17.戦を司る神、ヴァルキュリャ!
平原に吹き荒れていた風が止んだ。
遠ざかっていくリリアたちの足音を聞きながら、星乃は鉄の槍を肩に担いだまま微動だにしない。
『ささっと倒してください邪神様!』
セシリアの悲鳴に等しい声が、脳内に響く。
(あら?昨日どこの誰かが、聖騎士を使って私を消そうと計画していたのかしら?)
星乃はわざと冷たい声を返す。
『申し訳ございません!私が間違っておりました!どうかお助けください!』
セシリアの精神が極度の恐怖と後悔で萎縮しているのを感じ取る。
星乃は前方の砂埃の奥で身構えている魔人をじっと見据え、冷静に思考を巡らせた。
先ほどの攻防で、ジャストパリィは魔法の投射物にも完全に機能することが証明された。
相手の魔力は高く、極級と呼ばれる中盤のボスに相当する力を持っている。
ゲームのシステムを応用すれば、どんなに強い魔法が飛んできても、タイミングさえ合わせればすべて反射して相手にダメージを与えられる。
無限に繰り返せば、いずれは相手が自滅する。
だが、ここは現実だ。
セーブ機能もロード機能も存在しない。
セシリアの体力には限界があり、すでに激しい疲労が蓄積し始めている。
一瞬でもタイミングがずれれば、即座に肉体が消し飛んで終わる。
さらに深刻な問題がある。
(もしあいつが魔法を撃つのをやめて、近接戦を挑んできたらどうするの?)
星乃は右手で握る鉄の槍を横目で見た。
ギルドで支給された、何の変哲もない安物の槍。
相手は失った腕を瞬時に再生させるほどの極級の肉体を持っている。
ステータスの差はあまりにも絶望的だ。
仮にジャスト回避で背後に回り込み、相手の弱点を正確に突いたとしても、肉を切り裂くよりも先にこの脆い鉄の槍が砕け散る。
武器を失えば、星乃といえども戦う術はない。
それに、相手は今、未知の力に怯え切っている。
あのまま逃走し、さらに強大な上位の魔人や魔族の軍団を連れて戻ってくる可能性が非常に高い。
(絶対にここで決着をつけないといけない。でも、真正面から戦えばいずれボロが出る)
自称神である以上、セシリアに対して直接「強すぎて勝てない」と弱音を吐くわけにはいかない。
自信を喪失させれば、動きが鈍る危険性もある。
星乃が導き出した解決法は一つしかない。
目の前で戦慄している魔人を、徹底的に騙すことだ。
あらゆる生き物には陣営が存在し、相性が悪い陣営同士は争う。
魔族も人間も同じだ。
星乃はゲームの膨大な知識の引き出しから、該当する情報を引っ張り出した。
星乃は槍の石突を静かに地面へ下ろし、見下ろす視線をさらに冷酷なものに変えた。
「面白い。王都に隠れているメティシアのネズミは、よくも手をここまで伸ばしてきたとはな」
星乃の口から放たれた言葉は、平原の空気を一瞬で凍りつかせた。
魔人の顔色が変わる。
「お前!よくもメティシア様のことを……!」
魔人は怒りに顔を歪め、残った魔力を練り上げて攻撃を仕掛けようと一歩踏み出した。
だが、その足は空中で止まった。
「何故……メティシア様の居場所と、オレのことを……」
魔人の声がかすれ、戦慄が全身を駆け巡る。
王都の地下深くに潜伏している邪神メティシア。
その存在と計画は、魔族の中でもごく一部の幹部しか知らない最高機密だ。
目の前にいる存在は、その絶対の秘密を、雑談でもする程度の軽い口調で言い当てたのだ。
相手のすべてを掌握しているという事実が、魔人の心を強烈に締め付ける。
「あの偽装の仕方、人間には通用するだろうが、我には通じないぞ、ネズミども」
星乃は鼻で笑い、さらに言葉を続ける。
「いいか。この勇者は既に我のものだ。我が遊びを壊したら、次はあのメスに付き合ってもらうことになる」
星乃は一切の感情を交えず、淡々と宣告した。
邪神メティシアを見下し、「メス」と呼び捨てにする。
さらには、メティシアを遊び相手にするという圧倒的な傲慢さ。
(メティシア様を見下す……メティシア様以上の位格を持つ存在……!?)
魔人の心の中で、最後の抵抗心が音を立てて砕け散った。
魔人の膝が、重力に逆らうことをやめて地面に崩れ落ちた。
全身から冷や汗に似た魔力の粒子を漏らしながら、深く頭を地面に擦りつける。
「お、お許しください!お言葉は、必ずや我が主メティシアにお伝えいたします!どうか、どうかお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか!」
魔人の声は恐怖で裏返り、必死の命乞いへと変わっていた。
星乃は心の中で大きく安堵の息を吐きながら、表面上は冷徹な神の振る舞いを崩さない。
「我は戦を司る神、ヴァルキュリャ。そう伝えると良い」
星乃は目を細め、静かに言い放つ。
「帰れ。そして、二度と我の前に姿を見せるな」
「はいー!かしこまりました!」
魔人は何度も地面に頭を擦りつけた後、立ち上がることすら恐れる様子で、這うようにして後ずさる。
十分に距離を取った後、黒い霧となって一瞬で平原の彼方へと消え去った。
遠ざかっていく魔力の気配が完全に消失したことを確認し、星乃は静かに息を吐き出した。
手から槍が滑り落ちそうになるのを必死に堪えながら、心の中で安堵の声を上げる。
(よかった……相手が馬鹿正直で助かったわ。本当に近接戦を挑まれていたら、一瞬でボロが出て死んでいたところよ)
極度の緊張から解放され、セシリアの肉体がどっと重くなるのを感じる。
しかし、脳内に響いたセシリアの声は、星乃の安堵を吹き飛ばすものだった。
『と、いうことは……!』
セシリアの声は、恐怖と混乱で激しく震えている。
『邪神様は、あのハルト様を裏で操り、弄んで……最終的には世界征服を目指す、本当に恐ろしくて悪い神様なんですね!?ううううう……私、とんでもないことに巻き込まれてしまいました……!』
自分が作り出した「神の盤面」というハッタリを、セシリアは一文字の狂いもなく本気で受け取ってしまったのだ。
(だから違うってば!あれはただのハッタリよ!)
星乃は脳内で必死に否定したが、一度定着してしまった強大な「悪の神」というイメージは、そう簡単に覆りそうになかった。
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