26.山賊団、襲来!
「ほら、セシリア。隠さなくてもいい。お前だって、小さい頃はうちの畑の野菜をもらって食べてただろう?」
「私だって、お前のおむつを替えてやったことがあるんだよ。恩返しするなら、公平にしなきゃ駄目だ」
昨日まで笑顔を見せていた村人たちが、欲に濁った目をぎらつかせながらセシリアに詰め寄る。
じり、じりと距離が縮まり、逃げ道を塞がれる。
「ち、違います……!これは、本当に私が冒険者として……」
セシリアは震える声で必死に説明するが、群衆の耳には全く届いていない。
美しい革の胸当て、手入れされた鉄の武器。
下級冒険者にふさわしいその姿が、逆に「裏の仕事」の証拠として彼らの猜疑心を煽っている。
(ああ、もう。本当に鬱陶しいわね、このゴミ共は)
セシリアの意識の奥で、星乃の我慢が限界に達しようとしていた。
星乃にとって、この村人たちは、ゲームの中で行く手を阻む敵NPCと何ら変わりない。
(ねえ、セシリア。少しだけ体を貸しなさい。こいつらの足の骨を二、三本折ってやれば、大人しく道を開けるわよ)
星乃は冷酷な殺意を練り上げ、強制的に肉体の操作権を奪おうと動き出した。
その瞬間。
『駄目です、邪神様!お願いですから、手を出さないで!』
セシリアの魂が、必死の抵抗で星乃の介入を弾き返した。
(はあ?あんた、こんな目に遭わされておいて、まだ庇うつもり!?)
星乃が苛立ちの声を上げる。
『それでも……この村の皆さんは、私の家族です!』
セシリアは涙で視界を滲ませながら、迫り来る村人たちに向かって声を張り上げた。
「待ってください!皆さん、お願いですから聞いてください!」
その悲痛な叫びに、村人たちの動きが一瞬だけ止まる。
「私……お父さんとお母さんが亡くなって、借金ばかり残って、本当に毎日が苦しかった。でも、トマスおじいちゃんがパンを分けてくれて、マーサおばあちゃんが薪を運んでくれて……皆さんが助けてくれたから、私、ここまで生きてこられました」
セシリアの頬を、大粒の涙が伝い落ちる。
「皆さんの恩は、絶対に忘れていません。でも、私にはもうこれしか……これしか残っていないんです!」
セシリアは腰の革袋を引きちぎるように外し、中身を地面にぶちまけた。
チャリン、チャリン、と硬い金属音が広場に響く。
土の上に転がったのは、昨日ハルトから受け取り、まだ手元に残っていた三枚の金貨だった。
朝の光を反射して輝く三枚の金貨。
村人たちの視線が、一斉に足元の黄金へと釘付けになる。
「これで……これで、全財産です。私の、最後の恩返しです。だから、もう許してください……!」
セシリアが泣き崩れながらそう言った瞬間、群衆の中にあった一部の良心が痛んだのか、数人の村人が気まずそうに視線を逸らし、要求を引っ込めて沈黙した。
だが、それはごく一部に過ぎない。
「金貨……三枚もあるじゃないか!」
一人の男が地面に飛びつき、金貨を握りしめた。
「待て!独り占めはずるいぞ!公平に分けるんだ!」
「私にも寄越せ!」
途端に、広場は金貨を巡る醜い争いの場へと変貌した。
取っ組み合いが始まり、怒号と罵声が飛び交う。
誰一人として、地面に崩れ落ちているセシリアのことを見てはいなかった。
セシリアはゆっくりと立ち上がり、争う村人たちに背を向けた。
涙を流しながら、彼女は静かに村の出口へと歩き出した。
帰るための資金をすべて失ったセシリアは、村から少し離れた街道沿いにある、みすぼらしい旅館へ足を運んだ。
「おじさん、これ……売れませんか?」
セシリアは収納の指輪から鉄の槍を取り出し、カウンターの主人に差し出す。
ハルトから前借りした金で買った、真新しい槍だ。
「冒険者の武器かい?うちは武器屋じゃないから、安くしか引き取れないよ。銀貨一枚だ」
「それで、構いません……」
セシリアは力なく頷き、銀貨を受け取った。
「一泊、十銅貨でお願いします」
セシリアは一番安い部屋を借り、薄暗い部屋のベッドにうずくまった。
ここで三日間を過ごせば、ギルドのリリアやハルトに「実家で楽しく過ごしてきた」と嘘をつける。
暗い部屋の中で、セシリアは膝を抱え、ただ静かに涙を流し続けた。
優しかった村の人々。
温かかった思い出。
それが金貨というたった一つの毒拠で、無惨に砕け散ってしまった。
『邪神様……。私、間違っていたんですね。邪神様の言う通りでした』
セシリアの心の中に、暗く重い絶望が澱のように沈殿していく。
星乃は何も答えなかった。
ただ、冷たい沈黙でその悲しみを受け止めているだけだ。
三日後。
頭の中が混乱し、心がすり減った状態のまま、セシリアはルミナ都市へ向かう馬車を探すために街道へ出た。
だが、今日に限って馬車乗り場には人が溢れ、騒然としている。
馬車の姿は一台もなかった。
「あの、馬車は出ないんですか?」
セシリアが近くにいた商人に尋ねる。
「ああ、今日は無理だよ。ここから先のペトラ村の道が、山賊に封鎖されているんだ」
商人は忌々しそうに舌打ちをした。
「ペトラ村が宝物を隠しているって噂が流れてな。村人たちが急に大金を持ち始めたって話だ。それを聞きつけた山賊の群れが、村を襲撃するために道を塞いで、今まさに村人と対峙しているらしい」
「山賊……!?」
セシリアの顔から血の気が引く。
自分が置いてきた金貨のせいで、村が山賊に目をつけられたのだ。
「誰も、ギルドや騎士団に救援を出していないんですか!?」
「出られないんだよ。山賊が街道を完全に見張っていて、誰も外へ出られない。戦いが終わって村が全滅するまで、都市の偉いさんたちには情報すら届かないだろうさ」
商人の言葉に、セシリアはその場に立ち尽くした。
ペトラ村には、戦える人間は一人もいない。
武器もなければ、魔法を使える者もいない。
ただの農民たちが山賊に立ち向かえば、結果は火を見るより明らかだ。
皆殺しにされる。
(山賊、ね)
(私から見れば、魔獣も人間のNPCも、敵は敵で変わらない。でも、村娘のセシリア。あんたに人間を殺すことができるのかしら?)
星乃の問いかけは鋭く、残酷だった。
(それに、山賊ということは、正面からの力押しよりも奇襲に向いているわ。群れでの連携や毒の罠などを使われたら、極級の魔人よりも厄介かもしれない)
(どうするつもり、セシリアよ)
星乃の声が、セシリアの魂の奥底へ深く沈み込む。
(金のために愛情を裏切り、あんたを追い出した金の亡者たちを、危険を冒して助けに行くの?それとも、このまま見捨てて、自業自得の仕置きとするかしら?)
セシリアの目の前に、極端な二つの選択肢が突きつけられた。
見捨てれば、村は滅びる。
助けに行けば、自分が人を殺すか、あるいは自分が殺されるかもしれない。
「私……私は……」
セシリアは震える両手を握りしめ、街道の先、ペトラ村が続く道をじっと見つめた。
頭の中に、優しかった頃のトマスの笑顔と、金を奪い合って醜く争う村人たちの顔が交差する。
セシリアの心臓が、激しく跳ねていた。




