23.一生勇者様の犬になります!
ギルドの一角にある円卓を囲み、重い沈黙が落ちていた。
「オレは、あと一ヶ月で王都の帝国騎士団へ戻る」
ハルトの口から発せられたその言葉に、円卓の空気は少しだけ冷たくなった。
特訓の日々が始まり、少しずつセシリアの魔力操作も上達を見せていた矢先のことだ。
包帯が取れ、完全に元の快活さを取り戻した勇者は、真っ直ぐな視線で円卓の面々を見回す。
「王都からの急使があってね。本来の任務に戻らなければならない。イリスも一緒に帰還する」
その言葉を受け、リリアが静かに立ち上がった。
いつも身にまとっているローブの裾を整え、決意を秘めた目で口を開く。
「私も、ハルト様たちに同行し、王都へ向かうことに決めました。ギルド長の許可はすでに得ています」
リリアの言葉に、隣に座っていたガランが大きくため息をついた。
大柄な重騎士は、いつも背負っている巨大な盾を床に置き、視線を落とす。
「そうか。リリアは行くんだな……俺は、ダメだ」
ガランの低い声には、確かな悔しさが滲んでいた。
レオンも細身の剣の柄を撫でながら、苦々しい表情を作る。
「俺もだ。あの平原で、極級の魔人を前にした時……俺は腰を抜かして、戦うことすらできなかった。逃げることしか考えられなかった」
「私も同じよ」
ミュラが赤いローブの袖を強く握りしめる。
「あの絶対的な死の気配。あんなものと戦う勇気は、私にはない。中級の力では、到底及ばない世界があると思い知らされたわ」
暗緑の森の外縁部で魔獣を狩っていた時とは違う。
平原で遭遇した、あの人間の形してる魔人。
その圧倒的な魔力の暴力の前に、彼らの心は完全に折れていたのだ。
「オレは、ルミナ都市に残る。このギルドで、身の丈に合った依頼をこなしていくよ」
ガランの言葉に、レオンとミュラも無言で頷く。
ハルトは彼らを責めることなく、静かに微笑んだ。
「その判断は間違っていないと思う。冒険者にとって、自分の限界を知ることは一番大切なことだからね。オレも、君たちと一緒に戦えて良かったよ」
ハルトの気さくな言葉に、ガランたちは少しだけ救われたような顔をした。
そして、ハルトは視線をセシリアへ向けた。
急に注目を集め、セシリアはびくっと肩を震わせる。
「セシリア。君にも、オレたちと一緒に王都へ来てほしい」
ハルトの声は、これまでにないほど真剣だった。
「えっ……私、ですか?」
セシリアは目を丸くし、自分を指差す。
「ああ。君の中に眠る力、星乃さんの力は、これからの戦いに絶対に必要になる。帝国騎士団も、君の存在を高く評価するはずだ」
ハルトは立ち上がり、セシリアの前に歩み寄った。
「もちろん、ただの村娘をいきなり騎士団に入れるのは難しい。でも、オレが自分の名誉にかけて、君を『極級武器マスター』として特別申請する。待遇は保証するよ」
極級武器マスター。
その響きに、ギルドの冒険者たちがどよめいた。
万人に一人もいないと言われる才能。
どんな武器でも自在に使いこなす、まさに戦場の申し子。
セシリアの心臓がどきどきする。
勇者からの直々の誘い。
王都での輝かしい未来。
『邪神様……どうしましょう……!』
セシリアの意識の奥で、困惑と期待が入り交じった声が響く。
(悪くない話ね)
星乃は冷静に状況を分析していた。
このまま辺境の都市にいても、レベルアップのシステムがない以上、セシリアの肉体を強化するには限界がある。
帝国騎士団に入れば、より良い装備、高度な魔法の知識、そして安全な生活拠点が手に入る。
さらに、自分が発揮できる『権能』を正当化するための地位も得られる。
(受けなさい、セシリア。あんたにとっても、借金を返すいいチャンスでしょ)
星乃の指示に、セシリアは小さく頷いた。
「ハルト様……私なんかで本当にお役に立てるのかわかりませんが、一緒に王都へ行きたいです」
セシリアが承諾すると、ハルトの顔がぱっと明るくなった。
「ありがとう、セシリア!君ならそう言ってくれると信じていたよ!」
ハルトが喜ぶ中、セシリアは少しもじもじと指を絡めた。
「あの……ハルト様。王都へ行く前に、少しお願いがあるのですが……」
「ん?なんだい?何でも言ってくれ」
ハルトは快く耳を傾ける。
セシリアは少し顔を赤らめ、小さな声で切り出した。
「私、冒険者になるために、村で借金をしてきているんです。それを返さないと、王都へは行けなくて……」
(おい、セシリア。どうせなら、もっとふっかけなさい)
星乃の冷酷な指示が飛ぶ。
(今借りている装備も、全部自分のものにしちゃいなさい。極級の勇者様なら、そのくらい安いものでしょ)
『ええっ!?そんな図々しいこと……!』
セシリアは心の中で抵抗するが、星乃の威圧感に勝てるはずもない。
覚悟を決め、セシリアは恐る恐る口を開いた。
「そ、それでですね……今お借りしているこの鉄の槍と短剣と弩弓、それから収納魔法の指輪……そして、借金返済のための銀貨二十枚を、前払いしていただけないでしょうか……!」
セシリアは一気に言い切ると、目をぎゅっとつぶった。
収納魔法の指輪はギルドの貴重品だ。
銀貨二十枚といえば、普通の村人が1年も暮らせる大金である。
それは、村の借金を完全に返し切り、さらに両親の墓を綺麗にするのに十分な額だった。
怒られるかもしれない。
そう思って身を縮ませていたセシリアだったが。
「なんだ、そんなことか!安いもんだ」
ハルトは懐から小さな革袋を取り出し、セシリアの手のひらにポンと乗せた。
「極級武器マスターとしての契約金だ。10金貨入っている。これで足りるだろう?」
「じゅ……10金貨!?」
セシリアの手が震え、革袋を落としそうになる。
「……10、金貨……?」
信じられない。
銀貨20枚ですら、辺境の村で暮らす者にとっては決して安い金額ではない。
だが、目の前にあるのは、その比ではない。
「金貨一枚は……銀貨百枚……」
つまり、10金貨なら――
「銀貨……千枚……?」
思わず息を呑む。
さらにその先を考えれば、背筋が震えた。
銀貨一枚は銅貨百枚。
ならば、10金貨は――
「銅貨……十万枚……」
銅貨十万枚。
それは、村人が日々の暮らしで触れることさえない、途方もない数字だった。
普通の村人の月収は、だいぶ百枚ほど。
どれだけ節約したところで、一年で千枚少々。
つまり、この10金貨は――
「……私たちが働いて、働いて……何十年かけても届かない……」
セシリアの声が震える。
十年どころではない。
普通の村人の月収で換算すれば、実に何十年分。
一人の人間が生涯をかけて稼ぐ金額にすら匹敵する。
辺境の村なら、家を何軒も建てられる。
土地を買い、家畜を揃え、何年も暮らしていける。
下手をすれば――村の一角そのものを買い取ることさえできる。
「ひゃああっ!ありがとうございます、ハルト様!一生ついて行きます!」
セシリアは革袋を抱きしめ、顔を真っ赤にして大喜びした。
(ちょろい小娘ね。金貨10枚で一生を売り渡すなんて)
星乃は意識の奥で呆れながらも、この状況を悪くないと感じていた。
資金があれば、今後の行動の選択肢も広がる。
「借金も返せる目処が立ちましたし、私、王都へ出発する前に一度村へ帰ります!」
セシリアが立ち上がり、嬉しそうに宣言する。
「村の恩人に借金を返して、両親の墓参りをしてから、王都へ向かいます!」
その言葉を聞いて、リリアが心配そうに立ち上がった。
「セシリア。貴女の村はここから歩いて二日ほどかかるはずです。一人で大丈夫ですか?私も同行しましょうか」
リリアの提案に、セシリアは首を横に振った。
「大丈夫です、リリアさん。私の村は本当に何もない平和なところですし、道中も大きな魔獣は出ませんから」
それに、今のセシリアはハルトとの地獄の特訓を経て、下級程度の魔力を自力で操れるようになっている。
簡単な身体強化や治癒魔法が使える彼女なら、街道の小さな魔物程度であれば単独で対処できる。
「それに、お墓の掃除とか、プライベートな用事ばかりですから。5日後には必ずこのルミナ都市に戻ってきます!」
セシリアの力強い言葉に、リリアは少し迷いながらも頷いた。
「わかりました。では、5日後の朝、このギルドの前で待ち合わせにしましょう」
「はい!いってきます!」
セシリアは笑顔で皆に手を振り、足取りも軽くギルドを飛び出していった。
(平和な村ね……ゲームだと、大体そういう場所からトラブルが始まるんだけど)




