【寄り道】第2話「名前のない棚」
裏道の奥に、ラベルの剥がれた棚が並んでいた。分類コードもない。端に、手書きで「残置」とだけ書かれている。
カノジョが、その棚の前に立つ。誰も来ない場所なのに、なぜか埃は少なかった。最近、誰かが触ったのかもしれない。それとも、ノイズが勝手に動いているのかもしれない。
「……これ、みんな残されたもの?」
「そうだな。誰かが置いて、誰も回収しなかったものだ」
カノジョが棚から、折り畳まれた布切れのようなデータを引き出した。触ると、ほんのり温かい。色は、はっきりしない。赤でもなく、オレンジでもない。その間の色が、ゆっくりと変わっている。
「これ、なに?」
「記録されてない温度だ。数値にならなかったやつ」
スターは隣の棚から、小さな音の破片を拾った。再生すると、誰かの足音だけがする。行き先も、名前も、日付もない。一定のリズムで、どこかへ向かっている。
「誰の足音だろうね」
「分からない。分からないまま残ってる」
カノジョはその足音を、ラムネの袋にそっと入れた。
「捨てるの、もったいない」
スターがもう一度棚を見る。その中に、一つのデータがあった。再生ボタンが押されていないのに、かすかに音が漏れている。彼は、それを手に取った。
「……これは、歌だ」
「歌?」
「ああ。でも、途中で切れてる」
スターが再生すると、昔の曲のサビのような音が流れた。メロディはある。歌詞は、何を言っているのか、はっきりしない。最後の一行が、抜けている。
「ラーラ……♪」
スターが、自然に続きを口ずさむ。カノジョは、そのメロディを聞いて、自分も声を合わせた。
「ララーラ、ランララン……♪」
適当だ。正確な歌詞は分からない。でも、そのメロディが、なぜか二人には正しく聞こえた。
その時だった。壁の端末が、かすかに反応した。青い光が、一瞬だけ点滅する。
『それは登録されていません』
機械的で、冷たい声だった。でも、その声が、なぜか笑えた。カノジョが、最初に吹き出した。スターも、それに釣られて笑った。
「……登録されてないのに、再生されてたんだね」
「ノイズは、そういうものだ」
スターが、その歌の破片をポケットに入れた。登録しない。報告もしない。ただ、持って帰る。それだけでいい。
二人は棚の前に腰を下ろし、拾ったノイズを並べた。光の粒、温かい布、足音、そして歌の断片。意味はつながらない。それでも、なぜか捨てられなかった。
スターがギターの弦を一本だけ弾く。低い音が、棚の隙間に吸い込まれていく。その音は、今拾った歌のメロディとは違う。でも、どこか似ていた。似ている気がした。
「……ここ、誰も来ないの?」
「公式の地図には載ってないからな」
「じゃあ、私たちが来たことは?」
スターは少し間を置いて、答えた。
「……記録には残らないな」
二人はしばらく、並べたノイズを眺めていた。会話はなかった。必要なかった。
【非公式観測記録】
対象:未登録の歌の断片
処置:提出せず、個人保管
特記:端末は「登録されていません」と返した
観測継続。




