22.権能は、見抜かれてしまった!
訓練場の隅で、セシリアの甲高い泣き声が響き渡っていた。
「ううううううっ……痛いぃぃ……!」
セシリアは土まみれの地面にうつ伏せになり、両手で顔を覆ってしゃくり上げている。
背中から腰にかけての激痛は、呼吸をするたびに全身を駆け巡り、涙が止まらない。
リリアが急いで駆け寄り、杖の先をセシリアの背中へ向けた。
淡い緑色の光が患部を包み込む。
「我慢してセシリア。今、折れた肋骨と打撲を繋ぎ合わせますから」
リリアの顔は真剣そのものだ。
魔力を注ぎ込むたびに、セシリアの背中からバキバキと小さな音が鳴る。
ハルトの放った本気の投げ技は、セシリアの肉体にとって致命的なダメージを与えていた。
骨が数本、完全に折れていたのだ。
「本当にごめん!オレ、裏の人格の圧倒的な動きを見て、つい本気で投げに移行してしまったんだ!」
ハルトは真っ青な顔でセシリアの横にしゃがみ込み、両手を合わせて何度も頭を下げている。
「痛いぃ……ハルト様、ひどすぎます……ううっ……」
セシリアは恨めしそうにハルトを睨みつけ、再び顔を伏せた。
ガランとレオンも心配そうに覗き込んでいる。
「勇者様、さすがにやりすぎですぜ。あんな華奢な子を本気で地面に叩きつけちゃあ……」
ガランが呆れたように言うと、ハルトはさらに肩をすぼめた。
「面目ない。完全にオレの失態だ」
リリアの懸命な治療魔法により、数十分後、ようやくセシリアの痛みが引いてきた。
骨は繋がり、どうにか自力で立ち上がれるまで回復する。
そこに、静かに事態を見守っていたイリスが歩み寄ってきた。
「セシリア。痛みが引いたのなら、もう一度君の体を詳しく視させてもらうよ」
イリスはセシリアの額に手を当て、光の神の眷属としての清らかな魔力を流し込む。
数分間、イリスは目を閉じ、セシリアの魂の深淵まで探りを入れた。
やがて、イリスはゆっくりと目を開き、首を横に振った。
「やはり、何度確認しても同じだ。邪悪な魔力も、魂を縛る呪いの痕跡も、一切見つからない」
イリスの断言に、ハルトも不思議そうに腕を組む。
「イリスがそこまで言うなら、本当に呪いはないってことだな。セシリア、そもそも君はなぜ、自分が呪われていると思っていたんだ?」
ハルトの問いかけに、セシリアはビクッと肩を震わせた。
星乃が自分の中にいることを、この場で暴露するわけにはいかない。
「えっと、その……」
セシリアは視線を泳がせ、慌てて適当な理由を探した。
「か、体が、最近よく重くなるからです!急に動けなくなったり、ものすごく疲れたりして……だから、悪い呪いにかかったんだとばかり……」
セシリアが必死に答えると、ハルトとリリアは一瞬顔を見合わせた。
そして、ハルトが吹き出した。
「いやいや、セシリア。それは普通に、筋トレの後遺症だろう!筋肉痛を呪いと勘違いしていたのか?」
ハルトが大きな声で笑うと、ガランやレオンも釣られて笑い声を上げた。
「なんだ、ただの筋肉痛かよ!新入り、お前少し天然すぎないか?」
レオンが腹を抱えて笑う。
リリアもやれやれとため息をつきながら、少しだけ口元を緩めた。
「貴女という人は……本当に人騒がせですね。でも、呪いがなくて本当に良かったです」
訓練場の空気が一気に和み、皆の警戒心が解けていく。
セシリアの意識の奥深くで、星乃は静かに安堵の息を吐き出した。
(これで、呪いの件は完全に誤魔化せたわね)
星乃の最大の懸念は、聖騎士の感知能力だった。
しかし結果として、星乃の存在は完全にスルーされた。
光の神の力を持っても、システム外のプレイヤーである星乃を「呪い」や「邪気」として検出することは不可能なのだ。
(聖魔法や魔力感知は、私には無効。この世界での大きなアドバンテージを確認できたわ)
一件落着したかに見えたその時、ハルトがふと真顔になり、顎に手を当てた。
「そう言えば……」
ハルトの低い声に、周囲の笑い声が静まる。
「オレはあの裏の人格、星乃さんと直接打ち合ったわけだが……確かにありえないほど強い。あの動きは極級のオレでも全く捉えきれなかった」
ハルトは先ほどの戦闘の感触を思い出すように、自分の手を見つめる。
「だが、なぜか動きがおかしいんだ」
「おかしい、とは?」
イリスが剣の柄に手を置き、問い返す。
「あれほどの力と技、そして絶対的な速度を持っていれば、オレの掴み攻撃なんて簡単に躱せるはずだ。それなのに、あの人は全く反応できずにオレに捕まった」
ハルトの目が鋭く細められる。
「それに、投げられた時の反応だ。あれほどの達人なら、空中で体勢を立て直し、無傷で着地する受け身の技術を持っているのが普通だ。だが、あの人はただの丸太ん棒を放り投げた時と同じように、無防備に背中から地面に激突した。なぜか、極端に不自然なんだよ」
セシリアの心臓が冷たく跳ねた。
『邪、邪神様……ハルト様が、なんだか怖いことを言っています……』
セシリアの不安な声が意識の奥に響く。
星乃もまた、ハルトの言葉に強い焦りを感じていた。
(ヤバい……流石は極級の勇者ということね。一瞬の攻防で、私の弱点を完全に見抜いてしまった)
星乃の背筋に冷たいものが走る。
ジャスト回避やジャストパリィは、ダメージを伴う攻撃判定にしか機能しない。
そして、受け身。
ここは現実だ。
星乃自身に体術の心得はない。
セシリアの脆い肉体で空中に放り出されれば、重力に従って地面に叩きつけられるしかないのだ。
(もし敵にそれを悟られたら、確実に死ぬわ。掴み攻撃や組み技を多用する相手と戦えば、私は何もできずに潰される)
星乃は自身の致命的な欠陥を突きつけられ、深く歯噛みした。
(掴みの対策……)
星乃は脳内で膨大なゲーム知識を検索する。
ゲーム内であれば、敵に捕縛されると、指定された動作を行うことで拘束から脱出できるシステムがあった。
しかし、この世界で指定された動作が表示されるわけがない。
(指定動作が表示されないということは、この世界では使えない。捕まる前に身体能力で物理的に回避するか、相手の手を斬り落とすしかない。でも、セシリアの凡人の肉体では反応速度に限界がある……つまり、掴み攻撃には完全に無力だわ)
星乃は厳しい現実を直視した。
極級の戦士や魔人との戦闘において、この弱点は致命的だ。
ハルトは今のところ「不自然だ」と疑問を持っているだけで、星乃の権能の仕組みまで理解したわけではない。
だが、これ以上彼と実戦訓練を行えば、さらなるボロが出る可能性が高い。
(まあ、後回しにしよう。今はどうしようもないわ)
星乃は無理やり思考を切り替える。
(とりあえず、聖魔法や魔力感知が私には無効だという強力なカードを手に入れた。ハルトへのハッタリも効いている。当面は、セシリアの魔力操作能力を少しでも引き上げて、基礎能力を底上げするしかない)
星乃が思考を収束させる中、訓練場のハルトは首を傾げたまま息を吐いた。
「まあ、考えても仕方がないか。星乃さんには星乃さんの事情があるんだろう」
ハルトはセシリアに笑顔を向ける。
「とにかく、セシリアはしっかり休んで。明日からは、イリスにも少し魔法の基礎を見てもらおう」
「はい、ハルト様!イリス様、よろしくお願いします!」




