12.邪神様、もうすぐお別れです
(セシリア!今すぐ撤退するのだ!あいつの誘いを断りなさい!)
星乃は心の中で叫び、強制的にセシリアの体の操作権を奪おうとした。
このままハルトのパーティーに同行すれば、ゲームの歴史通りに魔人に惨殺されるかもしれない!
その恐怖が星乃の思考を焦らせていた。
だが、その瞬間。
『だめです!邪神様には、体を渡しません!』
セシリアの強い意志が、星乃の介入を弾き返した。
(なっ……!?あんた、何を考えてるの!死ぬわよ!)
星乃は驚愕した。
これまで怯えるだけだったセシリアが、これほど明確に反抗してくるとは思わなかったのだ。
『邪神様は、あのハルト様が怖いんですよね?聖神の眷属である勇者様が目の前にいるから、怯えて逃げようとしているんです!』
セシリアの心の中に、ひとつの確信が生まれていた。
(違うわ!あいつと一緒にいたら、とんでもない化け物に遭遇して殺されるって言ってるの!)
星乃は必死に説明しようとするが、セシリアの耳には届かない。
『いいえ、騙されません。私がここで逃げたら、また体を操られて、悪いことに使われるかもしれない。私は、勇者様に助けていただきます!』
セシリアは一歩前へ進み出て、ハルトを見上げた。
「ハルト様!少し、お聞きしたいことがあるのですが……」
「ん?どうしたんだい、セシリア」
ハルトは槍を肩に担ぎ直し、朗らかな笑顔で応じる。
「その……『ヴァルキュリャ』という神様を、ご存知でしょうか」
セシリアの質問に、ハルトは少し首を傾げた。
「ヴァルキュリャ?いや、聞いたことがないな。神殿の教典にも、そんな名前の神は記載されていなかったはずだ。何か加護でも貰ったのかい?」
「何も、貰っていません……」
セシリアは視線を落とし、暗い顔で答える。
ハルトは顎に手を当て、真剣な表情を作った。
「加護がないのに神を名乗る存在か。それは……邪神か、何か邪悪な精霊の可能性が高いね。気をつけた方がいい」
(やばい!私、完全に信用されてない!)
星乃はセシリアの意識の奥で頭を抱えた。
適当にでっち上げた女神の名前が、完全に裏目に出ている。
セシリアはさらに踏み込んだ。
「私は、その……呪われているみたいなんです。それを解除する方法は、ご存知でしょうか?」
切実な声で問うセシリアに、ハルトは大きく頷いた。
「そういうことなら安心していい。帝国騎士団には、光の神フォティオスの眷属である聖騎士がいるんだ。彼女なら、邪悪な呪いや憑依を祓うことができる。今回の森の任務が終わったら、君を騎士団へ連れて行ってあげるよ」
「本当ですか!?感謝いたします、ハルト様!」
セシリアの顔がパッと明るくなり、何度も頭を下げる。
『聞きましたか、邪神様。もうすぐお別れです』
セシリアの心からの安堵の声が響く。
(……最悪だわ)
星乃は絶望的な状況に歯噛みした。
「さて、パーティーも揃ったことだし、森の奥も掃除しようか!」
ハルトが槍を掲げると、ガランやレオンも歓声を上げた。
「おう!勇者様の戦いぶり、しっかり見させてもらいますぜ!」
ガランが大盾を叩き、気合を入れる。
一行は陣形を組み直し、暗緑の森のさらに深い場所へと足を踏み入れた。
森の奥は、外縁部とは比較にならないほど魔獣の気配が濃かった。
「前方、五匹の群れです!中級の影狼!」
リリアが杖を構え、警告を発する。
木々の間から、黒い靄を纏った狼たちが唸り声を上げて飛び出してきた。
「オレがやる」
ハルトが前に出る。
彼は槍を右手に持ち、左手を前に突き出した。
「集え、紅蓮の炎。我の槍となりて、目前の敵を焼き尽くせ!」
短い詠唱と共に、ハルトの左手から渦巻く炎の柱が放たれた。
炎は木々を避け、正確に五匹の影狼を包み込む。
「ギャウッ!」
悲鳴を上げる間もなく、影狼たちは一瞬で黒焦げになり、地面に倒れ伏した。
「すげえ……詠唱速度も威力も、桁違いだ」
レオンが目を丸くして感嘆の声を漏らす。
「さすがは極級の魔力……これが、神の眷属の力ですか」
ミュラも杖を下ろし、畏敬の念を込めて呟いた。
その後も、強力な魔獣が次々と現れたが、ハルトの槍と炎の魔法の前に次々と沈んでいった。
ガランが前に出て魔獣の注意を引き、その隙にハルトが一撃で仕留める。
レオンとミュラ、そしてセシリアも後方から的確に援護を行い、戦闘は驚くほど順調に進んだ。
セシリアも、星乃の介入なしに弩弓を扱い、しっかりとボルトを敵に当てていた。
(私が教えた立ち回りを、ちゃんと実践してるじゃない)
星乃は悔しさ半分、感心半分でその様子を見ていた。
数時間後。
森の奥から魔獣の気配が完全に消え去った。
「よし、この辺りの掃除は終わったな」
ハルトが槍についた血を振り払い、笑顔で振り返る。
「すごい!さすがは勇者様です!」
セシリアが顔を紅潮させ、両手を合わせて称賛した。
「ハルト様のおかげで、予定の半分以下の時間で終わりましたよ」
リリアも少し表情を緩め、頭を下げる。
皆が和気藹々と喋り始め、任務の達成を喜び合っている。
星乃は、セシリアの意識の奥深くで静かに思考を巡らせていた。
(……誰も死ななかった。無事だった)
自身の予想は外れた。
魔人が現れる気配は一切ない。
(私の判断ミスだったか。勇者のパーティーが魔人に襲われたのは、今ではないということね)
歴史の転換点は、もっと先の話だったのだ。
命の危険が回避されたことは素直に嬉しい。
だが、事態は極めて深刻だ。
(私は、セシリアからの信頼を完全に失った)
恐怖で支配していた関係は、ハルトという後ろ盾を得たことで完全に崩れ去った。
彼女は今、完全にハルトを頼り、星乃を祓うつもりでいる。
(任務が終わったら、聖騎士のところに連れて行かれる。そうなったら、私はどうなる?)
ゲームシステムが存在しないこの現実の世界で、神聖な力を持つ聖騎士に祓われたら。
元の肉体が既に過労死しているかもしれない自分は、本当にこの世界から消滅してしまうかもしれない。
(運命のいたずらか、残酷なものだわ……)
星乃は深い絶望と焦燥感を抱えながら、楽しげに笑い合うセシリアたちの会話を、ただ黙って聞いていることしかできなかった。




