27.私、みんなを見捨てられません!
「私……私は……!」
セシリアは震える両手を強く握りしめ、街道の先をじっと見つめた。
頭の中に浮かぶのは、優しかった頃のトマスおじいちゃんの笑顔と、マーサおばあちゃんの温かいスープ。
そして、金貨に群がり、醜く争い合う村人たちの姿。
彼らは自分を裏切り、欲望のままに罵倒した。
見捨てられて当然の人間たちだ。
けれど。
『邪神様……。私、やっぱりあの村を見捨てられません』
セシリアの心からの声が、意識の奥底へ向けて響く。
(はあ。あんた、本気で言っているの?あんな金の亡者どもを助けに行くっていうの?)
星乃の呆れた声が返ってくる。
『はい。彼らがどんなに変わってしまっても……私にとっては、育った大切な村ですから』
セシリアは涙を拭い、決意を込めて告げた。
『どうか、力を貸してください。村の人たちを……山賊から守りたいんです』
星乃は深い溜息をついた。
(……甘いわね。でも、あんたがどうしてもって言うなら、手伝ってあげる。ただし、いくつか条件と確認事項があるわ)
『はい、何でも聞きます』
セシリアが頷くと、星乃の冷たく鋭い声が響いた。
(第一に、活動制限よ)
星乃は一つ目の指を立てるように意識を伝える。
(私が直接あんたの体を操作して戦える時間は、おそらく十分から十五分くらいが限界だと思うの。)
『十五分……そんなに短いんですか?』
セシリアは驚きを隠せない。
(それに、前回の勇者との特訓でわかったでしょ。体に直接ダメージを受けたり、投げられたりすると、私は強制的に交代させられる。場合によっては、戦闘の途中でカバーできなくなるから、その覚悟もしておいて)
『……はい。わかりました』
セシリアは生唾を飲み込みながらも、強い声で返事をした。
(第二に、これが一番重要よ)
星乃の声のトーンが、さらに低く冷酷なものへと変わる。
(山賊を、殺さずに退治することは難しいわ)
『殺さずに……?』
セシリアの心臓がドクンと跳ねた。
(そうよ。相手は魔獣じゃない。言葉を操り、嘘をつき、奇襲を仕掛けてくる人間よ。痛めつけて追い払っただけじゃ、絶対にまた戻ってくるわ)
星乃は過去のゲーム知識と、人間の本質についての冷徹な分析を交えて説明する。
(今回は数が多そうだし、隙を見せれば毒や罠を使ってくるかもしれない。ここで確実に命を絶っておかないと、後で寝首をかかれる可能性が高いの。だから……私は一切手加減しないわ。確実に、殺すわよ)
『人間を……殺す……』
セシリアの全身が小刻みに震え始める。
これまで魔獣や魔人との戦いはあったが、はっきりと人間の命を奪うことへの直面は初めてだ。
(あんたの体を使って、あんたの手で人間を殺すのよ。それに耐えられる?)
『……っ。……はい。村を守るためなら、私が罪を背負います』
セシリアはギュッと目を閉じ、決死の覚悟で答えた。
(第三に、最悪の事態についてよ)
星乃は間を置かずに続ける。
(もし相手が村人を人質に取った場合。あんたの目の前で、村の誰かに刃物を突きつけた場合ね)
『……!』
(それでも、私は手を止めないわ。人質ごと切り捨てるか、人質を見捨てて攻撃を続ける。村人一人を助けるために躊躇すれば、結果的に全員が死ぬことになるからね。その覚悟も、しっかり持っておきなさい)
星乃の非情な宣告に、セシリアは呼吸を忘れるほど動揺した。
自分が助けたいと思っている村人が、自分のせいで死ぬかもしれない。
『それは……』
(嫌なら、今すぐ引き返しなさい。ルミナ都市へ戻って、ギルドに泣きつけばいいわ。村が滅びた後で、お偉いさんたちが仇を討ってくれるでしょうよ)
星乃は突き放すように言う。
セシリアは唇を噛み締め、血が出るほど強く握りこぶしを作った。
『……行きます。邪神様、よろしくお願いします』
(……ふん。その覚悟、後で後悔しないことね)
星乃は冷笑を浮かべ、作戦の準備を指示した。
(私の操作時間を少しでも温存するために、村の入り口まではあんた自身の力で移動しなさい。ハルトとの特訓で覚えた身体強化魔法、使えるでしょ?)
『はい、やってみます』
セシリアは深く息を吸い込み、意識を集中させた。
「大地の恵みよ、私の体に活力を……」
小さく詠唱を唱えると、足の筋肉がじんわりと熱を帯び、力が湧いてくるのを感じた。
(よし。じゃあ、道から外れて、森の中を隠れながら進むのよ。絶対に音を立てないで)
星乃の指示に従い、セシリアは街道を離れ、木々や茂みに身を隠しながらペトラ村へと近づいていく。
息を殺し、足音を消し、慎重に距離を詰める。
やがて、木々の隙間から村の入り口が見えてきた。
『邪神様……見えました』
セシリアは大きな木の陰に身を隠し、入り口の様子を窺った。
そこには、汚れた革鎧や粗末な武器を持った荒くれ者たちが、ざっと数十人は群がっていた。
対する村の入り口側には、鍬や農具を構えたトマスや他の村人たちが、怯えた顔で立ちふさがっている。
(ふうん。ずいぶんと数が多いわね。でも、状況は悪くないわ)
星乃はセシリアの視界を通じて、冷静に戦況を分析する。
ペトラ村の入り口は、両側を切り立った岩肌と深い森に挟まれた、狭い一本道になっている。
(地形のおかげね。山賊の数は圧倒的だけど、道が狭いせいで村を一気に取り囲むことができないのよ。だから、入り口で睨み合って、言葉で脅して降伏を引き出そうとしているってわけ)
『じゃあ、今ならまだ間に合いますね!』
セシリアはホッと胸をなでおろした。
まだ血は流れていない。
村人たちは無事だ。
(ええ。でも、時間の問題よ。あいつらも痺れを切らして、そろそろ無理やり突破してくる頃合いね。……セシリア、準備はいい?)
星乃の冷たい声が、セシリアの心に緊張を走らせる。
『はい。いつでも、代わってください』
セシリアは腰の収納の指輪から、宿屋で売り払わずに手元に残しておいた、予備の弩弓と鉄の短剣を静かに引き抜いた。
(よし。じゃあ、行くわよ。ここからは、私の時間だわ)
パチン、と。
意識の奥底で、何かが切り替わる音がした。
セシリアの体の力が抜け、直後、全く別の強力な意志が肉体を支配する。
背筋が伸び、瞳に宿る色が、怯えから冷酷な傲慢さへと変わる。
星乃は短剣を軽く弄びながら、唇の端を吊り上げた。




