第60話 返事はきかせてもらえないものですか? 即答以外の恋愛に縁がありません!
※本作はフィクションです。
登場する人物・団体・医療機関・地名・制度・報道内容・感染症等はすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
また、作中に描かれる医療対応・行政措置・報道表現等は物語上の演出を含み、実際の法令・運用・対応手順とは異なる場合があります。
白鬚神社を後にしたあとも、どこか落ち着かなかった。
結局、返事は聞けていない。
いや…聞けなかった。
聞けるわけがない。
返事がない時点で空振っている可能性が高い。
龍騎たちが乱入したこともある。
それを言い訳にしてしまえば楽だ。
でも…本当は違う。
あの続きを聞く勇気がなくなっただけだった。
それもあってか…今津港へ向かう車内は妙に静かだった。
何かしら志乃が話題を見つけてくれていたのだが…
何かを察したのか、龍騎も天音も静かだ。
でも…窓の外を眺める時間が長い。
…なぜ、行きしなにしたのだろうか。
帰りにすればこの拷問のような静かさはなかったのに…後悔しか思いつかない。
紘一も無理に話しかけようとはしなかった。
下手なことを言えば今朝の話に触れてしまいそうだった。
そして、その先を聞く覚悟がゆっくりと遠ざかっていく。
もうこのまま風化してくれてもいいと思う。
そんなことを考えているうちに今津港へ到着してしまった。
志乃をローカル線の終着駅を思わせる待合所前で降ろす。
といったところで、初めてくる港。
勝手がわからずにナビの指示通り来ただけにすぎない。
今津港の待合所は、どこか湖畔の小さな駅を思わせた。
琵琶湖汽船の看板がなければ、そのまま列車を待っていても違和感がない。
小さなローカル駅…そんな勘違いが町中に溶け込んでいる建物だった。
少し困るのは駐車場が離れていることだろう。
駐車場へと車を向かわせるために転回する。
その様子を志乃は眺めることなく建物の中へと入っていく。
それをサイドミラーで確認しながら小さな溜息を漏らしてしまう。
車を止めて港へと急いで向かう。
少しだけ気が重い。
「何をしたんだ?」
龍騎が横を小走りに走りながら声をかけてきた。
「何かをした記憶は…」
あるから告白をした。
とても無いとは言えない。
「ないのに、車の中は冷蔵庫並みに冷えているのか?」
「…クーラー消すか」
「よくわからないが、玄李が言っていたぞ…」
「何を?」
「オスはとりあえず謝ればいいらしい」
龍騎は胸を張る。
「理由も何もなく、ただ謝ったとか?」
「もちろん」
「お前、それでどうなった?」
「………」
「……絶対に騙されているぞ、龍騎」
「えっ?」
龍騎が足を止めた。
「天音に何かしたのか?」
「…何ということはない。何か落ち込んでいるみたいだったから…」
「理由も何もなく、ただ謝っとか?」
「…お…れ…が謝る必要など……何処にも…ない」
自身無さげな声に紘一は苦笑した。
今津港は琵琶湖西岸に位置する港。
竹生島へ渡る船が発着する場所としては長浜港ほど知名度は高くない。
綺麗な言い方をするのなら、その分だけ落ち着いた雰囲気がある。
観光客もそれなりに訪れているが…純粋に参拝のみを目的にする人の方が多いようだ。
そのせいもあって、慌ただしさがなく、湖を眺める時間が残されている。
紘一たちはチケットを買うと港側に出た。
第1便が出るにも少し早い目の時間帯、何人かが琵琶湖を眺めに出てきている。
のんびりというよりは、のどかな時間が流れていく。
琵琶湖を眺めると、湖面は朝の光を受けて穏やかに揺れていた。
風も弱い。
まるで海のように広い。
それなのに塩の匂いはしない…当たり前だが。
初めて訪れる港なのに、何度も来ているような概視感にとらわれる。
竹生島へ向かう港なのに、島の姿は見えない。
それでも船は迷うことなく湖の奥へと向かう。
見えないからこそ、これから向かう場所への期待が膨らむのかもしれない。
そんなことを考えていると風が志乃の頬を撫でた。
緊張しないで…そう優しく語りかけてくれるような気がした。
それが…緊張を余計に浮き彫りにする。
自分の胸の内が余計にはっきりしてしまう。
返事をしなければならない。
そう分かっているのに、頭の中はまだ整理できていなかった。
まだ見えていない。
竹生島も。
そして…自分の答えも。
気持ちだけがはっきりしているのに…
「ノスタルジックっていうのが合うのかな? 懐かしいかも…」
ポツリと志乃が口にする。
「そうなんだ」
紘一も湖面へと視線を向けた。
波は穏やかだった。
空と湖の境界も曖昧で、遠くへ行くほど青に溶けている。
何も見えない。
それなのに、不思議とその先に竹生島があることだけは疑えなかった。
志乃は小さく息を吐く。
返事も聞けていない。
自分がどうしたいのかも整理できていない。
紘一は少し下がり、静かな湖面を写真に収めた。
シャッター音がひとつ響く。
志乃はその横顔を見つめたまま、小さく唇を噛んだ。
少なくとも怒ってはいないらしい。
と…信じたい。
それだけ判れば、いまは十分だった。
深く考えるのは止めよう。
どうせ、もう投げてしまったボールだ。
返してもらえるかは…相手に委ねるべきだ。
乗船時間を知らせるアナウンスがながれた。
白い船体がゆっくりと岸壁へ寄ってくる。
船内へ入ると観光客たちが思い思いの場所へ散っていく。
出港を告げる汽笛。
ロープが外される。
船が静かに港を離れていく。
振り返ると今津の町並みが少しずつ遠ざかっていった。
湖上へ出ると視界が一気に開ける。
船は静かに岸を離れた。
湖面を割る音だけが規則正しく響く。
いまさら降りることもできない。
というよりも、降りれない。
それは竹生島へ向かう船も、自分の気持ちも同じだった。
そんな風にも感じてしまう。
志乃は紘一から離れるようにキャビンの一番前に座っていた。
乗る前に元に戻れそうだったのに…アナウンスが邪魔をした。
もう少し、会話が流れたらあとは…元通りだったはずなのに…
志乃は小さく息を吐く。
「いいの?」
天音は、志乃を見上げながら訊ねた。
何を尋ねられているのか…確認しなくても解る。
魄が結ばれていることで伝わるものがあるらしい。
感情が大きく揺らぐときに…思いが飛び込んでくる。
内容までは分からないが、漠然とした思いが塊になって。
昨夜の天音と龍騎のやり取りの天音の苛立ちのように。
「どう思う?」
「どうと聞かれても、困るけど…何を気にしているの?」
「…年齢とか?」
「気にすることないんじゃない?」
「そうかな?」
「うん。私でいえば龍騎と200歳は離れているよ」
人というのはおかしなところを気にするものだ、と思いながら天音は言葉を足した。
そもそも、神代に準拠する存在の姿は、最も力が発揮できるところで止まる。
子供から始まり、少年、青年へと変わっていく。
そこで止まることもあれば、その先へ進むこともある。
年齢などあってないようなものだ。
「…え」
「確か平朝臣織田上総介三郎信長が訪れた1570年だったかな…戦勝報告祈願の頃だったと思うよ」
「信長?何が?」
「龍騎が生まれたのは…強い思いの欠片…そう言うのも誕生のきっかけなんだよ」
天音はクスッと笑った。
「誕生」
「うん。卵が先か鶏が先か…みたいな話だけど。意識を持ったのはその頃だったはず」
「壮大な話だ」
志乃はクスッと笑って天音の頭をポンポンと叩いた。
「この湖みたいにね」
右も左も水面。
遠くには比良山系。
空と湖の境界が曖昧になる。
竹生島まで約二十五分。
短い船旅だ。
それでも湖の真ん中に出ると非日常を感じる。
波が船体を叩く音。
風。
エンジンの低い振動。
その全てが旅を演出してくれる。
その風に乗ろうかな…
志乃は立ち上がってデッキへと向かった。
「気持ちいいね」
志乃が手すりにもたれながら紘一に声をかけた。
声の方へと視線を向ける。
風に流れる髪。
朝日に照らされる横顔。
妙に綺麗だと思ってしまう。
紘一は慌てて視線を逸らした。
まだ聞かない方がいい気がした。
いまはまだ。
聞いてしまえば、この時間が終わってしまう気がした。
だからもう少しだけ。
返事のない時間に甘えることにした。
船は湖面を滑るように進んでいく。
遠くに浮かんでいた影が少しずつ輪郭を持ち始める。
竹生島。
宝厳寺の伽藍。
島を覆う深い緑。
近付くほどに、その存在感が増していく。
「見えてきた」
志乃が小さく呟いた。
船内に下船準備を知らせるアナウンスが流れる。
観光客たちが立ち上がり始めた。
紘一もカメラバッグを肩へ掛ける。
その上にトンと龍騎が飛び降りた。
天音に手を差し出し、天音はその手をトンと叩いてカメラバックに乗る。
返事はまだ…というか、このままでもいいような気がした。
自然な距離感で…いまはそれでよかった。
まずは取材。
まずは竹生島。
船はゆっくりと桟橋へ近付いていく。
ゴトン。
小さな振動が船体を伝わった。
お読みいただきありがとうございます。
基本的に 不定期更新の のんびり進んでいきます。
ご意見、ご要望あればうれしいです。
アイデアは随時…物語に加えていければと考えています。
今回、チャレンジ企画に挑戦!です
よろしければお付き合い願えればと思います




