31.きゃああああああああああああああああ!
木々が擦れ合う音が響く中、森の外から太い声が届いた。
「おい、お前はどこの誰だ!」
山賊の頭の声だ。
燃え広がる煙の向こう側から、こちらを探るように叫んでいる。
「駆け出しの冒険者か?話そうよ!無駄な戦いはやめにしないか?」
声のトーンが少し下がり、奇妙に親しげな響きを帯びる。
「おれの山賊団に入ったら、さっきオレに手を出したことはチャラにしてやる。いや、それどころか2番目の座も譲ってやる。悪い話じゃないだろう?どうだ!」
頭は言葉を投げかけながら、こちらの反応を待っている。
セシリアの足が一瞬止まりかけた。
『邪神様、あの人、何か言っています……』
(返事するな)
星乃は意識の奥から鋭く制止した。
(声を出せば、位置を完全に特定されるわ。あいつは話し合いなんて微塵も考えていない。暗がりの中で的を絞るための罠よ)
星乃の冷静な指摘に、セシリアはハッと息を呑み、慌てて口を閉ざした。
(止まらないで。そのまま奥へずっと進むのよ)
星乃の指示に従い、セシリアは足音を殺しながら、さらに森の深くへと足を踏み入れていく。
周囲は昼間だというのに薄暗く、木々の枝が幾重にも重なって視界を遮っている。
背後からは、少しずつ焦げ臭い匂いが追いかけてきていた。
しばらく進むと、空気の質が変わった。
じめじめとした土の匂いに混じり、鉄を舐めた時と同じような生臭い匂いが漂い始めた。
血の匂いだ。
『うっ……何か、変な匂いがします』
セシリアが顔をしかめ、歩みを遅くする。
(このあたりね)
星乃の声が一段と低くなった。
獲物を前にした捕食者のような冷たい熱がこもっている。
(セシリア。今すぐ身体強化魔法をかけ直しなさい。そして、残っている治療薬をもう一つ飲んで、体の調子を万全にしておくのよ)
『わ、わかりました』
セシリアは震える手で腰の収納の指輪に触れ、ルミナ都市のギルドで貰った青い液体の小瓶を取り出した。
栓を抜き、一気に飲み干す。
清らかな魔力が全身を駆け巡り、毒の影響で重くなっていた手足の感覚が完全にクリアになる。
「大地の恵みよ、私の体に活力を……」
小さな声で詠唱を唱え、身体強化魔法を重ね掛けする。
足腰に力が満ち、心臓の鼓動が力強くリズムを刻む。
(よし。弩弓を手に持ちなさい。矢を装填して、いつでも撃てるように)
星乃の指示に従い、セシリアは弩弓を構えた。
カシャッという小さな金属音が、静まり返った森にやけに大きく響く。
血の匂いがさらに強くなった先、木々が少し開けた空間があった。
地面には白い糸のようなものが不規則に張り巡らされている。
そして、その奥。
薄暗がりの中で、巨大な塊が動いた。
『あっ……』
セシリアの喉が引きつった。
黒と紫のまだら模様を持つ、巨大な節足動物。
八本の長い脚を持ち、体長は3メートルを優に超えている。
その口元からは緑色の毒液が滴り落ち、地面の草を溶かして嫌な音を立てていた。
複数の無機質な赤い眼球が、一斉にセシリアの方を向く。
『きゃああああああああああああああああ!』
セシリアは心の中で絶叫した。
恐怖で足が縫い付けられたように動かなくなり、全身の血の気が引いていく。
村の言い伝えで聞いたことはあったが、これほどおぞましく、巨大な化け物が実際に存在するとは思ってもみなかった。
あの太い脚に一振りされるだけで、自分の体など簡単に二つに折れてしまう。
一方、セシリアの絶叫を意識の奥で聞いていた星乃の反応は、全く正反対のものだった。
(なんだ、ただの毒牙蜘蛛じゃない)
星乃は呆れたように鼻を鳴らした。
ファンタジー系のゲーム序盤の森エリアで、必ずと言っていいほど配置されている定番の雑魚モンスター。
見た目こそ大きくおどろおどろしいが、攻撃パターンは単調で、動きも遅い。
(確かにちょっと大きくて怖く見えるけれど、あのギルドの隠しステージにいた下級の魔狼よりずっと弱いやつだわ。ステータス的にも、ただのデカい的ね)
星乃は冷静に敵の戦力を分析し、勝利を確信する。
『邪神様!逃げましょう!食べられちゃいます!』
セシリアがパニックに陥り、心の中で泣き叫ぶ。
(いいから黙れようるさい!)
星乃の強い一喝が、セシリアの意識を殴りつけた。
(あんな弱いやつにビビってどうするの!あんたが持っているその弩弓で、あの蜘蛛の目をしっかり狙って撃ちなさい!)
『よ、よわい!?!?』
セシリアの思考が完全に停止した。
目の前にいる3メートルの巨大な毒蜘蛛が、弱い。
その圧倒的な認識の差に、セシリアは混乱しながらも、震える腕で弩弓を構え直した。




