第12話 観光中です。仕事ですが…何か?
唐門の黒漆が、やけに深く見えた。
光を吸っているみたいだった。
唐門の前では最後の一組が写真撮影をしている。
竹生島の唐門…豊臣秀吉ゆかりとも伝わる桃山様式の門。
黒漆に金具、細かな彫刻。
寺の中にありながら、どこか城郭建築みたいな威圧感がある。
湖の孤島にあるには豪華すぎる門だ。
ファインダーを覗きなおした瞬間。
『……また変なの拾ってる』
さっきの声?。
いや…でも、これは…女の声?。
紘一は反射的に顔を上げる。
恐る恐る振り返る…が、誰もいない。
「きみかな?」
背後の大きな観音像に声を掛けてみる。
返事が返ってくるわけもない。
「だよな…」
苦笑混じりに溜息を吐く。
その瞬間だった。
チリン……
観音像の脇から、小さな金属音がした。
鈴のような。
あるいは錫杖の輪が触れ合ったみたいな、澄んだ音。
その音が響いた瞬間。
背中にまとわりついていた重さが、ふっと薄れた気がした。
肩が軽い。
無意識に首を回す。
疲れてるな。
そう結論づける。
だが、風もないのに観音像の前に吊られた五色の紐だけが、ゆっくり揺れていた。
ん? 目の錯覚?
錫杖が音をだすことはない。
紐が揺れることも…彩られていることも…ない。
紘一は少し観音像を眺めていた。
不思議なくらい、この観音像の方へと足を向ける人は少なかった。
石段を下り、唐門へと進む流れができているから…不思議ではない。
ただ、それを寂しく感じてしまうだけだ。
そこにいるのは白い観音像だった。
唐門とは逆側に存在している。
琵琶湖を見下ろすように静かに立っている。
石像というより、白磁の像みたいに滑らかな白さをしていた。
柔らかな顔立ち。
細く伏せられた目。
胸の前で組まれた指先まで、不自然なくらい整っている。
観光客の多くは、順路という流れの中で、人のうねりに飲み込まれて進んでいく。
ある意味、自然に観音像から引き離されている。
だから、そっちへと足を向けるのは…
特別な惹かれる何かを感じる人だけ…なのかもしれない。
石段を下り、撮影画像を確認しては、取り直しをする人たちに苦笑だけを漏らした。
観音像に近付く。
その大きさに感嘆の息が零れた。
唐門の脇に立つ白い観音像は、どこか周囲の空気だけを変えていた。
黒漆の門。
金の飾り。
濃い影。
その中で、白だけが浮いている? 目立っている。
石像のはずなのに、不思議と冷たさを感じない。
観音像らしい柔らかな顔立ちだった。
目を閉じているわけでもない。
見開いているわけでもない。
ただ静かに見下ろしている。
それだけなのに、視線を逸らしづらい。
風が吹く。
湖から上がってきた湿った風が、観音像の周囲だけゆっくり流れた気がした。
衣の彫りは滑らかで、細く刻まれた襞に影が落ちる。
白というより、陽に晒された身体が輝いているようにも見えた。
けれど嫌な感じはしない。
むしろ妙に綺麗だった。
それは、長い時間、ここで人を見続けてきたものだけが持つ静けさ。
紘一はファインダーを覗く。
だが、レンズ越しに見ると少し印象が変わった。
…いや無機質な造形物にみえるだけだった。
観音像の背後だけ、影が深い。
黒が濃い。
その所為か、白い像だけは妙にはっきり浮かび上がる。
まるで夜の水面に立っていたあの影のように…
ごくりと喉が鳴った。
何度かシャッターを切ると、後ずさりするようにして唐門へと足を向けた。
説明書きによれば、唐門は豊臣秀吉ゆかりの建築を移築したものらしい。
秀吉を祀った京都東山の豊国廟に建っていた『極楽門』。
それを秀頼の命により片桐且元が移築の際、土地の条件から観音堂に接して建てたようだ。
伏見城の遺構とも伝わる桃山文化らしい豪奢な装飾。
黒漆に金具。
細かな彫刻。
寺社というより、どこか権力の象徴とも…感じてしまう。
ただその『極楽門』という響きに、当時の人々の願いが込められているような気がした。
この門をくぐると観音堂に続く。
きっと…当時の人にとっては、ただの通路じゃなかったのだろう。
不安や迷いを抱えたまま、この門をくぐり、観音堂へと。
そのとき何を抱いていたのだろうか。
救われたい。
許されたい。
生きたい。
それとも、旅だった知人の再生と幸せを…
様々な願いが、思いが、ここには届いているのかもしれない。
この門の向こうに待つ関西観音霊場の分御霊たちの待つ観音堂には…
紘一は案内板を撮影してから、ゆっくりと唐門へ視線を戻した。
門の向こうだけ、少し空気が重く感じられる。
追加の情報に一喜一憂するのは悪い癖だと苦笑が漏れる。
陽は出ている。
なのに、奥だけ影が濃く見える。
気のせいだ。
そう結論づけるように、紘一はカメラをぎゅっと握って門をくぐった。
その瞬間、空気の温度が少し落ちた気がした。
湖から上がってくる湿った風が、唐門の下だけをゆっくり抜けていくせいだろうか。
緊張感のようなものが膨らんできている。
黒漆は陽を弾くというより、光そのものを吸っているみたいだった。
思わず肩を擦る。
寒いわけじゃない。
ただ、外とは空気が違っている。
極楽門…この先には…そう言う願いが込められている。
周囲の黒漆や朱色の中で、その観音像だけが別の光を纏っているみたいだった。
観音堂へと続く通路には少し人がいた。
少し間を置いたつもりだったが、観音像に手を合わせる人の姿に息を呑んだ。
その姿を、顔が映らないように写真に収める。
跡で許可はとっておく必要があるが、正直、その美しさに惹かれていた。
唐門とあわせて、国の重要文化財・国宝指定の価値ある建築美を構成する観音堂。
その完成は、自然で無垢な願いを捧げる人がいて完成するのかもしれない。
その祈りの邪魔をするのも…と紘一は、社務所の僧侶に声を掛けた。
取材の許可は出版社の方から入っていることで快く取材に応じてくれる。
観音堂に鎮座するのは、千手千眼観世音菩薩。
千手観音の方が聞き憶えがある存在だ。
千手千眼の名は、千本の手のそれぞれの掌に一眼を持つことかららしい。
千本もある手は、いかなる衆生も漏らさず見つけるために広げられたもの。
そして、その全てを救済しようとする観音の慈悲と力の広大さを示すもの。
竹生島宝厳寺に安置される観音は、西国三十三霊場の札所『観音堂』の御本尊となっている。
御本尊の弁天様と同じく、60年に一度だけ御開扉される秘仏であり…
(…次は2037年か…現役じゃないな…)
そんな事を考えていると拝礼が行われ女性がその場を後にしようとする。
紘一は女性に近付き事情を説明しながら写真を確認してもらう。
彼女はもしもの掲載を快諾してくれた。
ただひとつ条件にあげられたのは、その紘一の写真が欲しいと笑う。
僧侶が「どうぞ」と見計らうように声を掛けてくれた。
写真を撮ろうとカメラを構えた瞬間だった。
背中を、ひやりとした風が撫でた。
その冷たさに肩をすくめる。
同時に、何かが背中から離れていく感覚があった。
重かった肩が、不意に軽くなる。
思わず振り返る。
白い服の女が立っていた。
目が合った気がした瞬間。
『ほら、やっぱりつれてきたし』
声がした。
今度ははっきり、耳元だった。
紘一は反射的に声の方へと視線を向ける。
薄暗い堂内の奥に、金色の像が静かに立っているはずだ。
等身大とされるその姿を見てみたいのが正直なところだが…
誰も喋っていない。
『黒いのばかり見てるからよ』
「…誰が?」
小さく漏らした声に、隣に立つ僧侶が紘一を見た。
「えっ」
「あ、すみません、何か声が聞こえて?」
紘一は咳払いをして、何でもない顔でカメラを下ろした。
お読みいただきありがとうございます。
基本的に 不定期更新の のんびり進んでいきます。
ご意見、ご要望あればうれしいです。
アイデアは随時…物語に加えていければと考えています。
今回、チャレンジ企画に挑戦!です
よろしければお付き合い願えればと思います




