第16話 出会いは大切です。でも…押しつけは…よくないと思いませんか?
竜神拝所を離れたあとも、妙に背中が落ち着かなかった。
誰かに見られているような感覚だけが消えない。
気のせいだと頭ではわかっている。
参道へと降り気持ち先を急ぐ。
その途中で、紘一はふと足を止めた。
頭上に、さっき渡ってきた舟廊下が斜面を跨ぐように伸びている。
下から見上げると、その姿は想像していた以上に大きかった。
崖に沿うように組まれた木組みは京都の清水寺の舞台を彷彿とさせる。
ただの渡り廊下…でもその支える骨組みに日本人の偉大さを感じてしまう。
観音堂から歩いているときは気付かなかったが、外から眺めると造りの妙がよくわかる。
湖上の島にある寺社らしい、と言えばそうなのかもしれない。
紘一はカメラを持ち上げ、何枚か角度を変えてシャッターを切った。
木の組み方。
崖に食い込む柱。
そしてその向こうに覗く琵琶湖の青。
構図としては申し分ない。
「こういうのは写真だと伝わりにくいんだよな…」
独りごちてから、もう一度見上げる。
古い木材が空を背にして重なり、その陰が参道に落ちていた。
さっきまでざわついていた胸の内が、少しだけ静まる。
意味もなく、ただ見上げていたくなる景色だった。
「これは……確かに、来た人しかわからないやつだな」
小さく呟き、そのまま参道を下っていく。
景色に気を取られていたせいで、脇に小さく建つ社には目も向かなかった。
2~3歩進んだところで、背後から声がした気がした。
『おい』
………
『まてまて、聞こえているだろう』
明らかに男の声。
この声は…振り返ってはいけない。
明らかに絡まれている。
竜神拝所で何かミスをしたか?
撮ってはいけない写真を撮ったか?
咄嗟にカメラの画像を確認しようかと思いながら…
いや、まて…気配がない。
もう、嫌な予感しかしない。
『そっちじゃないよ』
若い女の声。
耳元で囁かれたような近さに、紘一は思わず振り返る。
誰もいない。
すぐそこには…
風に揺れる木々と、石段の上を歩く観光客だけ。
眉をひそめて視線を巡らせたその時、参道脇にひっそりと建つ小さな社が目に入った。
黒龍堂。
小さな札にそう書かれている。
「あ……通り過ぎてたのか…ということは虫の知らせか」
紘一は苦笑して引き返した。
風が木々を揺らしているだけだった。
眉をひそめたまま視線を戻したとき、道の脇に小さな鳥居が見えた。
見落としていたらしい。
赤い鳥居の奥、木立に半分隠れるように小さなお堂が建っている。
黒龍堂。
案内板にはそう書かれていた。
黒龍大神。八大竜王の一尊。
大海に住み、雨を降らせる守護神。
その横には、太い神木が立っていた。
枝葉が湖側へ伸びている。
湖から黒龍が昇る場所…そんな伝承が残る木らしい。
紘一は思わず立ち止まり、その木を見上げた。
さっきまで観光地として眺めていた島が、急に別の顔を見せ始めた気がした。
黒い陰は、笑みだけを残して消えた。
順路を急げというように指さしたかのような印象を残して。
一瞬だけ息が詰まる。
その存在が何なのか、知りたくて歩み寄りたいのに足が動かない。
それに、さっき先を急げと促したのは…
動かない。
そう感じた次の瞬間。
風が吹き抜けた。
それだけで自由が戻ってくる。
見間違い。
そう思い込みたい。でも、それは止めだ。
竜神拝所は後にして参道へと向かって駆け出した。
一緒に船に乗ってきた人たちはまだ拝所にいる。
勘が訴えている。
早くいけ!と。
そもそも…と紘一は溜息をついた。
何をどうぼんやりしていたら、この朱塗りの鳥居を見落とすのだろう。
『つれないよな』
「…そういうつもりは……いや、空耳空耳」
単純に、見たくなかったのかもしれない。
返事を途中で止めて自分に言い聞かせた。
振り返ったところで誰もいない。はずだ。
ふいっと風が風が吹き抜けていく。
『結構強情だよな』
男は溜息をついた。
だが、その少し離れた木陰で、黒い影がゆらりと揺れた。
紘一には見えていない。
それでも影は確かにそこに立っていた。
高い背丈。
細身の身体を包む、長い黒衣。
中国の古い絵巻に描かれそうな官人の装束だった。
重なった襟元。
広い袖。
風もないのに、裾だけがゆっくりと揺れている。
黒髪が肩口に流れ、前髪の隙間から切れ長の目が覗いた。
若い。
だが、その顔には年齢では測れない古さがある。
整いすぎた顔立ちは、どこか現代の俳優にも似ていた。
人目を引くほど綺麗なのに、妙に冷たい。
影は小さく肩を竦めた。
見えていないのだから当然だ。
本来なら、声も届かない。
それでも今回は違った。
どうしても手助けがいる。
だから、力を貸してくれる人間を見つける必要がある。
いわゆる霊能力者。それも本物の。
苛立ちとともに黒い陰は、次第に輪郭を帯びはじめていた。
偶然かは後で考えるとして、雰囲気、聞こえる相手がいる。
全力で振り向かせる。
次に反応する奴が来るのを待つゆとりはない。
苛立ったところで何かが変わるわけではない。
そのことはわかっている。
散々、何もできない時間を過ごしたのだから。
黒い影は少しだけ眉を寄せる。
透けた腕を、手を見つめた。
向こうの景色が、そのまま腕越しに透けて見える。
姿を現せたのは、ほんの一瞬だけ。
まだ足りない。
力が。
時間がないだけに焦ってしまう。
紘一は鳥居の前で足をそろえる。
拝礼をしてから、鳥居をくぐる。
正面に小さな社。
黒龍堂。
そこの社額には二つの名前が書かれている。
黒龍大神。
黒龍姫大神。
夫婦神なのか、それとも別の意味があるのか。
紘一は首を傾げた。
竹生島に来てから、女神と龍神の組み合わせばかり目にしている気がする。
まるで、この島そのものが対で成り立っているみたいに思える。
その疑問を解いてくれるのは…
右手にある看板へと視線を向けた。
紘一は案内板を見上げた。
黒龍大神は、八大龍王が1尊、大海に住み雨を降らす神と。
勝手に1柱だと思っていたが…
湖や海、雨を司る8柱の龍神の総称らしい。
仏教に出てくる水の守護神。
ひとつの龍ではなく、8柱。
その中でもここに祀られている黒龍は第1尊。
だから『黒龍堂』なのかもしれない。
…つまり島内にあと7か所あるのか。
記事には触れない方が良い情報のようだ。
湖に浮かぶ島で、龍神を祀る。
それ自体は不思議でもない。
ただこの場所だけ妙に気配が濃かった。
そして、堂の脇に立つ大木を見上げる。
案内板には、あの木が『黒龍が湖より昇って来る姿を伝える』とあった。
幹はねじれ、太い根が崖の下へ伸びている。
黒く濡れた鱗のような樹皮が陽を吸っている。
まるで本当に、琵琶湖の底から這い上がってきたものにも見えた。
その根元に、誰かが立っていた気がした。
「いや、何かの陰だから」
呟きながら紘一はその木を観察するように崖へと近付いた。
『おい、止めとけ、危ないから…って聞こえないか』
『この気配は…』
拝所の方から急ぎ足で歩いてくる女性へと視線を向けた。
その女性は、鳥居に拝礼をすると、あたりを見渡してからため息をついた。
見える範囲で人の陰はない。
どうやら、もう港へと降りたようだ。
こうなれば慌てたところで何も変わらない。
鳥居をくぐり案内板を読みながら、軽く頭を下げる。
黒龍大神を祀る場所。
湖から龍が昇ると伝わる神木。
島の端にある竜神拝所とは違い、こちらは木立の陰に隠れるように静かだった。
「あ……」
木の陰に動く気配に志乃は安堵の声を漏らした。
ただ、なぜ紘一を追ってきたのかわからない。
行けと言われたから。
その紘一の服の裾をつかんでいる韓国風イケメンに。
「えっ」
追い抜かれた覚えはない。
どちらかといえばショートカットしてきた自分の方が先についているはずだ。
『あれ…俺が見える?』
男は志乃の方へと向き直った。
その瞬間、紘一がバランスを崩して「おわっ!」と叫び声をあげて落ちかけた。
『だから危ないって言ったのに』
悪ぶれる様子もなく男は言う。
女性は戸惑ったように視線を泳がせ、それから黒龍堂の方を見た。
まるで、自分がどうしてここへ来たのか確かめるみたいに。
影はふっと笑みを浮かべ、紘一の方を指差した。
その笑みには親しみも敵意もなく、ただ見透かされているような気味悪さだけが残った。
参道脇の鳥居へ視線を向ける。
白いブラウスに黒のロングスカート。
ひとりの若い女性が息を切らせて立ち止まっていた。
どこかで見た顔だと紘一は思う。
向こうも同じように目を丸くしていた。
「あれ、志乃さん」
社の向こうに立つ志乃を見て紘一は言葉を漏らした。
一瞬、長い衣の袖のように見えたのは、きっと気のせいだ。
参道の奥で、鈴の音がひとつ鳴った。
お読みいただきありがとうございます。
基本的に 不定期更新の のんびり進んでいきます。
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アイデアは随時…物語に加えていければと考えています。
今回、チャレンジ企画に挑戦!です
よろしければお付き合い願えればと思います




