13.正しい……決定をしたわね、セシリア
ルミナ都市の冒険者ギルドは、夜遅くまでかつてない熱気に包まれていた。
暗緑の森から帰還した一報は瞬く間に広がり、帝国騎士団に所属する本物の勇者が訪れたという事実に、多くの冒険者たちが歓喜の声を上げたのだ。
食堂の長机には山盛りの肉料理と酒樽が並べられ、賑やかな宴が催されている。
「ハルト様!オレの剣にサインを書いていただけませんか!」
「勇者様、明日はどの辺りに行かれるんですか!よければご案内しますぜ!」
屈強な冒険者たちが、目を輝かせてハルト・ヴェルグの周囲に群がっている。
ハルトは嫌な顔一つせず、朗らかな笑顔で応じている。
「いいよ、剣を貸して。案内はありがたいけど、しばらくはこの『星屑の剣』の皆と行動する予定なんだ」
ガランやレオンも、他の冒険者から羨望の眼差しを向けられ、誇らしげに酒杯を傾けていた。
リリアやミュラも、普段の厳しい表情を少し崩し、穏やかな笑みを浮かべている。
皆が活気に満ちている。
楽しい空気がギルド全体を満たしていた。
セシリアもまた、少し離れた席から、その眩しい光景を夢見るような瞳で見つめている。
(私は……何者でもないわね)
星乃は、セシリアの意識の奥深くで、静かにその景色を眺めていた。
温かい食事の味も、仲間たちと交わす酒の熱も、星乃には届かない。
彼女は肉体を持たず、この世界に突然迷い込んだだけのプレイヤー。
ゲームの知識を頼りに生き残ろうと足掻いたが、その結果がこれだ。
恐怖で縛り付けた小娘には拒絶され、唯一の切り札であった「未来の知識」も、この世界の住人には届かない。
帰るべき現実の肉体は既に失われ、この異世界での未来も閉ざされようとしている。
完全な孤独が、星乃の精神を冷たく侵食していく。
セシリアは宴の途中でハルトの元へ行き、小さな声で約束を取り付けた。
三日後。
『光耀教会』へ共に向かい、そこに滞在している聖騎士に呪いを祓ってもらうという手はずだ。
席に戻ったセシリアは、心の中で静かに言葉を紡いだ。
『そういえば、邪神様は、あれからずっと喋っていませんね』
セシリアの問いかけに、星乃は答えなかった。
ただ黙って、セシリアの思考を聞いている。
『邪神様。私は、もう少しであなたのことを徹底的に排除します。光の神の力で、私の中から消え去っていただきます』
セシリアの言葉には、強い決意が込められていた。
自分が生きるため。
そして、恐ろしい力に操られる日々から解放されるため。
(……そっか。正しい……決定をしたわね、セシリア)
しばらくの沈黙の後、星乃の声が脳内に響いた。
その声は、以前のような傲慢さも冷酷さも消え失せ、ひどく掠れていた。
『えっ……?』
セシリアは戸惑った。
怒り狂って暴れるか、呪いの言葉を吐き捨てられると思っていたのだ。
しかし、星乃の声は、不思議なほど静かで、どこか悲しそうな響きを帯びていた。
その声を聞いた瞬間、セシリアの胸の奥がチクリと痛んだ。
(なぜ……私が胸を痛める必要があるの?この存在は、私を脅し、無理やり体を奪った邪悪なものだわ)
セシリアは痛みを振り払うように思考を固くする。
邪神を排除するという決定は変わらない。
これは絶対に正しいことなのだから。
(セシリア。最後に一つだけ、忠告しておいてあげる)
星乃の静かな声が続く。
『……何ですか』
(教会にたどり着いたら、そこで一生働きなさい。ギルドには戻るんじゃないわ。そこは平和で安全よ。あんたの体は決して強くない。冒険者なんて続けても、すぐに死ぬわ)
星乃は、自分が知る限りのゲームの知識を伝える。
教会の敷地内は基本的に戦闘が禁止されている安全エリアだ。
そこなら、この非力な村娘でも平穏に生きていけるはずだ。
(私がしてあげられることは、ここまでのようね)
星乃の声が、水底に沈むように静かに遠ざかっていった。
『邪神様……』
セシリアはテーブルに置かれたグラスを強く握りしめた。
なぜだろう。
自分を脅したはずのその声が、今はとても不器用で、孤独なものに聞こえる。
(邪神様は、本当に悪い存在だったのかな……?)
そんな疑問が、セシリアの心に小さな波紋を広げていた。
翌日の朝。
ギルドの依頼掲示板の前に、少し重い空気が漂っていた。
「今朝早く、ルミナ都市の西側街道で小型魔獣の被害報告がありました。商人の荷馬車が襲われたようです」
リリアが手元の資料を読み上げながら、周囲のメンバーへ状況を伝える。
「西側か。暗緑の森とは反対方向だな」
ガランが顎を撫でながら呟く。
「森の奥に潜んでいたやつらが、こっちの討伐を逃れて移動してきたのかな?ちょうどいい」
ハルトが槍を軽く回しながら、快活な声を上げた。
「俺たちのパーティーの連携トレーニングとして、皆で行こうじゃないか。実戦に勝る訓練はないからね」
勇者の提案に、ガランもレオンも力強く頷く。
「ええ、異存はありません」
ミュラも静かに同意した。
リリアは視線を動かし、少し離れた場所で控えていたセシリアを呼んだ。
「セシリア。貴女も来なさい」
「えっ?私も、ですか?」
セシリアは驚いて顔を上げる。
「ギルド長からの指示です。貴女の中に眠る裏の人格の力、あの異常な戦闘能力が、どのような条件で引き出されるのかを確認する必要があります。昨日は一度もその力を見せませんでしたからね」
リリアの目は真剣だ。
セシリアの力は、ギルドにとって貴重な戦力候補として見なされている。
セシリアは視線を落とし、心の中で呟いた。
(ごめんなさい、リリアさん。もう、その力は二度と使えないかもしれません)
邪神は沈黙してしまった。
自分が頼んでも、もう体を動かしてはくれないだろう。
戦闘になれば、自分はただ足手まといになるだけだ。
断るべきだ。
そう頭では理解していた。
しかし、セシリアは顔を上げ、ハルトの背中を見た。
赤い髪と、自信に満ちた広い背中。
神の眷属であり、皆から称賛される眩しい存在。
(それでも……憧れの勇者様の戦う姿が、もっと見たい)
「分かりました。ついて行きます」
セシリアは小さな声で答え、装備を整えるために武器庫へと足を向けた。




