第35話 強い力はさらに強い力に…
※本作はフィクションです。
登場する人物・団体・医療機関・地名・制度・報道内容・感染症等はすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
また、作中に描かれる医療対応・行政措置・報道表現等は物語上の演出を含み、実際の法令・運用・対応手順とは異なる場合があります。
紘一は、ため息を吐いた。
騒ぎのボルテージも最高潮になろうとしている。
この先に出てくる答えは何となく予測がつく。
紘一は、騒ぎに背を向けるようにして車へと戻ることにした。
気にしないように、そう思っていてもさすがに思い出してしまう。
もう過ぎたことだと言い聞かせていても思い返してしまう。
嫌な思い出。それは場所とともに思い出されるようになっているのかもしれない。
不意に黒い靄が足元に湧きたった。
足を止め、その靄を観察するように見つめる。
ユラユラと立ち上がっていくように地面から湧いてくるようにも見えた。
違う…これは…
勝手口の方へと視線を戻すと薄らと地を這うように黒い靄が湧いていた。
それに気付いている人はいないようだ。
いや、小さな子供は後ずさりをするように靄から離れようとしている。
それなのに、親が掴んだ手がそれを許さない。
怖さのせいか、いまにも泣き出しそうな顔をしている。
言葉が親には伝わらないのだろう。
嫌がるのを、「仕方がない」と無理に押しとどめて…泣きださせる。
この靄を晴らすことはできる。
でも、その先は…
紘一の肌が粟立った。
暴走したらどうなるのだろう。
徐々に黒く濃くなっていく靄は、霧のようになっていく。
ところどこに黒い影が生まれ始めていた。
(どうする?)
紘一は無意識に拳をキュッと握っていた。
「珠姫…力貸して…」
「莫迦…」
龍騎は、ドアインサイドハンドルに手をかけて引っ張った。
足をドアにかけて、力一杯にハンドルを引く。
そのままの勢いで助手席の上を転がった。
「くそっ!」
「龍騎?」
「アイツが暴走しそうだ」
「え」
天音はコンソールの上に載って勝手口の方へと視線を向けた。
紘一が、騒ぎの方を見詰めている。
違う、右手を見詰めている。
空を仰ぎ見て、ゆっくりとした動きで騒ぎの方へと向かおうとしている。
気を抜いていたことを悔やみたくなった。
「龍騎の莫迦!」
「俺?」
「ぬいぐるみを依り代にしたから…」
「それは…いや、そんな事より、何かないか?」
「何かって、物理的に…」
天音は、その場でトンと座り込んだ。
「天音?」
「黙って!」
ピシャリと言われる。
『志乃…聞こえる?』
「えっ…あ、うん」
声に出してから志乃は周りを見渡した。
『聞こえる。どうかした?』
『外に出られる?』
『どうかな、人集で』
『そう…』
『どうかしたの?』
『紘一が祓いをしそうで』
『え、でも』
『うん、紘一は落とししかできない。それも…』
『?』
『本当は、祓った厄災は、自分の中に取り込まずに霧散させるの』
『そんなの…一度もしてないじゃない』
『霧散しているものを、巫女が昇華させるの…自分の内側じゃなくて』
天音の言葉に志乃は駆けだした。
中から外に出る方法はある。
ただ中に戻れないことを危惧していた。
救急車の受け入れ用の出入口からなら…
そこまで行って、志乃は足を止めた。
(あれ…いつの間に…)
緊急受け入れ口から外の様子を見てニヤニヤとしている男がいる。
禿散らかした頭。
猫背気味の小さな背中。
なのに、妙に場所へ馴染んでいる。
ホント、ぬらりと入り込んで、そのまま居座ってしまう妖怪そのものだ。
誰の許可を得たわけでもないのに、気付けばそこにいる。
そして、いつの間にか、この場所の主みたいな顔をしている。
志乃は思わず眉をひそめた。
嫌なのに、記憶が合致してしまう。
ぬらりん。
時間が経っても…いや経ったのに、余計に醜悪になっている気がした。
躊躇する暇はない。
静かに後ろ抜けていく…つもりだったのに看護師に止められた。
「こちらの出入りはご遠慮ください」
「…すみません。むこうが騒ぎで、車に荷物を取りに行かないといけなくて」
「あっ…そうですか、では…少しお待ちください」
看護師が慌てた様子でその場を離れた。
「ちっ、貧乏人共が…千円ごときで騒ぎやがって」
「何しているんですか?」
小太りの事務長らしき男が志乃の横を駆け抜けていく。
「医院長が騒ぎの収拾をするようにと」
「そんなに言うなら自分がすればいいだろう」
「院長が対応されて、貴方を出せと騒ぎになっています」
「ちっ、無能か。交通費3万程度じゃやってられんな」
そう言ってぬらりんは受付の部屋へと消えていった。
紘一は、覚悟を決めたように一歩二歩と霧へと近付いた。
その場にしゃがみこみ、深呼吸をする。
ゆっくりと手を地面へと近付ける。
龍の目がキラリと輝いた。
ただ違うのは、紘一の指から離れなかった。
『天音? どうかな?』
『何かを始めたみたいだけど…』
『何かって?』
『靄に手を入れた』
『って、駄目じゃない、出るのにもう少しかかりそう』
『うん。急いであげて』
紘一は靴紐を結び直すように手を動かした。
黒い霧が足元を這っていくように絡まってくる。
冷たい。
そう感じてしまう。
たぶん温度なんてない。
空気全体が冷めている気がする。
そう感じるのに、不思議と恐怖はなかった。
怖いのは、その先だ。
この霧が膨らみ続けたらどうなるのか。
さっきみたいに人は呑まれるのか。
これだけの人が?
それとも特定の人だけ?
不安が高まっていく。
誰が呑まれるのか。
自分の中に黒い何かが生まれていくような嫌な感じがあった。
息苦しさがあった。
紘一は右手へ視線を落とした。
龍の指輪。
赤い瞳が微かに光を帯びている。
でも…飛び出さない。
静かに人差し指のところにいる。
黒い靄を前にすれば獲物を見つけた獣のように飛び出すのに。
靄を食い尽くし熱を帯びるのに。
その熱を逃すように紘一に流すのに。
それなのに今回は違う。
光っている。
それだけだ。
(何だ…?)
紘一は眉をひそめた。
右手に熱は生まれない。
腕も熱くない。
心臓も暴れていない。
それなのに。
黒い霧だけが自分周りに増えていく。
でも一定以上の量にはならない。
(なんだ…)
病院の建物の隙間から。
人混みの足元から。
誰かの怒声に呼応するように。
ゆっくりと。
確実に。
(こんなの……いままで無かっ…)
紘一は思考を止めるように頭を振った。
まだ2回しか経験していない。
それを歴戦のように考えてどうする。
とりあえず、自分の身に反動がないことが幸いだ。
違いは…なんだ。
考えあぐねているうちに、人が増えていく。
病院に集まっている人数だけでも何百人いる。
患者。
家族。
職員。
警備員。
怒っている人。
怯えている人。
泣いている人。
それぞれの感情が渦を巻いている。
もしそれ全部が神力に変わっているのだとしたら――
紘一の背筋に冷たいものが走った。
(まずいだろ……)
喉が鳴る。
これは普通じゃない。
それだけはわかる。
指輪はまだ動かない。
珠姫のことを信じている。
玄李はちょっと頼りないけど。
ついでに龍騎は抜けているけど。
でも、あいつらが持つ超常な力は認めている。
信じたくはないけど…
それでも指輪が小龍にならないのは…
なれないのは、黒い霧の力が強すぎて。
大きすぎて。
いつものように喰えないのかもしれない。
そう考えた瞬間だった。
病院の勝手口から怒鳴り声が響いた。
「どういうつもりだって? 院長は解放って言っていたぞ」
「お前らが騒ぐからだろうが!」
「どういう意味だ!」
怒声が弾けあい始めた。
「だから! 千円くらい払えと言ってるんだ! 貧乏人が!」
ざわり。
黒い霧が波打った。
紘一の周りの霧は綺麗に消えた。
コツン。
さっきまでそこに無かった黒い石が爪先に当たった。
紘一はゆっくりと立ち上がった。
少年の顔には安堵が見られた。
それでも、怒声に気圧されて泣きそうになっている。
勝手口の方に溜まっていた霧は陰になり始めていた。
紘一は息を呑む。
まるで風もないのに水面へ石を投げ込んだみたいに。
霧が揺れた。
怒り。
不満。
苛立ち。
押し殺していた感情が一斉に揺らぐ。
それに呼応するように、霧が濃くなり輪郭を浮かび上がらせていく。
それは黒い影が実体化させるときに見せる動きにも似ていた。
…おいおい…慣れすぎじゃないか? 俺…
霧の中に影が見えた気がした。
人の形にも。
獣の形にも。
何か別のものにも見える。
はっきりしない。
でも確かにそこにいた。
ゆらり、ゆらりと…形になろうとしている。
(もう迷っている場合じゃなさそうだ)
右手を握る。
人差し指の付け根の指輪を見る。
相変わらず静かなままだ。
頼りないほどに。
でも、だからと言って見ているわけにもいかない。
黒い影はどうにかできるらしい。
それだけの何かを持っている。
助けるとか…
守るとか…
そんな立派な理由じゃない。
ただ…できることがあるのに何もしないのは後味が悪い。
それだけだ。
「珠姫…信じてるよ」
小さく呟く。
自分でも都合がいいと思う。
そう言って紘一は人混みへ向かって駆け出した。
お読みいただきありがとうございます。
基本的に 不定期更新の のんびり進んでいきます。
ご意見、ご要望あればうれしいです。
アイデアは随時…物語に加えていければと考えています。
今回、チャレンジ企画に挑戦!です
よろしければお付き合い願えればと思います
未完投稿となっているので、最終話まで急ぎ掲載していきます




