10.予測不能な事態なのだ!
暗緑の森は、昼間でも薄暗く、木々の葉が重なり合って光を遮っていた。
湿った土と草の匂いが辺りに漂う中、五人のパーティは慎重に歩みを進める。
先頭を進むのは、巨大な盾を構えた重騎士のガラン。
その後ろに剣士のレオンが続き、中央に魔法使いのミュラとリリア。
最後尾、少し離れた位置に、弩弓を構えたセシリアの体を操る星乃がついていた。
(さすがは中級のチーム。索敵の陣形がしっかりしてるわ)
星乃は周囲を警戒しながら、前を歩くメンバーたちの動きを観察する。
足音を極力消し、死角をカバーし合う動き。
ゲーム内のNPCが見せていた単調な行動パターンとは比べ物にならない、実戦で培われた本物の連携だ。
「新入り、遅れるなよ。はぐれたら命はないぜ」
前を歩くレオンが、振り返らずに声をかけた。
「分かっています」
星乃はセシリアの口を使い、短い言葉を返す。
『魔、邪神様……手が震えます……』
脳内でセシリアの怯えた声が響く。
彼女は意識を後ろに引っ込めているが、体の感覚は共有しているため、森の薄気味悪さに恐怖を感じている。
(大人しくしてなさい。余計な邪魔をしなければ、私が全部対処するわ)
星乃は冷たく言い放つ。
実際、星乃自身も少し緊張していた。
ギルドでの練習で、ある程度体の動かし方は掴んだ。
だが、ここは本物の戦場だ。
(ジャストパリィとジャスト回避……本当ならここで試したいところだけど)
星乃は手にした弩弓の重みを感じながら、思考を巡らせる。
もしタイミングを誤り、回避に失敗したらどうなるか。
ゲームなら、赤いダメージ表示が出て体力ゲージが減るだけだ。
回復薬を飲めばすぐに元通りになる。
しかし現実は違う。
魔獣の鋭い爪が少しでも肉を掠めれば、大量の血が流れ、激痛が走り、戦闘能力は大きく低下する。
最悪の場合、動脈を切られて即死だ。
この凡人レベルの脆い肉体で、格上の魔獣の攻撃をギリギリで躱すなど、あまりにもリスクが高すぎる。
(今は安全第一ね。前衛の連中を盾にして、後方からチクチク削るのが正解よ)
星乃は実験を後回しにし、堅実な戦法を選択した。
ガサガサッ、と前方の茂みが揺れた。
「前方、低級のゴブリン三匹!来るぞ!」
ガランが大きな声で知らせ、巨大な盾を前面に押し出す。
茂みから飛び出してきたのは、緑色の肌を持った醜悪な小鬼たちだった。
錆びた刃物を振り回し、奇声を上げて襲い掛かってくる。
「俺が前を止める!レオン、右を頼む!」
「了解!」
ガランが盾で一匹のゴブリンの突進を受け止め、そのまま押し返す。
その隙に、レオンが身軽な動きで右側に回り込み、細身の剣を素早く振るった。
剣の刃がゴブリンの腕を切り裂く。
だが、もう一匹のゴブリンがレオンの背後から迫っていた。
(そこね)
星乃はすでに弩弓にボルトを装填し、狙いをつけていた。
引き金を引く。
ヒュンッ、と風を切る音と共に放たれたボルトは、レオンの背後に迫っていたゴブリンの肩口に深々と突き刺さった。
「ギャアッ!」
ゴブリンが痛みに顔を歪め、動きを止める。
その一瞬の隙を逃さず、レオンが反転して剣を突き出し、ゴブリンの喉を貫いた。
「ナイス援護だ、新入り!」
レオンが血を振り払いながら声を弾ませる。
星乃はすぐさま次のボルトを装填し、ガランと交戦していた最後の一匹の足を撃ち抜いた。
体勢を崩したところを、ガランが剣で脳天を叩き割り、戦闘は終了した。
「……悪くない動きね。きちんと周りが見えている」
中央で杖を構えていたミュラが、星乃を見て小さく頷いた。
「ええ。前衛の邪魔をせず、的確に隙を埋めています。とても初心者とは思えません」
リリアも少し驚いた様子で評価を下す。
星乃は表情を変えずに弩弓を下ろした。
(ふん、当然よ。ゲームで何度も通った場所だし、魔獣の動きも全部頭に入ってるわ)
星乃は心の中で誇らしげに呟く。
圧倒的な火力はないが、遊撃としては十分すぎる働きができている。
セシリアの体力も、後方支援ならそこまで急激には消費しない。
『す、すごいです邪神様!私、一歩も動いてないのに、魔獣を倒しちゃいました!』
セシリアの興奮した声が響く。
(だから言ったでしょ。私に任せておけば安全だって。あんたは黙って見ていなさい)
その後も、何度か小規模な魔獣の群れと遭遇した。
角の生えた兎、巨大な毒蜘蛛、群れで動く狼。
いずれも低級から中級程度の魔獣だが、星乃はレオンの遊撃と歩調を合わせ、常に一歩引いた位置から的確に弩弓を放ち続けた。
彼女の放つボルトは、魔獣の足や目を正確に射抜き、前衛の戦闘を大いに助けた。
「いいぜ新入り!お前がいると、俺の動きがかなり楽になる!」
レオンが笑いかけてくる。
「そうですね。これなら、外縁部の掃討は予定より早く終わりそうです」
リリアも安堵の息を吐いた。
チームの連携は完璧に機能し、順調に魔獣を撃破していく。
だが、しばらく進んだところで、リリアが立ち止まり、不思議そうに周囲を見回した。
「おかしいですね……」
「どうした、リリア。何か問題か?」
リリアの呟きに、ガランが振り向く。
「何がおかしいんだ、リリア。順調そのものじゃないか」
「順調すぎます。遭遇する魔獣の数が少なすぎる。それに、強さも先日のギルドの被害報告と合いません」
リリアは顔をしかめる。
「報告では、森の外縁部にはもっと凶暴で、数の多い群れが徘徊しているはずです。これでは、ただの定期的な間引きと変わりません」
「そりゃ、たまたま少ない日だっただけだろう。ギルドの報告が大げさだったんだよ」
レオンが肩をすくめて軽く返す。
「いいえ、そんなことは……」
リリアが言い返そうとした、その時だった。
ズゥゥゥンッ!
森の奥深くから、地盤を揺るがすほどの強烈な爆発音が響き渡った。
鳥たちが一斉に空へ飛び立ち、周囲の木々が激しく揺れる。
星乃も思わず身構えた。
突如、森の奥深く、深い木々に覆われた方向から、強烈な爆発音が轟いた。
大地がビリビリと震え、木々の葉がざわめき、鳥たちが一斉に空へ飛び立つ。
「な、なんだ!?」
ガランが盾を構え直し、爆発音がした方向を睨みつける。
「今のは……魔法の爆発音です。かなり大規模な」
リリアが顔色を変えて言った。
「こんな森の奥で、誰が魔法を使ってるってんだよ!ギルドの他のチームか!?」
レオンが剣を強く握りしめる。
「いいえ、今日この森に派遣されているのは私たちだけのはずです」
リリアは杖を握る手に力を込めた。
(魔法の爆発……?しかも、この距離でここまで響くってことは、相当な威力よ)
星乃は心臓の鼓動が速くなるのを感じた。
爆発音の直後、熱風が木々の間を抜けてこちらへ吹き付けてくる。
そして、遠く離れた場所から、男の張りのある声が森に反響した。
『集え、紅蓮の炎。我の槍となりて、目前の敵を焼き尽くせ!』
ドォォォォンッ!
再び、先ほどよりもさらに大きな爆発音が轟く。
遠くの空が赤く染まり、黒い煙が立ち昇るのが見えた。
「なんだ、今の音は!?」
ガランが大盾を前に構え、爆発のあった方向を睨みつける。
「炎属性の高位スキル……今の詠唱、相当な魔力を込められていたわ」
ミュラが杖を強く握りしめ、顔をこわばらせた。
「おいおい、冗談だろ。あんな威力の魔法、森の中でぶっ放す奴がいるのかよ」
レオンも剣を構えたまま、立ち昇る煙を見つめている。
(何よ、今の……。あんな派手な魔法、ゲームの序盤の森で見るようなものじゃないわよ)
『ひっ……ま、邪神様……怖い音がしました……』
セシリアの心が恐怖で縮み上がる。
(落ち着きなさい。パニックになるな)
星乃はセシリアを鎮めながら、森の奥から立ち上る黒い煙を見つめた。
ゲームのシナリオには存在しない、未知の事態。
何かが起きている。
この現実となった異世界で、予測不可能な事態が。
リリアは目を見開き、信じられないものを見るように煙の方向を見つめた。
「今の詠唱の規模……そしてあの爆発。間違いない。この森の奥に、ハイクラスの者がいます!」




