第55話 終息は突然に…? 次に行ってみよう!
※本作はフィクションです。
登場する人物・団体・医療機関・地名・制度・報道内容・感染症等はすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
また、作中に描かれる医療対応・行政措置・報道表現等は物語上の演出を含み、実際の法令・運用・対応手順とは異なる場合があります。
紘一の指先が漆黒のスライムに触れようとしていた。
プルプルとしたゼリー状の表面に、微かに床に残っている黒い霧が吸われていく。
それは吸い取っているかのようにも見えた。
まるで、負の雑念を消し去るかのように。
紘一は不思議な気分でそれを眺めていた。
黒い存在が悪い物のよいにどこかで思っていたのかもしれない。
急ぎ。取り払うべきものに思えていた。
でも、このスライムを見ているとそうではない気がしてくる。
そう思うとどこか愛らしくも思える。
いつの間にかしゃがみ込み近付いていた。
人差し指を伸ばす。
「おい、やめておけ」
その声に龍騎の方へと視線を流した刹那、体のバランスが崩れたように…
ぬぷっ…
独特の感触。
粘着質のノリの中に指を突き立てたような感覚…
冷たいとも熱いとも違う不思議な温度感。
ぬるりとした感触だけが指先に残る。
その瞬間だった。
世界が反転した。
足元が消える。
身体が落ちる感覚もない。
ただ景色だけが遠ざかり、黒い闇が視界を埋め尽くした。
「えっ…」
声も途中で消える。
気付けば紘一は水面の上に立っていた。
鏡のように静かな水面。
空もない。
地平線もない。
ただ白い光だけがどこまでも広がっている。
はじめて見る景色のはずなのに。
なぜか懐かしい。
自分の中にあるあの場所に似ている気がした。
でも、同じではない。
そこがスライム状になった宝玉の世界であることは何となく伝わってきた。
「龍騎!」
「えっ? 俺」
「驚かすから…」
「ええ~」
龍騎たちはスライムに駆け寄った。
「き、消えた」
その声に龍騎は振り返り溜息をついた。
まぁ、そうだと思う。
ぬいぐるみが走り回るよりも人が消える方が問題だろう。
この非現実的な状況を見ているのは、どうやら事務局長と呼ばれる一人だけのようだ。
「「幻覚で…」」
天音と龍騎は声を揃えて呟いた。
「ここは」
紘一は空を見上げた。
白夜とでもいうのだろうか。
好きな空の色をしていた。
世界がモノクロに染まっているとしたら、こういう空色になるのだと思う。
「意外に早かったかな」
不意に声がした。
紘一が振り向く。
少し離れた場所に少女が立っていた。
長い黒髪を揺らしながら、困ったように微笑んでいる。
「珠姫…の世界か」
「あまり驚かないのね」
珠姫はゆっくりと紘一に近付きながら苦笑した。
夢とも現実ともつかない境界とでもいうのだろうか。
心地よく、どこか不安定だ。
「わっ、どこだここは!」
「…俳優に成れそうね」
珠姫は小さく頷いた。
「人気出るかな?」
「………」
「そこは嘘でも『行けると思う』って言ってくれないと」
「信じて飛び込みそうだしね」
「…それが成功を否定している」
紘一は頬を膨らませて、その場に座り込んだ。
「まぁ、人には向き不向きがあるから」
珠姫は言いながら、紘一の横に座った。
「それで?」
「ありがとう」
「…そういうこと?」
少しだけ考えて紘一は呟いた。
どうやら、頼まれごとは終わったらしい。
「ええ…これが本体ともいうべきもの…かな」
「?」
「たぶん…余りあるほどかも」
「…なぁ聞いてもいいか?」
「どうぞ」
珠姫はクスッと笑う。
駄目…と言えば何も聞かないのだろうか。
言葉を変えてそれとなく探ってくる気がする。
そう思ってから…それはできないか、と感じた。
駄目と言われたら聞かないのだろう。
初めから何も聞かなかったような顔をして。
「宝玉は一体」
「卵のようなもの…私は純粋な願いよりも無垢な想いを昇華させた力かな」
「私は?」
「玄李は、純粋な願いを…他の神はまた違うかもね」
「それって、負の思いも?」
「ええ…ただ、あまりそういうのを持ってくる人はいないけどね」
「そういうものかね」
「ええ」
「わかった。で?」
「……島に戻って、宝玉を修復して」
「わかった」
「………」
「何?」
「関わり合いにいなりたくないだけでしょ?」
珠姫はクスクスと笑った。
「それはそうだろう。疲れるぞ、無報酬だし」
「それもそうね」
「他は?」
「知らない」
「えっ?」
「どうしたい? 関わりあいたくなければ、放ってきたら」
「……嫌な人…神だ」
「あらそれを良い女っていうらしいよ」
珠姫はクスッと笑った。
「戻ってきた?」
不意に聞こえた声に紘一はゆっくりと瞼を開いた。
床に人差し指をついている。
なんとも恥ずかしいポーズらしい。
スライムは消えていた。
ふ~。何もなかったように立ち上がり天井を見上げた。
見慣れた病院の天井にホッとしている。
「何事もなかったみたいな顔をしないで」
天音が紘一の足を蹴る。バスっと。
「おっ」
思わず声を漏らしておく。
ぬいぐるみの蹴りなど痛くも痒くもない。
「『おっ』じゃない」
天音は呆れたように眉を寄せた。
とはいえ、本人は本気なのだろう。
しっかりと抗議された。
「急に消えるから」
「消えた?」
「消えた」
即答だった。
その横で龍騎が腕を組む。
「触るなと言っただろう」
「言われた気がする」
「言った」
「そうか…それで驚いて」
「待て」
「ん?」
「ふらついたのはお前だから」
紘一は苦笑した。
何となく珠姫とゆっくりとできた気がした。
心持ち、身体の疲れが消えている。
体感ほど現実では時間経過がないらしい。
立ち上がりながら周囲を見回す。
黒い瘴気は消えていた。
残っているのは薄い靄だけ。
それも時間の問題だろう。
「あ、あの……」
震える声が聞こえた。
事務局長だった。
いつの間にか床に額を擦り付けるように頭を下げている。
「私は何も知らなかったんです!」
第一声がそれだった。
「全部、柴山が勝手にやっていて……」
「いや」
看護師が呆れたように口を挟む。
「それで済む話じゃないでしょう」
「補助金の件もありますし……」
医師の一人も顔をしかめる。
誰も庇わない。
紘一は小さく肩を竦めた。
もう自分の出る幕ではない。
自浄作用は自分たちでするべき…とは思いながら…
「どうかしたんですか?」
紘一は医師に向かって声をかけた。
ポケットから名刺を取り出し、それをトンと医師の胸に当てるように突き出した。
「夢見が…あなたの良心にもの言うのなら、ぜひ取材させてください」
「えっ」
医師は戸惑いながらも名刺だけを受け取った。
「俺、いまは疲れているんですよね」
紘一はそう告げると足元にいるぬいぐるみ二つを手に取った。
もうごまかす気も起らない。
ごまかしようがない気がする。
紘一は、事務局長を責める視線をぐるりと見回した。
それに加担していた人もいるだろうに…ほんと、保身に走るとは…
最後に事務局長に留めた視線に寂しさが混ざる。
正直、気分が悪かった。
紘一は踵を返して部屋を後にした。
廊下へ出ると人だかりができていた。
どうやら、凝りもせずに勝手口に向かったのだろう。
騒ぎに紘一は呆れてしまう。
冷静に対応すれば、身内のもとに行けるというのに…
人の怒りを持続させるというのは、一種の才能といえる。
「だから違うって言ってるだろぉ!」
怒鳴り声が響く。
人だかりの中心にいたのは柴山だった。
床に転がりながら必死に身を守っている。
誰かに殴られたらしい。
鼻から血を流していた。
「うわ…やめろぉ!」
姿が見えない。
「俺は悪くねぇ!」
紘一は思わず足を止めてしまう。
人だかりの向こうで柴山が喚いている。
「自業自得だな」
龍騎が鼻を鳴らした。
その時だった。
「感謝されることはあっても文句言われる筋合いはねぇ!」
その一言に、一瞬の静寂が混ざった。
「お前らのためにやってやったんだ!」
柴山が叫んだ。
「病院を儲けさせてやっただけだろうが!」
誰かが同意するわけでもない。
患者側からすれば、負担が上がることしか起きていない。
それを病院の儲けとすれば…怒りが膨らむのが見える。
ただ、もう黒い霧は浮いていない。
それが重なり合って靄になることもない。
言葉の暴力に対して、拳の暴力が振るわれている。
それでも柴山は喚き続けた。
「龍王の宝玉を壊したくらいで何だってんだ!」
その瞬間。
龍騎の空気が変わった。
「…は?」
低い声だった。
「いま何て言った?」
その声を抑えるように紘一が口を手で塞いだ。
モゴモゴと騒がれている中で胸ポケットへとタヌキを押し込む。
柴山は興奮したまま叫び続ける。
「たかが石ころだろうが!」
龍騎の拳が震えた。
「貴様……!」
飛び出そうとしたその頭を紘一が抑えた。
「離せ!」
「離すか」
「離せと言っている!」
「放っておけ」
「放っておけるか!」
龍騎は本気で怒っていた。
宝玉の暴走で幾つもの命がすでに失われている。
そのことで珠姫が心を痛めているのを何度も見てきた。
私には関係がないわ、そんな顔をしながら、命を危険に晒して…耐えていた。
それを『たかが』で許せるわけがなかった。
龍騎の苛立ちがヒシヒシと伝わってくる。
紘一は、ため息を吐いた。
そして、龍騎をひょいと持ち上げ、左肩へと。
珠姫の横に座らせた。
「おい!」
「止めなさい、龍騎」
「あ、だって」
天音は静かに紘一の右手を指した。
龍騎は言われるままに視線を向けた。
握った拳から血が滴っている。
どれほど強く拳を握ればそうなるのだろうか、龍騎は息をのんだ。
「よく分かったな?」
自然と龍騎の声のトーンが下がる。
「………」
天音は、龍騎の肩をトンと叩いた。
龍騎が自分の肩を見る。
そこにはうっすらと血の跡がある。
「罰なら人間が与えるみたいだぞ…」
その一言で龍騎が黙る。
柴山の周囲ではまだ怒号が飛び交っていた。
警備員も走ってきている。
別に犯罪を犯したわけではない。
窃盗を訴える方法もない。
だから、捕まるのは手を挙げた方かもしれない。
でも、もう逃げられないだろう。
その行動は多くに知れ渡っている。
殴られた理由も伏せることはできないだろう。
「だから…いや、もう終わりだ」
そう言って紘一は龍騎の方を見た。
「納得してないぞ」
「知ってる。それでいいと思うぞ」
紘一はエレベーターホールへと足を向けた。
騒ぎを背にすると喜びの声が前から迎えてくれる。
興奮を納めようと看護師たちが事情を説明している。
でも、要領を得ることはできない。
原因が分からない病となっているのだから。
タイミングよくエレベーターの到着音が鳴る。
扉が静かに開いた。
紘一は振り返ることなく歩き出した。
お読みいただきありがとうございます。
基本的に 不定期更新の のんびり進んでいきます。
ご意見、ご要望あればうれしいです。
アイデアは随時…物語に加えていければと考えています。
今回、チャレンジ企画に挑戦!です
よろしければお付き合い願えればと思います




