第54話 ちっぽけな虚勢が悪意となるようです… 巻き込まれるのは被害者?それとも…
※本作はフィクションです。
登場する人物・団体・医療機関・地名・制度・報道内容・感染症等はすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
また、作中に描かれる医療対応・行政措置・報道表現等は物語上の演出を含み、実際の法令・運用・対応手順とは異なる場合があります。
天音は溜息をひとつ吐く。
この先にあるのは…最悪の結果かもしれない。
そうならないように巫女である自分たちがついてきた。
その筈なのに…何の役にも立っていない。
そんな無力感が一気に広がってくる。
正直、怖い。
竹生島にいて、こんな瘴気を見ることはない。
聖域とされる場所ということもあるが、
鳥居や祓戸がその役割を果たしてくれることは大きいということを実感する。
そもそも神仏に悪意の成就を頼む人は少ない。
そんな守られた場所から、何も守られていない場所へ…
負の感情の塊、そして、純粋な悪意に晒されるのが怖い。
漏れてきている瘴気の中に混ざる無垢なままに負の感情に囚われている物が混ざっている。
その純粋な感情の欠片。
誰かを蹴落としてもいい。
罪を他人結びつけてもいい。
欲しいものを得るためには…強奪してもいい。
極論とならないように人は学びを深める。
深めてきた筈なのに…それに呑まれた者もいる。
溢れる瘴気に漏れこむその悪意を前に息を飲んでしまう。
天音は一歩前へ出た。
途端に黒い瘴気が身体にぶつかってくる。
いや…ぶつかるという表現は違う。
流れてくるものが当たっていく。
部屋の奥から。
何かに追い立てられるように、黒い感情そのものが逃げ出している。
とこっ。
短い足で一歩踏み出す。
そのたびに瘴気が身体を擦り抜けた。
冷たいわけではない。
熱いわけでもない。
嫉妬。
憎悪。
怨嗟。
そんな感情だけが濁流の粒になって流れているようだった。
前が見えない。
数歩先すら霞んでいる。
まるで猛吹雪の中を進んでいるようだった。
違うのは雪ではなく感情だということ。
押し流されそうになる。
本能が止まれと言っている。
戻れと言っている。
それでも天音は進んだ。
トコ。
トコトコ。
短い手足で瘴気の流れを掻き分ける。
向こう側に紘一がいる。
それがどんな形であろうとも…紘一を取りもどす。
それだけで十分だった。
部屋の中にようやくたどり着き、手足に絡みつく欲という感情に気づいた。
(力を貸してくれるの?)
その問いかけに答えるように、欲という感情だけが残った粒が天音へと引き寄せられていく。
何が起きているのかは説明ができない。
ただ、宿り主を見失った複数の欲という感情が色を失いながら光へと変わっていく。
天音が開いた手の平に…肉球に触れて空へと上がっていくように。
黒に近い色を失い光となって空に消えていく。
純粋だからこそ、善悪のない素直な存在は、聖にも負にもなる。
それに気付いた瞬間、天音は龍騎に言えたものじゃないね、と苦笑をこぼした。
そのときだった。
瘴気の流れが、ふっと弱まった気がする。
いや引っ張られるような感覚になった。
まるでタコが襲われたときに墨を吐くように事務室に瘴気が充満した。
ふとそんな事を思ってしまう。
高濃度の瘴気…人が目で認識できるほどの黒い靄に愕然としているのに…
どこか冷静に現状を眺めている自分に紘一は苦笑した。
黒い靄がまだ立ち込めている。
天井付近から霧状のものに変わっていく気がした。
体感上、ゆっくりと外側から靄が薄れ霧状になって消えて行く。
そんな感じだった。
晴れていく…そう表現する方がしっくりくるのかもしれない。
紘一は、部屋の中を見渡すように視線を流した。
自分を中心に視界が開けていく。
ただひとつ、床に膝を付いたような黒い影が残っている。
いや、そこに瘴気が集まっていっているような気がする。
まるで無くなった物を補うように吸い込んでいるようにも見えた。
ぬらりひょんの身体だったものはゆっくりとだが霧散していく。
その輪郭を維持するかのように周りの瘴気を集めているようにも見える。
それでも崩れ落ち、その輪郭を失っていく方が速いようだ。
残ったのは床に膝をつく柴山の姿だけだった。
まだ薄い靄が体を包んでいる。
意識があるのかないのか。
虚ろな目で床を見つめている。
紘一はまっすぐに突き出した剣を見詰めた。
血はついていない。
身体を擦り抜けるような感覚は…
不意に握り手が緩んでいる気がした。
龍の姿を象った剣は、再び鎖へと戻ろうとしている。
切っ先が貫いていた宝玉がドロッと溶け出した。
「ん?」
紘一がそれを認識した瞬間、その塊は床に落ちた。
べちゃっ…
剣は鎖へとなり、紘一の手首に巻き付いた。
これは…
小龍がブレスレットに戻っているということは喰らうものではないのだろう。
しゃがみ込み、そのゼリー状の物体に手を伸ばそうとする。
「触るな!」
紘一が触れかけた瞬間だった。
龍騎の声が飛んだ。
珍しく切羽詰まった声に紘一の手が止まる。
間に合ったか…
龍騎は安堵した。
それが何だったかは分かっている。
でも、それがこういう形状になるとは思ってもいなかった。
龍騎は欠片を見つめたまま固まってしまった。
いまの自分よりも大きなスライム状の塊に。
「どうした?」
紘一の声が降ってくる。
龍騎の表情が険しくなる。
「まさか……」
小さく呟く。
次の瞬間だった。
龍騎は膝をつく柴山へ視線を向けた。
「お前だったのか」
低い声だった。
柴山は反応しない。
虚ろなまま顔を上げる。
「何の話だ……」
「惚けるな」
龍騎の目が細くなる。
「この欠片は黒龍神の宝玉の一つだ」
空気が変わった。
その言葉に紘一が息を呑む。
「宝玉って……」
「砕かれた宝玉の欠片だ」
龍騎は静かに言った。
「それも最近のものじゃない」
スライム状になった宝玉を睨む。
そこにはまだ濃い怨念がまとわりついているようにも見えた。
いや、床に残っている瘴気を集めているようにも。
でも、紘一がいることでその周りの空間が浄化されていく。
濃度の濃さがそれを遅くしているだけなのかもしれない。
「龍騎…」
天音が駆け寄りながら声をかけた。
どうやら最悪の事態ではなかったようだ。
でも…どうして…
紘一にも龍騎にも浄化の能力はない。
できるとしたら、その元凶の破壊くらいのはずだ。
龍騎に至っては、そんな行動をすれば、自身と引き換えになる可能性が高い。
最悪、相手に取り込まれても不思議ではない。
彼自体は認めなくても、龍騎は純粋な願いから生まれている。
その無垢な魂は、多くの願いの中でゆっくりと成長してきた。
表面上、自身を守るための行動と言葉を使えるが…その魂を守るには幼い。
「天音」
紘一が戸惑いを隠せない表情で声を掛けてきた。
彼もまた状況を理解できていないようだ。
はっきり言うが、天音自身、状況が飲み込めていない。
助けて…という表情で見つめられたところで何もできない。
と、それよりも龍騎の雰囲気がおかしい。
天音は龍騎の手に触れた。
握ることができないのがイラっとする。
「天音…」
「大丈夫」
天音の一言に龍騎は頷いた。
龍騎は視線を漆黒のスライムに向けた。
時間の経過とともに黒く染まっていく。
「長い時間をかけて瘴気を吸わせていた」
龍騎の声に怒気が混ざる。
「つまり…」
視線が柴山へと流れる。
「病院で起きていたことも…」
言葉が区切られた。
「奏音に押し込まれた瘴気も…」
震える龍騎に天音がそっと寄り添った。
「全部、お前が繋がっている」
柴山の顔が引き攣った。
初めて。
その顔に恐怖が浮かぶ。
まるで噓がばれた子供の様だ。
きっと、こいつはこうやって生きてきた。
自分さえ良ければ他人がどうなろうとどうでもいい。
そういう風に生きてきたのだろう。
反省の素振りもない。
「俺は何も…」
「何も?」
龍騎は詰め寄るように一歩前に出た。
「俺は病院を儲けさせただけだ」
柴山は然も当たり前のように声を上げた。
霧が晴れ、逃げ遅れ部屋の隅にいた事務局長の方を見た。
その大げさな視線の移動につられるように龍騎たちは事務局長を見た。
いま起きている事態に戸惑いと困惑が見られる顔をしている。
どんな儲け話があり、なぜ乗ったのか、そのことを聞きたくなる。
何も考えていないようにしか見えない。
その後ろで柴山の視線だけが忙しなく動いていた。
龍騎たちの意識が事務局長へ向いた瞬間だった。
柴山は四つん這いのまま廊下へ飛び出した。
「おい、ま…」
龍騎が柴山の足を掴もうとした瞬間、天音が首を振った。
「どうして?」
「紘一が」
「えっ」
慌てて紘一の方を振り返る。
紘一はスライム状になった宝玉に触れようとしていた。
「おい、やめておけ」
その声は間に合わなかった。
お読みいただきありがとうございます。
基本的に 不定期更新の のんびり進んでいきます。
ご意見、ご要望あればうれしいです。
アイデアは随時…物語に加えていければと考えています。
今回、チャレンジ企画に挑戦!です
よろしければお付き合い願えればと思います




