第56話 祭りの後の静けさに…なったらなったで寂しい…
※本作はフィクションです。
登場する人物・団体・医療機関・地名・制度・報道内容・感染症等はすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
また、作中に描かれる医療対応・行政措置・報道表現等は物語上の演出を含み、実際の法令・運用・対応手順とは異なる場合があります。
紘一はふ~と息を吐く。
右手のブレスレットに苦笑する。
しっかりと前後の足を握り合わせるようにして繋がっている。
別に構わないのだが、この手のお洒落をするタイプではないだけに恥ずかしい。
幸いなことにシャツで隠せるとはいえ、紘一の意思では外れてくれないようだ。
指輪も外す努力をしてみたがしっかりと食い込んでいる。
実に身勝手なものだ…と考えていると5階へとたどり着いた。
ちん!
その響きにドキッとする。
どこか気が抜けている自分に安心してしまう。
エレベーターを降りるとまだ落ち着きが戻っていなかった。
看護師も医師も走り回っている。
事務職員もバタバタとしている。
ナースステーションでも忙しなくしている。
とはいえ、ゾーニングエリアはロックを解除してもらわないと入れない。
声をかけると、すぐに「どうぞ」と返事が返ってきた。
確認事項もなく入れるだけ、スタッフたちも浮かれていた。
現場で働く、医師、看護師にとって、隔離されるかどうかは大きな問題だ。
それなりに危険を伴う。
医師によっては他の病院でも働いていることがある。
どう考えても、隔離病院扱いされているところで働くわけにもいかない。
看護師にしても同じだろう。
どこも慢性的な人手不足だ。
特に小さな診療所と連携する病院は死活問題のはずだ。
行政補助は、一時的には落ち着くかもしれない。
でも、それが原因で首を絞めることも間違いなくあるだろう。
浅はかな行動が迷惑をかけるのは、病院だけではない。
患者にも、医師にも、看護師にも、そして裏方を支えるスタッフにも迷惑がかかる。
そんなことを思うと、さっきの医師の名前を聞いておくべきだったと後悔したくなる。
紘一が病室へ入ると、奏音はベッドの上で静かに眠っていた。
規則正しい寝息。
…規則正しい…正しすぎる?
その姿を見て、ようやく肩の力が抜ける。
「よか…」
言いかけた言葉に重なるよう「よかった」と志乃が抱きしめてきた。
その勢いに、龍騎も天音も後ろに落ちてしまう。
ぼすっ。
その音に紘一は苦笑する。
「心配してくれていたのか?」
「するに決まっているでしょ」
即答だった。
「決めなくてもいいけど」
「だって…急に消えるし」
「言わなかった?」
「聞いてません!」
即答で食い入り気味に言葉が載ってくる。
志乃は頬を膨らませる。
その様子に紘一は肩を竦めた。
病室の窓から望む景色はどこかもの悲しい。
すでに面会の許可時間は終わっている。
無関係な紘一がいて良いわけではないが…何も言わずに帰るにも…
というか、退院での移動をする必要があった。
「まぁ、それはそれとして…退院はどうなった?」
「あ…帰っていいって」
「…どうして準備していないの?」
「できているよ…いま、母が清算に行っている」
「…そうなんだ」
紘一は壁にもたれふ~と息を抜いた。
長い一日だった。
ぬるまいお湯で長時間体を休めたい気分だ。
どこかのサウナにでも…そんなことを考えてしまう。
「それで?」
志乃が椅子に腰掛けたまま首を傾げる。
「えっ?」
「『え』じゃなくて…この後は?」
「ああ~、明日、朝一で滋賀に行く」
紘一はあっさり答えた。
「頼まれごとが終わったからな」
「終わった?」
志乃が眉を寄せる。
「でも、まだ苦しんでる人はいるよ?」
その言葉に紘一は少しだけ困ったような顔をした。
正直、何も考えていない。
珠姫も何も言わなかった。
できることは何もない。
気がする。
そうでなければ、戻って来いとは言わなかっただろう。
ただ、その説明は紘一にはできない。
全く解っていないから…
「龍騎さん」
龍騎が首を左右に振る。
「天音さん」
天音が首を左右に振る。
「さて…困ったな」
紘一が溜息を吐きながらポツリと呟いた。
「世間擦れしていない巫女は…もう」
奏音が苦笑しながら上半身を起き上がらせた。
その声に志乃が振り向く。
いつの間に目を覚ましたのだろう。
ずっと眠っていただけに、少し心配になっていた。
その健気さに紘一が苦笑する。
呼吸のリズムで気付いてもいいものなのに…と。
「放っておきなさい」
静かな声だった。
「でも……」
志乃が言い返そうとする。
奏音は小さく首を振った。
「逢魔が時って知ってる?」
唐突な問いだった。
志乃が首を傾げる。
「夕方?」
「そう。昼でも夜でもない時間」
奏音は窓の外へ視線を向けた。
「昔はね、そういう境目の時間には『魔』が入り込むって考えられていたの」
「魔?」
「うん」
奏音は小さく頷く。
紘一は壁を背にしゃがみこんだ。
天音と龍騎を膝の上に移動させる。
まるで小さな子供が難しい話を聞くような格好になる。
「合ってる?」
小さな声で紘一が天音に聞く。
俺じゃないのか?と言わんばかりに龍騎が振り返った。
「色々な考え方があるからね…ただ『ま』とは『魔』だけではなく『間』も含まれる」
「駄洒落?」
「それに近いかもね。でも、『間』が生まれるからその隙間に『魔』が入り込める」
「…昔の考え方…というだけ?」
「神代の考え方でもあるかな…取って代わる…入れ替わる」
「…それって」
「人が妖怪になるのか、妖怪が人になるのか…似てるよね」
天音は面倒くさそうに笑った。
「人の心が緩む時間帯…か」
「でも、本当に怖いのは外から来る『魔』じゃないのかもしれない」
奏音は言葉を区切り、志乃を見つめた。
「『魔』ってね、全部が外から入り込んでくるわけじゃないの」
「違う?」
志乃が小さく首を傾げる。
「ええ。魔には二種類あるの」
奏音は静かに続けた。
「ひとつは、どこかから紛れ込んでくるもの。もうひとつは…その人の中で生まれるもの」
「中で…生まれる?」
「弱さとか、欲とかね」
奏音は少しだけ視線を落とした。
「それに自分から手を伸ばしてしまったとき、形になる。……それが『魔』になるってこと」
志乃はその言葉の途中で、一瞬だけ思考が引っかかった。
(…あの男?)
記憶の奥に、うっすらと影がある。
見えていたのに、何かが一瞬だけずれた。
確かに存在していたはずなのに、輪郭が曖昧だ。
思い出そうとするほど、細部がこぼれていく。
ぬらりとした気配だけが、記憶の底に残っている。
何かを飲み込むような、下種な笑い方。
胸の奥に、嫌な感覚だけが遅れて浮かんだ。
その違和感は掴めないまま、ただ胸の奥に残り続けていた。
もう、終わったはずなのに…どこかがまだ引っかかっている。
「昔の人はそれを、『魔に魅入られる』って言ったの」
志乃は息をのんだ。
「全部を救える人なんていない…ということね」
奏音はゆっくりと言葉を続ける。
「さっき、鳴海が助けてくれたのは、外的に『魔』を植え付けられた人たち…」
「えっ? じゃあ残った人もいるの?」
「このフロアにはいないけどね。でも、全員が『魔』に操られていたわけじゃない」
奏音は少しだけ悲しげに言葉を続ける。
「自分の中にある欲を優先し続けて、その結果として『魔』に触れてしまった人たち」
志乃の視線が揺れる。
「誰かの悪意によって、周りの負の感情を集めさせられた依り代のようなものかな」
「そんな…」
「戻れるということは…残っている人たちは『魔』に充てられただけ」
奏音の表情が悲しそうになった。
「その人たちは自分で選んだ」
病室が静かになる。
奏音は目を閉じた。
「何かに操られていたということじゃないの」
「でも…」
「自分の中にある欲しいものを優先し続けること…欲求を得るために心を代償にした」
その言葉に志乃は紘一を見た。
紘一が小さく頷く。
それは理解できた。
誰かを傷つけてでも…
嘘をついてでも…
奪ってでも…
そういう自分本位の考えで行動をしてしまう。
きっと誰もが理性というものを学んできたはずなのに…
それを止めることができない。
「そう思い始めた時には、もう足を踏み入れてる」
奏音の言葉に志乃が小さく息を呑む。
その言葉に重なるように、志乃の脳裏に一瞬、あの男の顔がよぎった。
自分の欲にだけ取りつかれ、周りのものを口八丁で騙そうとする。
少しだけ、冷静に考えれば、嘘が浮き彫りになるのに…
多くの人を巻き込み、様々な不幸を撒き散らした。
その私利私欲は終わりを迎えたようだ。
だからこそ、そこからこぼれた不幸が気にかかる。
もしかしたら、自分でも役に立つのかもしれない。
そう思っている。
「もちろん、ただ、魔に魅入られた人もいる」
奏音の声が続く。
「うん」
「その人は自分で気付けば、抜けだせるから」
奏音は紘一へ視線を向ける。
「あなたにはあなたの役目があるんでしょう?」
「たぶん…」
「曖昧ね」
「何もない」
その返答に奏音が吹き出した。
志乃も思わず笑う。
張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。
「滋賀かぁ、何しに行くの?」
「報告と龍騎と天音を送っていく…天音が残るなら志乃に預ける」
「………」
志乃は窓の外を見る。
そして…「じゃあ私も行く」とさらっと言った。
紘一が固まる。
「は?」
「行く」
「なんで?」
「気になるから」
「理由になってない」
「なる」
志乃は頷いた。
まったく譲る気がない顔だった。
「観光じゃないぞ」
「知ってる」
「朝一だぞ」
「知ってる」
「寝坊したら置いていく」
紘一は諦めたように息を吐く。
「で、何処に?」
志乃の問いに何も考えていなかったことに気づかされた。
「とりあえず、私を家に送ってもらってもいいかしら?」
奏音は、意味深に微笑みながら言った。
お読みいただきありがとうございます。
基本的に 不定期更新の のんびり進んでいきます。
ご意見、ご要望あればうれしいです。
アイデアは随時…物語に加えていければと考えています。
今回、チャレンジ企画に挑戦!です
よろしければお付き合い願えればと思います




