21.邪神様は勇者に負けました!
パチン、と指を鳴らしたかのように、訓練場の空気が一瞬にして冷え切った。
セシリアの背筋がピンと伸び、両手に構えた二本の木剣の切っ先が僅かに下がる。
その姿を見た瞬間、周囲で特訓を眺めていたガランやレオンが弾かれたように立ち上がった。
「出たぞ!セシリアの裏の人格だ!」
レオンが興奮した声を上げ、ギルドの冒険者たちがわらわらと訓練場の柵の周りに集まってくる。
皆、あの平原で極級の魔人を退けた謎の存在を一目見ようと、固唾を飲んで見守っていた。
ハルトは木剣を下ろし、目を細めて目の前の少女を観察した。
体格も顔立ちもセシリアのままだ。
しかし、そこから立ち昇る威圧感と、冷酷で傲慢な瞳の光は、先ほどまで地面で泣き言を言っていた村娘とは完全に別人だった。
「オレたち、こうやって直接顔を合わせるのは初めてだな」
ハルトは気さくな声色を保ちながらも、全身の筋肉を緩めずに話しかけた。
「なんて呼んだら良い?セシリアと同じ名前で呼ぶわけにもいかないだろう」
星乃は二本の木剣を軽く振り、唇の端を吊り上げた。
「そうね。私のことは……」
(ここでヴァルキュリャなんて神名を自称したら、明らかに派手すぎるわ。聖騎士もいるし、面倒なことになりそうね)
星乃は脳内で瞬時に計算し、無難な偽名を口にした。
「私のことは、星乃って呼んでもいいわ」
「星乃さんか。よろしくな」
ハルトは軽く頷き、星乃の手元に視線を落とした。
「武器はそれでいいのか?リリアから聞いた時は、魔狼を倒した時はボロボロの短剣で、魔人を追い払った時は鉄の槍だった。今は二刀流でいくんだな」
ハルトの言葉に、周囲の冒険者たちからどよめきが起こる。
「ええ、構わないわ。どんな武器でも、私は使いこなせるから」
星乃は余裕の笑みを浮かべて言い放つ。
ハルトは驚きに目を見開いた。
「短剣、長槍、そして二刀流の木剣……。極レアで、万人に一人もいないと言われる『武器マスター』の才能の持ち主か」
ハルトの表情が一段と引き締まった。
一つの武器を極めるだけでも大変な世界で、あらゆる武器種を自在に扱う。
それは才能という言葉だけでは片付けられない特異な性質だ。
「ならば、オレも槍でいかせてもらう」
ハルトは壁のラックまで歩き、先を丸めた長い木の槍を引き抜いた。
赤い髪を揺らし、ハルトは訓練場の中央で星乃と向かい合う。
極級の槍士から放たれる熱気が、訓練場の土を乾燥させていく。
「イリス。戦闘開始の合図を頼む」
ハルトが後方に立つ赤髪の聖騎士に声をかけた。
イリスは真剣な表情で頷き、右手を高く掲げた。
「いくよ。三、二、一……開始!」
イリスの手が振り下ろされる。
合図の直後、ハルトの体がブレた。
極級の筋力から生み出される踏み込みは、音を置き去りにする。
瞬きをする間もなく、ハルトは星乃の目の前に肉薄し、木の槍の穂先を星乃の胸元へ向けて正確に突き出していた。
「速い……!」
ガランが声を漏らす。
だが、槍の穂先が星乃の服に触れる直前。
星乃の姿が、かき消えるようにハルトの視界から消失した。
「なっ!?」
ハルトは目を見開き、槍を突き出した姿勢のまま固まる。
次の瞬間、ハルトの右斜め後ろから冷たい声が響いた。
「一本」
ハルトが視線を横に向けると、そこには、すでにハルトの眼球の数センチ手前に木剣の切っ先を止めている星乃の姿があった。
完全に死角に回り込み、反撃の隙すら与えない完璧な位置取り。
「何が起きたんだ!?一瞬で姿が消えたぞ!?」
柵の向こうでレオンが叫ぶ。
「な、なんだ、これは……!?」
審判を務めていたイリスも、驚愕に顔を歪めた。
「極級の私でも、今の動きが全く見えなかった……!」
星乃は内心でニヤリと笑う。
(どうやら、ジャスト回避を発動してから追加攻撃を入れるまでの権能上の強制移動は、この世界の住人にとっては超高速移動に見えるみたいね)
星乃は木剣を引き、わざと隙を見せるように数歩後ろへ下がった。
「どうしたの?極級の勇者様は、その程度かしら」
ハルトは冷や汗を拭い、素早く姿勢を立て直した。
「強いとは聞いていたが、そこまでとは思わなかったな」
ハルトは再び木の槍を構え、今度は慎重に距離を保ちながら円を描くように歩く。
相手の動きが見えないなら、接近される前に長いリーチを活かして制圧するしかない。
「はっ!」
ハルトが鋭い呼気とともに、連続で突きを放つ。
槍の穂先が残像を残し、星乃の全身を覆い尽くす。
だが、星乃は一切退かない。
右手の木剣を軽く振り上げ、迫り来る槍の軌道にピンポイントで刃を合わせた。
「ジャストパリィ」
小さく呟く。
ギィンッ!
木と木がぶつかる音とは到底思えない、甲高い反響音が鳴る。
ハルトの放った渾身の突きは、星乃の木剣に触れた瞬間、すべての威力を反転されて弾き返された。
「ぐあっ!?」
ハルトの腕が跳ね上がり、槍の構えが大きく崩れる。
強烈な痺れがハルトの両腕を襲い、足元がふらついた。
その隙を逃さず、星乃は一歩踏み込み、左手の木剣をハルトの首元にぴたりと添えた。
「二本」
星乃の冷たい声が、ハルトの耳元で響く。
ハルトは完全に動きを封じられ、息を呑んだ。
「な……!?」
ハルトは戦慄した。
極級の自身の攻撃が、全く力のないはずの木剣の一振りで完全に無力化されたのだ。
魔力の片鱗すら感じさせない、純粋な技術だけの防御。
ハルトは首元の木剣から逃れるように後ろへ大きく跳躍し、距離を取った。
「……まいったな。武器を使った打ち合いじゃ、完全にオレの負けだ」
ハルトは悔しそうに笑いながら、手にしていた木の槍を地面に放り投げた。
カラン、と乾いた音が響く。
「武器を捨てるの?降参かしら」
星乃が挑発的に首を傾げる。
「いや、少し戦術を変えるだけさ」
ハルトは腰を深く落とし、両手を前に出す体術の構えをとった。
その構えを見た星乃は、鼻で笑った。
「甘いね。パンチやキックでも、私には一発も当たらないわよ」
星乃は二本の木剣を下げ、余裕の姿勢でハルトの突進を待つ。
ハルトが地面を蹴り、弾丸のように星乃へ向かって真っ直ぐに突っ込んできた。
星乃はハルトの右腕の動きに集中する。
殴ってくる。
あるいは、手刀を放ってくる。
ダメージを伴う攻撃判定が発生した瞬間、それに合わせてジャストパリィを起動すればいい。
ハルトの右手が、星乃の肩口へ向けて伸びてくる。
(そこ!)
星乃はタイミングを完璧に合わせ、右手の木剣を振り上げた。
だが。
ハルトの動きは攻撃ではなかった。
伸びてきた右手は星乃の肩を強く掴み、そのまま引き寄せる動きへと変化した。
「えっ?」
星乃の木剣が空を切る。
ジャストパリィが発動しない。
パリィの対象となる「ダメージ判定のある攻撃」ではなく、ただの「掴み」だったからだ。
(しまった!ダメージのある攻撃ならジャストパリィやジャスト回避が発動できるけど、捕まえる動作には判定がない!)
星乃がそれに気づいた時には、すでに手遅れだった。
ハルトは星乃の肩を掴んだまま、自身の体を沈み込ませ、星乃の胴体に腕を回した。
「もらった!」
ハルトの極級の筋力が爆発し、星乃の体を軽々と担ぎ上げる。
「ちょっと、待ちな…!」
星乃が声を上げるが、ハルトはそのまま星乃の体を空中へ放り投げ、柔らかな土の地面へと背中から叩きつけた。
ドスンッ!
強烈な衝撃が全身を貫く。
「ぐあっ…!」
その瞬間、星乃の精神を繋いでいた見えない糸が、ブツンと音を立てて切れた。
星乃の操作権が、物理的な衝撃と想定外の「投げ技」によって強制的に弾き出されたのだ。
(ど、どういうこと!?体が動かない!)
星乃は意識の奥底へ一気に突き落とされ、激しく動揺する。
地面に叩きつけられた肉体の制御は、瞬時に本来の持ち主へと戻った。
「うああああ!痛い!」
背中を強打したセシリアが、涙目になって悲鳴を上げた。
木剣を放り出し、土まみれになって背中を抑えながら悶え苦しむ。
「い、痛いぃぃ……ハルト様、ひどいです……!」
完全に元の村娘の反応に戻ったセシリアを見て、ハルトは慌てて手を差し伸べた。
「ああっ、すまない!まさか綺麗に決まるとは思わなくて……!」
ハルトが焦ってセシリアを抱え起こす。
周囲の冒険者たちも、突如として威圧感が消え去り、いつもの気弱なセシリアに戻ったことに呆気にとられていた。
星乃は意識の深い底から、セシリアが痛みで泣きじゃくる光景をただ眺めることしかできなかった。
(ジャストスキルは、投げ技や捕縛には無力……それに、強いダメージを受けると強制的に交代させられる?)
星乃は自身の致命的な弱点が露呈した事実に、冷たい汗を流していた。




