第36話 言葉は簡単に人の心を傷つけます…言った言葉の責任はだれが持ちますか?
※本作はフィクションです。
登場する人物・団体・医療機関・地名・制度・報道内容・感染症等はすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
また、作中に描かれる医療対応・行政措置・報道表現等は物語上の演出を含み、実際の法令・運用・対応手順とは異なる場合があります。
そこに敵意が生まれた。
漠然とそう思ってしまった。
足が一瞬止まる。
再び膨らんでいく黒い霧に身体が固まってしまう。
たった一言だった。
刃物を振り回したわけでもない。
誰かを殴ったわけでもない。
それでも空気が変わる。
黒い霧がざわりと揺れている。
勝手口の前で怒鳴り声が重なった。
誰かが声を荒げる。
誰かが言い返す。
それだけで霧は濃くなっていく。
紘一は、勝手口の方へと視線を向けた。
黒い霧が揺れている。
不安定にユラユラと揺れるそれは、人心を煽るかのようにも見えた。
その中心にあの男がいる。
いつの間にかぬらりとそこに移動していた。
不敵を通りこした気持ちの悪い笑みを浮かべて。
苦情を告げる男に何かを言い返している。
相手に突っかかっていくように大きな声を荒げて近づいていく。
囲んでいたはずの男たちは、一歩二歩と身を引いていく。
その様子に勝ち誇ったようにニヤリとする。
ただ気持ち悪がられ、避けられていることにも気づかずに。
そして、行き交う言葉が荒れるほどに黒い靄は増殖するように濃くなり、影へと姿を変えていた。
志乃は、外出のプレートを受け取り、緊急外来出入口から駐車場へと出た。
乱雑に止まっている車を確認してから、紘一を探す。
いた。
でも、すぐに近づくことができなかった。
紘一の右腕から黒い霧の様なものが勝手口の方へと延びていた。
いや、反対?
志乃は大きく息を吸い込んだ。
騒動の中心にいるのはぬらりん。
警備員に揉みくちゃにされながら建物の方へと引きずられていく。
まるで他の人たちから引きはがすように。
それなのに、ぬるっと抜け出しては悪態を吐くようだ。
何度も警備員が後ろから抱きしめている。
「早く」
白衣の男が柴山と患者家族の間に体を割り込ませながら警備員に言う。
これ以上、外に出しておくわけにはいかない。
そんな判断が起きたのだろう。
鎮静化させるために先ほど説明にでてきた院長と名乗った男が戻ってきていた。
押し問答になるのを避けるためか、何度も頭を下げている。
「あいつが理事なんだろう!」
「いや、ただの組合員です」
その一言が余計に火に油を注ぐことになった。
冷静な判断ができないほどに苛立ちが立っていく。
「だったら何だよ! あいつは」
どうにか柴山を院内に押し込み院長はドアに背を預けた。
ガチャン!
重い鉄のドアが閉まる音を響かせた瞬間だった。
紘一の右手に赤い輝きが瞬いた。
小龍が紘一を離れ、霧の中を泳いで行くのが見えた。
渦の流れに乗るように、人の間を擦り抜けて飛ぶ。
紘一のもとに黒い龍が戻ったのはすぐだった。
一瞬?そう思わせる時間で霧を消した。
ただ黒い影だけが残っている。
カラン。
紘一の足元に黒い塊が転がるのが見えた。
志乃は、慌てて紘一に駆け寄った。
何もなかったようにやせ我慢をするのが目に見えていた。
あれ…
黒い影が飛び込んでくるのにあわせて右手人差し指を前に出したのに…
小龍は、いつもと同じようにクルクルと回転している。
ただ、指ではなく、右手首のあたりで。
紘一は苦笑した。
小龍は手首に巻き付いている。
いつの間にか黒銀色のバングルみたいな姿になっていた。
…成長でいいんだよな?
まさかのレベルアップでもいいけど…
困ったように首をポリポリとかく。
何が起きたのか。
聞いても教えてくれないんだろうな。
まぁ、大体の龍騎の返事は予測がつく。
知らん…だろうな、と苦笑が漏れる。
「紘一」
「あ、ちょうどよかった。あの黒いの吸い込んでくるから…助けてもらっても?」
「あ、それはいいけど、大丈夫?」
「…いまのところは。その話は後にして」
紘一は、勝手口の方を見た。
院長が説明を必死にしている。
「車、端に寄せてくるよ、ゲートも空いているし」
「えっ…いいの?」
「たぶん、この後病室に一直線だから…邪魔になるしね」
「…そういうことは気にするのね」
志乃は苦笑した。
紘一は返事の代わりに肩を竦める。
その視線は、足元に転がる黒い塊へ向いていた。
あれを放っておいていい気がしない。
それだけは確かだった。
車を駐車場の奥の一角に留めると紘一はふてくされている龍騎をシャツの胸ポケットに押し込んだ。
「俺は怒っているんだぞ!」
「だから迎えに来たじゃん」
「そうじゃなくて!」
ポケットに押し込まれたせいで身動きが取れずに龍騎はぼやくしかなかった。
無茶をしたこと反省していない。
危険なことはするなと何度も…言ったのに?言うことを聞かない。
「ん?」
「ん?」
「指輪は? それでその新アイテムは?」
「あ~、後で聞こうと思ったんだけど」
「知らんぞ」
「…だろうな」
紘一はクスリと笑い、天音を肩の上に乗せた。
天音は、落ちないように紘一の耳をキュッと持った。
「…痛いんだけど」
「私も怒っているからね。志乃に向かってもらえたからいいけど」
「……」
「何よ」
「いや、ありがとう。ふたりとも」
紘一は苦笑した。
志乃が間に合わなかったことは黙っておこうと密かに思った。
その光景を見るのは何度目だろうか。
それでも収まらずに、また、引っ張り出されていた。
「まだ解決しないんですか?」
紘一は何もなかったように傍にいた夫人に声をかけた。
「解決するかと思ったんだけど…」
溜息混じりにうんざりだよと顔に出ている。
「?」
「出てきたんだよ」
「えっ」
「それも別のところから来たみたい。気持ち悪いたらありゃしない」
「…それで院長さんの顔色が悪いのは?」
「ここでやり取りしている間に転院が断れたみたい」
「…なんでそんなことに」
勝手口の前では病院に押し入ろうとする雰囲気の患者関係者を抑えながら、院長と警備員が「すみません」「申し訳ありません」と繰り返しながら止めていた。
車を片付けに言った数分で色々なことが起きている。
聞こえてくる話にはさっきの話題も再び混ざっている。
その一つ一つに院長は、事務長は対応に追われている。
警備員たちにできることは車の誘導と院長に倣って頭を下げるだけだった。
騒動を納めるためにただ必死に文句を聞いては謝っている。
駐車料金一律…それ自体は必要なこともある。
説明が覆られなければ問題はなかっただろう。
文句は出たかもしれないが…それが決定事項なのだから。
何を言っても私有地の上のことだ。
持ち主の勝手がまかり通る。
それでも。
言い方ひとつで人はここまで怒る。
いや、違う。
神経を逆なでした奴がいる。
ただそれだけだ。
不安も。
苛立ちも。
恐怖も。
行き場を失って溜まり、暴発するように爆発した。
ただそれだけだ。
それを納める方法はないのかもしれない。
そして残ったのは、霧のような黒い影だけ。
さっきまで形のなかった黒い霧が揺れた。
波打つように。
息をするみたいに。
紘一は喉を鳴らした。
もう笑い話では済ませられない。
その瞬間、少年と目が合った。
何処か怯えている瞳が、助けを求めているようにも見えた。
口をキュッと結び、親の手をギュッと握っている。
怖いのに…
情けないな…と思う。
少年じゃない。
本当に怯えているのは自分の方だ。
紘一は意を決したように影を見つめた。
ゆっくりと形になってきている。
人がばらければ、影も靄に戻るのか?
それなら…この騒動を納めるべきか。
いや、希望的観測に委ねる場合ではない。
確かめるしかない。
「龍騎、志乃といてくれ」
「…仕方ないな」
「すまん」
「………」
「?」
「出してくれ…押し込みすぎだ」
お読みいただきありがとうございます。
基本的に 不定期更新の のんびり進んでいきます。
ご意見、ご要望あればうれしいです。
アイデアは随時…物語に加えていければと考えています。
今回、チャレンジ企画に挑戦!です
よろしければお付き合い願えればと思います
未完投稿となっているので、最終話まで急ぎ掲載していきます




