24.人間って、お金で簡単に変わるんですか?
ルミナ都市から乗合馬車に揺られること丸一日。
街道の舗装は次第に途切れ、轍の跡が残る土の道へと変わり、やがて視界の先に小さな集落が見えてきた。
木材と茅葺き屋根で作られた簡素な家々が立ち並ぶ、辺境の小さな村、ペトラ村。
セシリアが生まれ育ち、両親を亡くした場所だ。
馬車が村の広場に停まると、セシリアは軽い足取りで地面に降り立った。
「セシリア!本当にセシリアかい!」
農具を抱えたしわくちゃの老婆が、目を丸くして駆け寄ってくる。
「マーサおばあちゃん!ただいま帰りました!」
セシリアが笑顔で応じると、周囲の畑で作業をしていた村人たちも次々と集まってきた。
「無事だったか、セシリア。冒険者なんて危ない真似をして、怪我はないか?」
白髪の混じった顎髭を蓄えた老人、トマスが心配そうにセシリアの肩を叩く。
「はい、トマスおじいちゃん。見てください、これ」
セシリアは腰に下げた鉄の短剣を誇らしげに見せた。
ハルトに前借りした金貨で、ルミナ都市を出る前に新調した立派な装備だ。
「私、ギルドでちゃんと下級冒険者になれたんです。簡単な魔法も少しだけ使えるようになりました。だから、もう心配いりませんよ」
セシリアの言葉に、マーサやトマスをはじめとする村人たちは安堵の息をついた。
「そうか、そうか。下級冒険者になったのか。立派になったねぇ」
「魔獣相手に無理だけはするんじゃないぞ。生きて帰ってくるのが一番なんだからな」
村人たちの温かい言葉が、セシリアの胸を優しく満たす。
ルミナ都市での厳しい特訓や、魔人との恐ろしい遭遇。
それらの疲れが、故郷の空気に触れて少しずつ溶けていくのを感じた。
『邪神様。私の村、いいところでしょう。みんな優しいんです』
セシリアは意識の奥深くにいる星乃へ、誇らしげに語りかけた。
しかし、星乃の反応は冷ややかなものだった。
(へえ。随分とのんびりした連中ね。私が平原で極級の魔人を追い払って、この地方一帯の安全を守ってやったっていうのに。その偉業の噂が少しも届いてないじゃない。辺境って情報遅れすぎよ)
星乃は不満げに鼻を鳴らす。
ルミナ都市では「極級の魔人を退けた謎の存在」として冒険者たちの話題を独占していたが、この村にはギルドの伝書鳥も来ないため、都市の騒動など一切知る由もなかった。
『そ、それは……仕方がありませんよ。ここは本当に何もない村ですから』
セシリアは苦笑いしながら心の中で返答する。
「セシリア、疲れただろう。うちで冷たい水でも飲んでいくかい?」
マーサが誘ってくれたが、セシリアは首を横に振った。
「ありがとうございます。でも、先に村長さんのところへ行ってきます。早く借金を返して、両親のお墓の掃除をしたいので」
「そうかい。それなら引き止めないよ。村長なら、今家にいるはずだ」
セシリアは村人たちに手を振り、広場を抜けて村で一番大きな家へと向かった。
村長であるボルグの家は、石造りの立派な土台を持つ二階建てだった。
セシリアが重い木製の扉をノックすると、中から低い声が響いた。
「誰だ。入ってこい」
セシリアは深呼吸をして、扉を押し開けた。
薄暗い部屋の奥、分厚い木の机の向こうで、でっぷりと太った中年の男が帳簿に目を落としていた。
彼がこの村の村長、ボルグだ。
「失礼します、ボルグ村長」
「ん?なんだ、セシリアか。ルミナの都市から追い出されて、泣きついて戻ってきたのか?」
ボルグは顔を上げず、ペンを動かしながら冷ややかに言った。
「違います。私、下級冒険者になれました。今日は、借金を全額お返しするために戻ってきたんです」
その言葉に、ボルグの手がピタリと止まった。
彼はゆっくりと顔を上げ、セシリアの姿を上から下まで値踏みするように見る。
セシリアが村を出る前に着ていたボロボロの服とは違う、丈夫な革の胸当てと、真新しい鉄の短剣。
ボルグの目が少しだけ細められた。
「借金を全額、だと?お前の借金は、銀貨で十三枚。利子を含めれば十五枚だぞ。駆け出しの下級冒険者が、一ヶ月そこらで稼げる額じゃない」
「はい。でも、ちゃんと用意してきました」
セシリアは腰の小さな革袋を開け、机の上に中身を取り出した。
チャリン、と重みのある金属音が部屋に響く。
机の上に転がったのは、銀貨ではない。
太陽の光を反射して眩く輝く、純金で作られた金貨だった。
「なっ……!?」
ボルグの小さな目が、極限まで見開かれた。
「えっ……こ、これは……金貨!?」
ボルグの目が皿のように丸くなり、驚愕の声が屋敷に響き渡った。
銀貨百枚の価値を持つ、この村では絶対に見ることのない硬貨。
ボルグは震える手で金貨を受け取り、歯で軽く噛んで本物であることを確認する。
「本物だ……。たった1ヶ月で、金貨を一枚手に入れたと言うのか!?」
ボルグの顔色が変わり、息が荒くなる。
「はい。ですから、借金の15銀貨はこれで全額お返しします」
セシリアは丁寧にお辞儀をした。
ボルグは金貨をじっと見つめ、そして視線をセシリアへ向けた。
その瞳に、明らかな強欲の色が浮かぶ。
「セシリア。お前がここまで無事に育ったのも、この村の皆が助け合ったおかげだ。冒険者として成功したのなら、村への恩返しをするべきだと思わないか?」
「恩返し、ですか?」
「そうだ。金貨一枚なら、お釣りは85銀貨だ。そのお釣りを、村の発展のための寄付金として納めてほしい。村長であるオレが、責任を持って村の設備を良くするために使う」
ボルグは金貨をしっかりと握りしめ、強い語気で迫る。
セシリアは一瞬言葉に詰まった。
82銀貨。
それはセシリアにとって、つい先日まで途方もない大金だった。
『おい、セシリア。そんな胡散臭い男に金を渡すんじゃないわよ。絶対にポケットナイナイされるわ』
星乃の警告が脳内に響く。
星乃の言う通りかもしれない。
だが、セシリアの心には、先ほどマサやトビーに見送られた時の温かい記憶が残っていた。
自分が村を離れている間も、村の人々は自分のことを心配してくれていた。
村が少しでも良くなるなら、そのお金が役立つなら。
「……わかりました。皆さんのためになるなら、残りの82銀貨は寄付します」
セシリアは無理に笑顔を作り、承諾した。
「おお、そうか!村を代表して礼を言うぞ、セシリア!」
ボルグは満面の笑みを浮かべ、金貨を急いで自分の懐へしまった。
(馬鹿ね。軽く大金を出したら、後で絶対面倒なことになるわよ)
星乃は呆れ果てた声で呟いた。
ボルグは金貨をしまい終えると、急にセシリアを頭から爪先までねっとりと観察し始めた。
「しかし、セシリア。少しおかしいと思わないか?」
ボルグの声のトーンが下がり、低い声が屋敷の玄関に響く。
「おかしい、とは?」
セシリアは不安を覚え、一歩後ろへ下がった。
「1ヶ月前、お前は18銀貨を借りるために、地面に頭を擦りつけて泣きついてきた。だが今、お前は82銀貨もの大金を、顔色一つ変えずにポンと寄付した」
ボルグの目が鋭く光る。
「冒険者の仕事だけで、新人が1ヶ月で金貨を稼げるわけがない。ギルドの報酬相場はオレも知っている。お前、何か別の仕事をしているんじゃないか?」
「べ、別の仕事なんてしていません!これは、勇者様からの契約金で……」
セシリアが弁明しようとするが、ボルグは聞く耳を持たない。
「勇者?おとぎ話の英雄が、お前みたいな村娘に金貨を渡すわけがないだろう。もっと割のいい、裏の仕事をしているはずだ」
ボルグは一歩踏み出し、顔を近づける。
「体でも売っているのか?都市の貴族の愛人にでもなったのか?それとも、盗賊と手を組んでお宝をかすめ取ったのか?」
「違います!私はそんなこと……!」
セシリアは激しく首を振るが、ボルグの口角は歪に上がり続けている。
「隠さなくてもいい。オレも村の長だ、お前の事情はちゃんと理解してやる。なあ、セシリア。その儲かる仕事を、オレにも教えてくれないか?」
ボルグの言葉に、セシリアは息を呑んだ。
「オレの娘も、なかなか可愛い顔をしている。今度都市に行く時、一緒に連れて行ってやってくれ。上手く金脈に繋いでくれれば、分け前は弾む」
金のためなら、実の娘すら売り飛ばそうとする発言。
セシリアの目に、昔のボルグの姿が浮かんだ。
両親のお葬式の時、悲しむセシリアに借金の返済を少し待ってくれた。
厳しい人だけれど、村のことを考えているのだと、セシリアはずっと信じていた。
セシリアは目の前の男が、今まで自分を助けてくれていた「優しい村長」とは全く別の生き物に見えた。
金貨一枚。
ただそれだけのものが、人間の本性をここまで醜く歪めてしまう。
「……村長さん。お金の出所は、本当にギルドでの仕事です。これ以上、お話しすることはありません」
セシリアは悲しみを押し殺した声で告げ、背を向けた。
「おい、待てセシリア!一人で独占するのはずるいぞ!話を聞かせろ!」
ボルグの怒号が背後から飛んでくる。
セシリアは屋敷の門を急ぎ足で抜け、走り出した。
両親の眠る墓地へ向かう道中、セシリアの目からポロポロと涙がこぼれ落ちる。
『……邪神様。人間って、お金でこんなに簡単に変わってしまうんですね』
セシリアの心の中に、深い悲しみが広がっていく。
自分が守りたかった、平和で優しい村。
けど、今回、星乃は無言のまま、思考を巡らせていた。
私だって、金を稼ぐためなら命を落とすような馬鹿な真似をする女だ。
大金を簡単に稼げるチャンスが目の前に転がっていたら、本当に何だってやらかすかもしれない。
下手をすれば、あの村長以上に豹変することだって......




