25.恩返しに金よこせ!
村長の家から逃げるように駆け出したセシリアは、涙を袖で乱暴に拭いながら、村外れの小さな丘へ向かった。
そこには、少し欠けた石が並ぶ古びた墓地がある。
セシリアは自分の両親が眠る墓石の前にしゃがみ込み、生えかけた雑草を丁寧に抜き始めた。
「お父さん、お母さん。ただいま帰りました」
セシリアは持ってきた野花を墓前に供え、手を合わせる。
「私、下級冒険者になれたんですよ。借金も、全部返し終わりました。これで、もう心配いりません」
セシリアの言葉は震えていた。
村長ボルグの豹変ぶりが、まだ心に暗い影を落としている。
「村長さんは少し怒っていたけれど……でも、村の皆さんは温かく迎えてくれました。私、王都へ出発します。帝国騎士団でお世話になるんです。立派になって、また帰ってきますね」
両親への報告を終える頃には、涙も乾き、セシリアの心は少しだけ落ち着きを取り戻していた。
日が傾きかけた頃、セシリアはマーサの家へ招かれた。
「さあセシリア、遠慮せずに食べなさい。今日はご馳走だよ」
木のテーブルには、ふかした芋や、貴重な干し肉を入れた温かいスープが並べられている。
トマスや他の馴染みの村人たちも集まり、狭い部屋は賑やかな笑い声で満たされた。
「ギルドでの生活はどうだい?厳しい訓練ばかりじゃないのかい?」
トマスがスープをすすりながら尋ねる。
「はい。ハルト様というすごく強い方が、剣の振り方を教えてくれたんです。何度も転んで痛かったけれど、少しだけ魔法も使えるようになりました」
セシリアが手のひらに小さな光を灯して見せると、村人たちは感嘆の声を上げた。
「おおっ、本当に魔法だ!うちの村から魔法使いが出るなんて、大出世じゃないか」
皆が自分の成長を喜んでくれる。
セシリアはその温かい空気に浸りながら、心からの笑顔を見せた。
(やっぱり、この村の皆さんは家族です。村長さんがおかしくなっちゃっただけで、みんな優しいんです)
セシリアは心の中で星乃に語りかける。
星乃は無言のまま、セシリアの思考を聞き流していた。
晩餐が終わり、村人たちが家路につく中、セシリアはこっそりとトマスを引き留めた。
「トマスおじいちゃん。少しだけ、お話ししたいことが」
セシリアはトマスを家の裏手へ誘い、周囲に誰もいないことを確認してから、腰の革袋を開けた。
そして、手のひらに輝く金貨を一枚乗せ、トマスの手へ押し付けた。
「こ、これは……金貨じゃないか!?」
トマスが驚きで声を上げそうになるのを、セシリアは慌てて止める。
「しっ、内緒です。おじいちゃんには、私が小さい頃からずっとお世話になりましたから。これは、冒険者として稼いだお金の一部です。恩返しとして受け取ってください」
セシリアはそう言って微笑む。
同じようにして、セシリアはマーサや、特に親しくしていた他の四人の村人にも、個別に金貨を一枚ずつ渡した。
「絶対に秘密にしてくださいね。他の人に知られたら、不公平になっちゃいますから」
皆、驚きと感謝の表情で金貨を受け取り、固く秘密を守ると約束してくれた。
セシリアは満たされた気持ちで、自分の空き家へと戻った。
古いベッドに横たわった時、意識の奥から星乃の冷たい声が響いた。
(……あんた、随分と心温まることをしたわね。でも、そう簡単に大金を渡さないほうがいいわよ。あれは、ただの村人が一生働いても稼げない大金なんだから)
『えっ?でも、みんなすごく喜んでくれましたよ。それに、秘密にしてくれるって約束しましたし』
セシリアは毛布を引き上げながら無邪気に返す。
『心配してくれてありがとうございます、邪神様。でも、みんな私にとって大事な家族ですから。絶対に信用できます』
星乃は重いため息をついた。
(本当にそうなのかしら。人間の欲望って、あんたが思っているほど簡単に抑えられるものじゃないわよ)
星乃の言葉には、暗く冷たい響きがあった。
(金のために愛情を売り飛ばし、親しい者を平気で裏切る。私の生きていた世界では、よくあるありふれた話だったわ)
『邪神様の世界は、そんなに悲しいところだったんですか?』
(ええ。だから忠告しているの。大金は、人の心を簡単に壊す毒薬よ)
セシリアは星乃の言葉を少し大げさに感じながらも、明日の王都への出発に胸を躍らせ、静かに眠りについた。
翌朝。
セシリアが顔を洗い、出発の準備を整えて広場へ出ると、村の空気が一変していた。
「おい、あの子だろ?都市で体を売って稼いでるっていうのは」
「見たかい、あの立派な装備。村娘が買える代物じゃないよ」
広場に集まった村人たちが、セシリアを見てヒソヒソと囁き合っている。
その視線には、昨日までの温かさは欠片もなく、冷たい好奇と軽蔑、そして隠しきれない欲望の色が混じっていた。
「えっ……?みなさん、どうしたんですか?」
セシリアが戸惑いながら歩み寄ると、村人たちが一斉に距離を詰めてセシリアを取り囲んだ。
「セシリア。お前、都市でどんな汚い仕事をして大金を稼いできたんだ?」
一人の男が進み出て、鋭い声で問い詰める。
「汚い仕事なんてしていません!私は、ギルドでちゃんと依頼をこなして……」
「嘘をつくな!昨日、村長に借金を返して、さらに大金を渡したそうじゃないか!おまけに、一部の奴らにもこっそり金貨を配っていたらしいな!」
その言葉に、セシリアは顔から血の気を引かせた。
視線の先には、昨日金貨を渡したはずのマーサやトマスの姿がある。
彼らは目を逸らし、気まずそうに下を向いていた。
(誰が漏らしたの……?)
秘密を守ると約束したはずの家族。
金貨を受け取った彼らの中の誰かが、金への執着や自慢話から、周囲にその事実を漏らしてしまったのだ。
「ちゃんと説明します!これは、帝国騎士団に入るための前払いの契約金で……」
セシリアは必死に弁明する。
だが、村人たちは聞く耳を持たない。
「帝国騎士団?お前みたいなただの下級が、騎士団に入れるわけないだろ!」
「服も綺麗だし、体にも傷一つない。冒険者として戦っている奴の姿じゃないね。やっぱり、都市の金持ちの愛人にでもなって、体を売ったんだ」
身につけている立派な革の胸当て、手入れされた鉄の武器。
借金の全額返済。
そして、実際に配られた純金の金貨。
すべての状況証拠が、セシリアの言葉を否定していた。
「体を売ろうが泥棒をしようが、お前の勝手だ。だがな、セシリア。この村で育った恩があるだろう?一部の奴にだけ金を配るなんて、ずるいじゃないか」
男が手を差し出し、にやりと笑う。
「俺たちにも、その恩返しの金を少し分けてくれよ。金貨一枚とは言わない。銀貨でもいいんだ」
「そうよ、うちの子にも少し分けてちょうだい!」
次々と手が伸びてくる。
セシリアは恐怖で後ずさった。
昨日まで優しかった村人たちが、金の亡者となって自分に群がってくる。
星乃は意識の奥で、その醜悪な光景を冷ややかに見つめていた。
(だから言ったのよ。欲望に火をつけたのは、あんた自身だわ)
無垢な善意が引き起こした破滅。
(これは、厄介だわ)




