に睨みつける。


「くそ女!どこに隠してやがった!」


頭の怒号が響く。


「自分が逃げ切れないと分かって、魔獣を引き寄せて村人ごとオレたちを殺す気か!あの女は、絶対狂っている!」


自分の命すら顧みず、凶暴な魔獣を囮にする戦術。


下級ランクの剣士として幾多の死線を潜り抜けてきた頭でさえ、そんな常軌を逸した行動に出る者は見たことがない。


あの下級の暗殺者は、命の価値を全く違う次元で測っているに違いない。


頭の心に、深い戦慄が走った。


村人たちは広場の隅で互いに抱き合い、ただ震えている。


蜘蛛はまだ距離があるが、その巨体からすれば一息で広場を蹂躙できる距離だ。


「頭!逃げましょう!あんな化け物、俺たちじゃどうにもならねえ!」


手下の一人が泣き叫ぶ。


頭も本音を言えば、今すぐこの場から全力で逃げ出したい。


だが、逃げればどうなる。


足の遅い手下たちは次々と食い殺され、山賊団は確実に崩壊する。


生き残ったとしても、部下を失った頭が他の勢力に狙われれば、二度と今の地位には戻れない。


辺境でのし上がるという野心は完全に潰える。


「オレの……オレの積み上げてきたものを、こんなところで失ってたまるか!」


頭は奥歯を強く噛み締め、震えを無理やりねじ伏せた。


「逃げる奴はオレが斬る!弓兵、構えろ!前衛は盾を合わせろ!」


頭の鋭い号令に、手下たちがビクッと体を震わせ、半狂乱になりながらも武器を拾い上げる。


「下、下級剣士のオレを……なめるな!」


頭は長剣に魔力を流し込む。


剣の刃が淡い光を帯び、鋭さが増していく。


「オレが前衛で足止めをする!弓兵はあの化け物の目を狙え!火矢を持て!」


頭が先陣を切って前に出ると、毒牙蜘蛛もその動きに反応し、巨大な八本の脚を動かして広場へ突進を開始した。


ズシン、ズシンと大地が揺れる。


山賊たちと巨大魔獣の、生き残りを賭けた同士討ちが始まった。


セシリアは岩の陰からその光景を少しだけ覗き見ながら、星乃の言葉を反芻していた。


(時間……稼ぎ……)

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