11.セシリア!今すぐ撤退するのだ!
「情報外のものが発生しました!総員、警戒しながら撤退準備!」
リリアの鋭い声が、森の木霊を切り裂いた。
彼女は瞬時に杖を掲げ、淡い光を放つ防壁を前方へ展開する。
「ガランは前で盾を!レオン、ミュラ、セシリアは私の後ろへ!」
(賢明な判断だわ。ゲームなら絶対身の程知らずで勝手に参戦して、手痛いカウンターをもらうパターンだけど)
星乃は弩弓を構えたまま、速やかにリリアの背後へ下がる。
リアルな異世界だからこそ、NPCの思考が安全第一に傾く。
この判断の早さは賞賛に値した。
「ちくしょう、一体何が起きてるんだ!外縁部の間引き任務じゃなかったのかよ!」
レオンが不満げに剣を構えながら後退する。
「文句を言っている暇はないわ。あの魔法の余波、ただ事じゃない」
ミュラも額に汗をにじませながら、杖の魔石を光らせた。
ズシンッ、ズシンッ。
地響きが少しずつこちらへ近づいてくる。
「……来るぞ!」
ガランが大盾に身を隠し、声を張り上げた。
その直後、炎に包まれた巨大な黒い塊が、防壁のすぐ手前の地面に叩きつけられた。
ドスゥゥゥンッ!
土埃と火の粉が舞い散る。
「なんだと!?」
ガランが目を見開く。
それは、黒焦げになった巨大な熊型魔獣の残骸だった。
外縁部には存在しないはずの上位魔獣だ。
「的、不明!戦闘準備しろ!」
ガランの怒号に、全員が武器を強く握り直す。
だが、そこから現れたのは、凶暴な魔獣の群れでも、恐ろしい魔人でもなかった。
「ごめんごめん、びっくりさせた?」
ザッ、ザッ。
のんびりとした足音が響き、立ち上る煙の中から人影が姿を現す。
赤い装飾が施された軽装の鎧を纏い、身の丈を越える赤い槍を肩に担いだ、赤い髪の青年だった。
彼は悪びれる様子もなく、爽やかな笑顔を浮かべて手を挙げた。
「申し訳ない。オレは炎の神、ピュラリオンの眷属。帝国騎士団のハルト・ヴェルグだ。偶然ここを通る用事があってね、ついでに邪魔な魔獣を少し討伐してきたんだ」
「炎の神、ピュラリオンの眷属……」
リリアが呆然と呟き、防壁を維持していた杖の先が僅かに揺れる。
「そ、それって……ゆ、勇者様!?」
ミュラが悲鳴に近い声を上げた。
その言葉に、ギルドの中級パーティのメンバー全員が息を呑む。
勇者。
神から高位の加護を受け、この世界で特別な力を持つ存在。
一般の冒険者にとって、おとぎ話の住人にも等しい。
(勇者……そうか、こいつがこのゲームの重要キャラか)
星乃は状況を冷静に分析した。
目の前の男から放たれる魔力の圧は、確かにそこらの冒険者とは桁違いだ。
彼が敵でないと分かり、安全が確保されたと判断する。
(セシリア、ここはあんたに任せるわ。適当に合わせておきなさい)
星乃は体の制御を手放し、意識を少し奥へ引っ込めた。
『えっ?わ、分かりました邪神様!』
突然体を返されたセシリアは一瞬戸惑ったが、すぐに目の前の光景に目を奪われた。
本物の勇者が目の前にいる。
「お、おおっ!勇者様でしたか!いやぁ、あの凄まじい魔法の威力、納得です!」
ガランが大盾を下ろし、興奮した様子でハルトに近づく。
「帝国騎士団の方にお会いできるなんて光栄です!俺たち、ルミナのギルドの者でして」
レオンも剣を鞘に収め、愛想笑いを浮かべる。
「あはは、そんなに畏まらなくていいよ。オレもただの冒険者上がりだからね」
ハルトは朗らかに笑い、槍を地面に突き立てた。
「ところで」
ハルトは視線をリリアへ向けた。
「先ほど、綺麗なバリア魔法を使われていたよね。それは君のスキルかい?」
「あ……はい、私ですが」
リリアが少し緊張した面持ちで答える。
「ヒーラー系の魔法も使えるかな?」
「治癒魔法や、状態異常の回復も一通り修めております」
「なるほどですね!」
ハルトはポンッと手を打った。
「実は、オレは個人戦力はそこそこイケてるんだが、見ての通り一人でね。魔獣の群れを相手にするには、少し手数が足りなくて困っていたんだ」
ハルトは全員を見渡す。
「よかったら、皆さんも私のパーティーに参加してもらえないかな?もちろん、報酬は弾むよ」
勇者からの直接の勧誘。
その言葉に、ガランやレオン、ミュラの顔がパッと明るくなった。
「本当ですか!?もちろん、喜んで参加させていただきます!」
ガランが真っ先に頷く。
「勇者様のパーティに参加できるなんて、冒険者冥利に尽きますよ!」
レオンも身を乗り出す。
セシリアも、胸の高鳴りを抑えきれずにいた。
「わ、私も……お役に立てるか分かりませんが、参加したいです……!」
憧れの勇者様と一緒に旅ができる。
借金返済の道も大きく開けるかもしれない。
ハルトの明るく気さくな性格も相まって、セシリアの心は期待で膨らんでいた。
(まあ、悪くない話ね)
星乃も脳内で同意していた。
桁違いの戦力を持つ勇者が前衛にいれば、安全は確実に保証される。
自分は後方から適当に援護していればいい。
皆がハルトとの合流に沸き立つ中、星乃はふと、ある記憶の断片に引っ掛かりを覚えた。
(……待って)
『スカイマジック』の序盤のシナリオ。
ギルドにいたNPCのリリアは、勇者のパーティに参加する。
そして……。
(リリアは、勇者のパーティに参加してから……魔人に襲われ、勇者以外全員死亡する……)
星乃の思考が、冷水を浴びせられたように凍りついた。
その「勇者」の名前は、ゲーム内では明言されていなかったはずだ。
だが、今の状況がすべてを物語っている。
(やばい!もしかすると、その勇者は……目の前にいるハルト・ヴェルグのことかもしれない!)
星乃の心臓が跳ね上がる。
もしそうだとしたら、このままハルトのパーティに同行することは、確実な死を意味する。
リリアだけでなく、ガランも、レオンも、ミュラも、そして……このセシリアの体に宿る自分も。
全員が、理不尽で強大な魔人の力によって、歴史の闇に葬り去られるのだ。
(セシリア!今すぐ撤退するのだ!断りなさい!)




