20.待たせたな、勇者よ!
『どうしよう!このままじゃ、明日本当に聖騎士様が来て、邪神様を祓ってしまう!』
パニックに陥ったセシリアの心痛が、星乃の意識の奥にまで伝わってくる。
(……少し落ち着きなさい、セシリア。別にどうもならないわ)
星乃は冷静に状況を分析し、思考を巡らせていた。
もしこれが以前のセシリアであれば、恐怖に怯えながらも、確実に星乃を消滅させる決意を固めていただろう。
だが今のセシリアから、あの時のような明確な敵意は感じられない。
平原での一件を経て、彼女は星乃を命の恩人として認識し、無意識のうちに庇おうとすらしている。
(ならば、むしろこれは好都合かもしれない)
この異世界において、星乃は自身の「権能」がどこまで通用するのか、正確な境界線をまだ把握しきれていなかった。
特に、聖属性の魔法。
浄化や破邪の力を持つとされるその魔法が、自称「邪神」であり、かつシステム外の存在である自分に対してどのような影響を及ぼすのか。
今後の戦いを考えれば、それをテストしておく必要があった。
セシリアに自分を祓う明確な意思がない今なら、聖騎士が呪い解除の魔法を行使しても、手加減や途中での中断が容易に期待できる。
万が一、星乃の存在そのものが致命的なダメージを受けそうになった場合、セシリアが泣きついて止めてくれるはずだ。
(テストしないと、今後の戦いで聖属性の魔法使いに遭遇した時、対応に迷うことになる。今のうちに安全な環境で試しておくべきね)
星乃は心の中で冷たい笑みを浮かべ、来るべき「実験」の準備を整え始めた。
それから三日が経過した。
ルミナ都市のギルド裏手にある訓練場では、相変わらずハルトによる地獄の特訓が続いていた。
ハルトの容赦ない攻撃を木剣で受け、地面に転がり、また立ち上がる。
極級の槍士から放たれる圧力を浴び続けた結果、セシリアの体は劇的な変化を遂げていた。
「はぁっ、はぁっ……!」
セシリアが木剣を振るうたび、その剣身に微弱な光が宿る。
これまでは全く扱えなかった魔力が、体の内側で少しずつ制御できるようになっていた。
ランクで言えば、ようやく下級の領域に足を踏み入れたことになる。
「よし、動きが随分と良くなった。魔力の巡りも安定しているね」
ハルトが満足げに頷き、木剣を下ろす。
休憩時間に入ると、セシリアは壁際に座り込み、水筒の水を一気に煽った。
彼女がこの三日間で学んだのは、剣術だけではない。
星乃からの強い指示により、サポーターとしての魔法、特に身体強化魔法、治癒魔法、そして武器の魔法付与術を集中的に練習させられていた。
「セシリア」
リリアが杖を持ち、不思議そうな顔で近づいてきた。
「その……少し気になっていたのですが。貴女の裏の人格は、ただの鉄の槍で極級の魔法を完全に弾き返せるほどの力を持っています。であれば、わざわざ時間をかけて武器の魔法付与術などを学ぶ必要はないのではないですか?」
リリアの疑問はもっともだった。
あの常識外れの力があるなら、初歩的な魔法付与など全く無意味に思える。
セシリアは一瞬視線を泳がせ、慌てて愛想笑いを作る。
「ご、ごめんなさい。私、こちらの魔法のほうが好きかもしれないんです」
(邪神様からの命令で必死に覚えたけれど……。でも、戦うための魔法より、こういう平和な魔法のほうが、本当に私の性に合っているんです)
セシリアは内心でそう思いながら、手のひらに小さな光を灯して見せた。
星乃はセシリアの思考を聞き流しながら、計算を続ける。
(ただの鉄の槍じゃ、弾き返すことはできても、いつか強度の限界が来て砕ける。それに、ジャスト回避後のカウンターを入れるためにも、武器自体の威力を底上げする付与術は絶対に必要よ)
その日の午後。
ギルドの正面扉が開き、太陽の光を背負って一人の女性が足を踏み入れた。
燃えるような赤髪を後ろで束ね、白と金を基調とした重厚な騎士の鎧を纏っている。
腰には美しい装飾が施された長剣を下げていた。
「到着したよ、ハルト」
女性騎士が澄んだ声で告げる。
帝国騎士団に所属する聖騎士、イリス・ヴァイオレットだった。
「おお、イリス!遠いところをよく来てくれた!」
ハルトが笑顔で駆け寄り、歓迎の言葉を述べる。
「聖騎士様、ルミナ都市のギルドへようこそおいでくださいました」
ギルド長のゼルトも姿を現し、深々と頭を下げる。
リリアやガラン、レオンも緊張した面持ちで一斉に敬礼した。
「堅苦しい挨拶は不要だよ。ハルトから急ぎの報せを受けてね。強力な呪いを受けた娘がいるとか」
イリスは周囲を見渡し、ハルトの背後に隠れるように立っていたセシリアに視線を止めた。
「君だね。ハルトが言っていた娘は」
「は、はい。セシリアと申します……」
セシリアはおどおどと頭を下げる。
イリスはセシリアの前に立ち、少し身をかがめて視線を合わせた。
「心配いらない。私は光の神の眷属。どんな邪悪な呪いも、必ず祓ってあげる。……それで、具体的にどんな呪いを受けたんだい?何か体の不調や、強い違和感を感じたことはあるかな?」
イリスの真剣な問いかけに、セシリアは口をパクパクと動かした。
「えっと、うううう……あの……」
説明できない。
周囲の人間は、セシリアの言う「呪い」が、体調不良や魔力的な異常を引き起こすものだと思っているのだ。
「裏に邪神が住み着いて、私の体を乗っ取って魔獣や魔人を倒しています」などと言えば、どんな騒ぎになるかわからない。
セシリアが言葉に詰まっていると、イリスは首を傾げ、セシリアの体をじっと見つめた。
そして、不思議そうに呟く。
「ハルト。この子は本当に呪いにかかっているのかい?私には、特に異常が見えないのだけれど」
「えっ?」
ハルトが驚いた声を出す。
「邪悪な魔力の気配も、魂への異常な干渉も見当たらない。すごく健康で、清廉な魔力を持った下級の少女にしか見えないよ」
イリスの言葉に、周囲の空気が少し緩んだ。
だが、セシリアの意識の奥では、星乃が鋭い考察を巡らせていた。
(異常が見えない、というのか。光の神の眷属である聖騎士の感知能力でも、私の存在に気付けない?それとも、セシリアの魂の奥深くに隠蔽した私への感知自体が、システム上無効化されているのかしら)
星乃は自身の「プレイヤー」という特異な立場が、この世界の感知魔法に引っかからないのだと推測した。
イリスがさらに詳しい問診を始めようとした時、ハルトが軽く手を叩いた。
「よし。イリスの本格的な検査と儀式を受ける前に、オレと今日最後の特訓をしよう」
ハルトは壁に立てかけてあった木剣を手に取り、訓練場の中央へと歩き出す。
「体を動かして魔力を活性化させた方が、隠れた呪いの気配も表面に出やすくなるかもしれないからね」
「ハルト、無茶をさせる気?」
イリスが眉をひそめるが、ハルトは自信満々に笑う。
「大丈夫さ。オレがしっかり手加減する」
ハルトは木剣を手に取り、訓練場へと向かう。
「わかりました、ハルト様」
セシリアも急いで訓練用の木剣を手に取り、ハルトの向かいに立った。
(……今だわ)
星乃は好機を見出した。
このままでは、呪いがないと判断されて検査が終わってしまう。
自身の正体を聖騎士に見せつけ、浄化魔法が自分にどう作用するのかを確かめなければならない。
(セシリア。少し体を借りるわよ)
『えっ?あっ、はい!』
パチンッ。
訓練場の空気が、一瞬にして変わった。
セシリアの背筋がピンと伸び、それまでの怯えた雰囲気が完全に消え去る。
彼女は自分の手にある一本の木剣を見つめると、ゆっくりと壁のラックに歩み寄り、もう一本の木剣を引き抜いた。
二本の木剣を両手に下げ、彼女はくるりとハルトの方へ振り返る。
その瞳には、獲物を前にした捕食者のような、冷酷で傲慢な光が宿っていた。
「結構待ってくれたようね、勇者よ」
冷たく、透き通った声が訓練場に響き渡る。
先ほどまでの村娘の声とは全く違う、圧倒的な威圧感を持った発話。
ハルトの顔から笑顔が消え、イリスが即座に腰の長剣に手をかけた。
リリアは恐怖で一歩後ずさり、杖を握る手を震わせる。
「お前は……!?」
ハルトが目を鋭く細め、極級の魔力を全身から立ち昇らせて身構えた。
全員の視線が、突如として顕現した「裏の人格」へ突き刺さる。
星乃は二本の木剣を軽く振り、唇の端を歪めて不敵な笑みを浮かべた。
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