第61話 お別れの時間です…また会う日まで…
相変わらずの急いだように降りていく人の流れを眺めながら紘一は「行こうか」と呟いた。
何となくのぎこちなさを勢いで押し切ってみる。
志乃もホッとしたような笑みをこぼして「行かないとね」と返してくる。
どことなく照れ臭いやり取りを感じながら、先にタラップへと向かう志乃の背を見つめる。
『おい』と言わんばかりに龍騎が鞄に添えた手を蹴ってきた。
紘一は、小さくため息を漏らして志乃の後を追った。
下船はどうやら最後になったようだ。
船を降りると、桟橋の先には緑が広がっていた。
竹生島は…琵琶湖に浮かぶ小さな島…
西暦724年、行基が聖武天皇の勅命を受け…
本尊として大辨財天を開眼したことに始まるとされている。
戦国の世には、織田家をはじめ多くの武将たちの信仰を集めたという。
お告げを受けたかどうかは知らないが…
その後も多くの武将たちの信仰を集めた。
観光地というよりは信仰の島という表現の方がしっくりくる。
そんなことを考えるのは、落ち着かない気持ちを誤魔化すためなのかもしれない。
「はい」
志乃が受付で入島料を支払い、チケットを一枚差し出してくる。
「どうも……って払うよ」
慌てて財布を出そうとすると、
「いいよ」
と志乃が笑った。
「取材経費で落ちるんじゃないの?」
「落ちるけど」
「じゃああとで」
そう言って先に歩き出してしまう。
結局払わせてもらえないまま紘一は苦笑した。
階段の先には朱塗りの建物が見える。
石段。
緑。
朝の光を受けて静かに佇んでいる。
船着き場の賑やかさはすぐに後ろへ消え、島独特の静けさが包み込んできた。
とりあえず黒龍堂…だな。
ただ来るたびに思うのだが、階段は急で長い。
よし!と気合を入れるように頬をパンパンと叩いて階段を上がる。
紘一は迷わず、看板の通りに都久夫須麻神社の方向へ足を向けた。
「えっ」
志乃が後ろから声をかけてくる。
「で?」
志乃が横から覗き込んだ。
「ん?」
「どこ行くの?」
紘一は迷わず答えた。
「黒龍堂」
「順路を守ろうか」
即答だった。
「いや、でも――」
「順路」
二回目だった。
「取材だから」
「取材だから順路」
正論だった。
ぐうの音も出ない。
志乃は満足そうに頷く。
「まず宝厳寺からでしょう」
「はい」
紘一は観念した。
石段を再び上る。
朝早いこともあり参拝客はまだ少ない。
それでも時折すれ違う人々の表情は穏やかだった。
宝厳寺。
西国三十三所第三十番札所。
竹生島を代表する仏閣でもある。
紘一は、石段の途中で立ち止まりながら写真を撮る。
ついでに振り返っても一枚。
木々の隙間から琵琶湖が見える。
島にいるはずなのに空の中へ浮かんでいるような感覚になる。
「景色いいね」
志乃が先に階段を登り切り振り返りながら言う。
「だな」
素直に頷く。
そこに添えられる笑顔にもう一度告白しそうになる。
返事をされていないことを忘れて…
忘れていないのだが。
こうして歩いていると少しだけ気持ちが軽くなる。
本堂で手を合わせる。
取材とはいえ参拝はきちんとする。
龍騎はカバンの上で寝ころび欠伸をしていた。
天音は静かに本堂を見上げている。
『お疲れさま』
「えっ?」
済んだ甘い声色に紘一は振り返り志乃をみた。
志乃がきょとんとしている。
もう一度、本尊の方へと視線を向ける。
秘仏ゆえに前立の像…その後ろに祭神として八臂辨財天がいる。
まさか?と思って、ないないと否定をする。
『相変わらずね』
「えっと…」
『気にしないで、玄李と珠姫の願いを聞いてくれてありがとう』
『どういたしまして?』
紘一の頭にくすっと笑い声が響いた。
紘一は頭をゆっくりと、深々と下げた。
無事にここまでたどり着いたことへの感謝を。
そして、これからの道中の無事を。
『そういう律儀なところ、嫌いじゃないわよ』
頭の奥で鈴のような笑い声が響いた。
気付けば気配は消えている。
「…気のせい、気のせい」
紘一は小さく呟いた。
紘一は振り返った。
志乃が顔を覗き込んでくる。
「何かあった?」
「…何もないよ。次に行こうか」
本尊に背を向けて、紘一はそそくさと本殿を後にして観音堂へと向かう。
紘一は千手千眼観世音菩薩に手を合わせた。
それに倣うように志乃も手を合わせた。
何となく横に並ぶ。
鞄の上で、天音と龍騎も手を合わせた。
「龍騎は…ここが家か?」
「一応…でもお、天音を見送る」
紘一は少しだけ笑った。
龍騎なりに格好をつけているのだろう。
天音が困ったように紘一を見てから志乃へと視線を流した。
きっと頬を真っ赤に染めているのに残念…と志乃はふと思ってしまう。
何故か胸を張って誇らしげな龍騎が可愛く見えてしまう。
頭を掻きながら、小さく微笑んだまま龍騎を見つめている天音も。
二人の間に流れている時間…
それは志乃には理解できないほど長い時間なのだろう。
それでも。
ふたりの時間がこれからも続けばいい。
そんなことを志乃は思った。
志乃はきゅっと紘一の手を握った。
ふたりの時間がうまく続くことを願ってしまう。
志乃はきゅっと紘一の手を握った。
紘一はその手のぬくもりを確かめるように握り返した。
それにしても…
何故、ふたりは別れを惜しんでいるのだろう。
そんなことを紘一は考えていた。
「じゃあ、行こうか」
紘一が声を掛ける。
天音は小さく頷いた。
そして都久夫須麻神社へ向かって歩き出す。
龍騎は少しだけ天音に近付いた。
手が触れるか触れないかの距離。
その微妙な距離感に紘一も志乃も苦笑して顔を見合わせた。
船廊下を抜けると天音がすくっと立ち上がった。
「ここまでかな」
天音が呟いた。
「ん?」
志乃が首を傾げる。
天音は少しだけ笑った。
「呼ばれてる」
その視線の先にあるのは都久夫須麻神社の舞台。
龍騎が視線を向けた。
「あぁ」
それだけで通じたらしい。
天音は一歩前へ出る。
風が吹く。
ふわりと髪が揺れた。
「またね」
その言葉だけを残して姿が薄れていくような気がした。
朝日に溶けるように。
最後に小さく手を振ると、その姿は完全に消えた。
「じゃあ俺も…」
龍騎が言いかける。
しかし何も起きない。
沈黙。
龍騎が首を傾げる。
もう一度試す。
何も起きない。
「…あれ?」
「帰れないのか?」
紘一が訊ねる。
龍騎はしばらく考えたあと、「帰れない」と結論を出した。
しょぼんとしているのがわかる。
その横で狸のぬいぐるみが横たわっている。
「…さて、と」
紘一は船廊下を観音堂へ向かう。
理由は分からない。
だが龍騎は何となくそちらを見ている気がした。
観音ならば、そこが一番つながりが強いはずだ。
でも何も起きない。
紘一は、千手千眼観世音菩薩を眺めながら溜息をついた。
じっと見つめる。
何となく分かったことがある。
神も仏も真摯に見つめると照れて反応してくれる。
『えっと…』
『理由みたいなものを聞かせてくれる?』
観音は溜息をつく。
その質問だけで求められているものがわかるようだ。
『いくつかある』
その答えに紘一は龍騎を睨んだ。
龍騎は首をフルフルと左右に振っている。
『ひとつは、辨財天の宝玉との融合だ』
『? 依り代にしたやつ?』
『ああ。お調子者は質の良い宝珠を複数使った』
『うん』
『そこに宿っている…簡単に言えば分け御霊になっている』
『…1個でよかったとか?』
『ありていに言えば』
観音が苦笑を浮かべる。
紘一は龍騎に向かって溜息をついた。
『他の理由は?』
『帰るべき宝玉がないこと…』
『宝玉…龍騎の?』
「すまん、まだ作れない」
『それにあったとしても…ひとつの器に3つは入らない』
『……分けたんだからひとつに融合するとか…』
『ときを経てひとつの宝玉になってからならな』
紘一は龍騎を見た。
慌てて首を振る。
どうやら知らなかったらしい。
『分け…といっても実際に分かれているのではない』
『じゃあ一つということで何とか…』
『………』
観世音菩薩が紘一に届きそうな勢いで溜息をこぼした。
『もう別の魂が宿っている』
『……え?』
『龍騎が抜けたことで空になった』
『空になったら…そんなに簡単に入れる?』
紘一は呆れたように尋ねた。
『新しい魂が根付いたわけだが…龍騎が宿ったように無垢な魂がとどまりやすい』
「無垢?」
「悪いか?」
「いや…意外だ、と」
紘一は苦笑をこぼした。
龍騎の頭をなでる。
『宝玉はときに命の卵のようなものだ』
『簡単に言うよね』
紘一が溜息をつく。
『事実だけだ』
『だったら、行っている間くらい護ってくれても』
『………』
『え…まさか?』
『私は許可した覚えはないがな…』
『…帰る場所がなくなったのは?』
『気付いた時には手遅れだった』
『……』
『日々どれほどの祈りが届き、どれほどの願いが留まると思う?』
『…多いだろうな』
『私もひとつ聞いていいか? 何かの役には立ったのか?』
「た、たぶん立った!」
熱心に仏像を見つめる紘一を見ていた僧侶がキョロキョロとする。
『例えば?』
「! 天音と一緒にいた」
『そうか』
観音はそれ以上何も言わなかった。
龍騎も黙る。
しばらくしてから紘一が頭を抱えた。
「お前、それデートしたかっただけじゃないか」
「悪いか?」
胸を張る龍騎に、紘一は盛大にため息を吐いた。
そのまま、タヌキの頭をわしゃわしゃと撫でた。
『また来るわ』
お読みいただきありがとうございます。
基本的に 不定期更新の のんびり進んでいきます。
ご意見、ご要望あればうれしいです。
アイデアは随時…物語に加えていければと考えています。
今回、チャレンジ企画に挑戦!です
よろしければお付き合い願えればと思います




