【寄り道】第3話「消された会話」
通路の突き当たりに、古い端末が一つ残っていた。電源は入っている。画面は砂嵐だ。かすかに明滅する光が、通路の壁に影を落としている。埃をかぶっているが、なぜか電源は切れていない。誰かが、ずっと前に電源を入れっぱなしにしたまま、去ったのだろう。
カノジョが、その端末の前に立った。画面の砂嵐が、ゆっくりと動いている。何かを映しているわけではない。ただ、ノイズが流れているだけだ。でも、そのノイズの中に、何かが混ざっている気がした。
「……これ、電源入ってるね」
「ああ。でも、誰も使ってない」
「誰も使ってないのに、ついてるの?」
「つけたまま、忘れられたんだろう」
カノジョが、端末に触れた。画面の砂嵐が、一瞬だけ乱れた。そして、断片的な文字が現れた。
『……まだ、決まって……』
すぐに消える。また砂嵐に戻る。
「……何か書いてあった」
「見えた」
カノジョは、もう一度画面に手を当てた。少しだけ温かい。端末自体は冷たいはずなのに、画面だけが、ほんのりと温度を持っている。
『帰ってこら……場所が……』
また消える。砂嵐が、少しだけ激しくなる。カノジョは、手を離さなかった。
『LOG……』
その文字が現れた瞬間、画面が一瞬だけ真っ白になった。そして、また砂嵐に戻る。その一瞬の白い画面に、彼女は見た。自分の名前らしき文字が、そこにあった。
『カ…ノ………』
それは、一瞬のことだった。彼女は、固まった。スターも、その文字を見た。二人とも、何も言わなかった。端末の画面は、もうただの砂嵐に戻っている。何も映っていない。何も書かれていない。
「……今の、何?」
「分からない」
スターの声が、少しだけ低くなった。彼は、端末の前にしゃがみ込み、画面を覗き込んだ。でも、何も表示されない。ただのノイズだけが、そこにある。
「復元できる?」
「しない方がいい」
「……なぜ?」
「復元した瞬間に、公式の記録になる。消されたものは、消されたままでいい」
カノジョは、端末から手を離した。画面の温もりが、指先に少しだけ残っている。彼女は、その温もりを、ポケットにしまった。
「……誰か、迷ってたんだね」
「ああ。迷って、そのまま、ここに残したんだ」
二人は、端末をいじらず、そのまま離れた。スターが、最後にもう一度だけ振り返った。端末の画面は、砂嵐のままだった。何も変わっていない。
通路を戻る途中、カノジョが立ち止まった。彼女は、自分の手のひらを見つめている。何もない。でも、さっきまで、確かに何かがそこにあった。
「ねえ。これ、誰かに渡した方がいい?」
「渡したら、整理される」
「整理されたら?」
「ノイズじゃなくなる」
カノジョは、ポケットに手を入れたまま、うなずいた。
「……じゃあ、まだ持っとく」
スターは何も言わなかった。ただ、ギターの弦を一本だけ弾いた。その音が、通路の奥へ吸い込まれていく。どこにも届かない。でも、確かに、そこにあった。
【非公式観測記録】
対象:消された会話の残滓
処置:復元せず、放置
特記:一瞬だけ、名前の一部が浮上した
観測継続。




