第11話 誰か隠れていませんか? 怖いので話しかけないでください…
紘一は小さく咳払いをして本堂から外へとでた。
慌てて逃げるように出たくせに、数歩進んだところで足を止める。
振り返る。
呼吸を整えるように深呼吸してから…本堂の奥へ向かって静かに拝礼した。
また来ます…
いつからか、そう挨拶をするようになった。
声に出さずに念じるように頭の中で…
願い事より、その方が性に合っている。
風がフイッと前から後ろへと抜ける。
線香の匂いが少しだけ流れてきた。
参拝客はまだ絶えない。
賽銭箱の前では、次の人影が頭を下げている。
その姿を見た瞬間だった。
本堂の中に黒い靄のようなものが見えた。
煙に似ている。
でも線香の煙とは違う。
その靄のような奴が、熱心に拝礼する人にまとわりついていた。
何かが起きるわけでもないのに、そんな風な影が見えた。
疲れ。
未練。
不安。
そういう感情に形があるなら、こんな色をしている気がした。
もちろん、何かが起きるわけじゃない。
参拝を終えた人たちは普通に立ち去っていく。
笑いながら。
御朱印帳を取り出し抱えながら出てくる。
ただ、紘一にだけ別の何かが見えている…気がしていた。
あくまでも気のせいのはず。
でも…人の背中から滲むように溢れ出てきている。
その靄は本殿に背をむけたまま立ち去る人の足元に絡みつくように流れている。
不思議な目の錯覚だ。
紘一は思わず目を細める。
その瞬間だった。
本堂の奥。
フェンスの前に座する前立の仏像の白さが際立った。
光ったわけでは無いと思う。外から差し込む光の悪戯?
六臂辨財天像に引かれるように、黒い靄がスッと消えた。
まるで気付かれたことに怯えたみたいに。
「…………」
紘一は無意識に息を止めていた。
薄暗い本堂の中では、蝋燭の火だけが静かに揺れている。
六本の腕を持つ女神は、変わらずそこに座していた。
穏やかな顔。
なのに、何かを見透かされている気がする。
紘一は小さく喉を鳴らした。
…疲れてるな。
そう結論づけてみたものの、指先が震えていた。
ブレない写真が撮れるか不安になってしまう。
よし…気のせいだ。
そう決めてしまえば、あとは早い。
記事を書くなら、まず全体を押さえるべきだ。
紘一は本堂の脇から続く石段を見上げる。
次は塔だ。
自分にそう言い聞かせて歩き出しかけ…ふと足を止める。
振り返る。
人の引いた本堂が静かにそこにあった。
参拝道の先。
薄暗い堂内。
揺れる線香の煙がモノクロの世界を生み出している。
紘一はカメラをいつの間にか構えていた。
カシャッ。
その音が耳に着く。
『綺麗に取ってよ』と笑い声と共に混ざっていた。
本堂だけをアップする。
本堂の奥は闇に閉ざされている。
全体を収めるように引きにして、空も3分の1ほど入れて撮る。
雲ひとつない青空が、本堂の屋根を綺麗に切り取っていた。
カシャッ。
シャッター音だけが、やけに乾いて響いた。
紘一は少しその場に佇んだ。
気を紛らわせるように納経所の写真を撮った。
人が並んでいないひと時の休息時間。
次の船が来たらまた…
紘一は納経所へと足を向けた。
御朱印帳を2冊買い、頂ける朱印を全て頼む。
「こちらには?」
もう1冊の方を手に僧侶が尋ねた。
「申し遅れました…記事がまとまってからのご連絡となりますが」
朱印を書きかけていた僧侶の手が止まった。
「そちらの方はいただける朱印を…記録用に、こちらは…」
何で2冊買ったのだろう。
御朱印を集めて回る趣味はない。
「では、こちらには…辨財天様と眷属を御集めになられますか?」
「えっ、いいですね、それ」
僧侶はニヤリと笑って見せた。
その隣で、せわしなく筆を走らせる僧侶の手際よさに息を呑んだ。
「では、大辨財天様のを」
「動画撮っても?」
「特別ですぞ」
三重塔の朱色は、思っていたより新しい。
いかにも古刹という色ではなく、塗り直したばかりの寺社仏閣にある鮮やかさだった。
案内板には、焼失した塔を近年復元したものだとある。
なるほど、と紘一は頷く。
古いものを残す場所で、新しく作り直す。
信仰は物ではないのに、形あるものを求める。
塔を見る時は屋根の角を下から見上げると良いらしい。
上の階の屋根とまっすぐになっている。
それも写真に収めておく。
順路に沿って石段を下っていく。
鮮やかな朱塗りの塔の脇を抜けると、少し雰囲気の違う門が現れた。
寺の中にありながら、どこか城郭の一部のようにも見える。
黒と金の装飾。細かな彫刻。屋根の反りまでが妙に華やかだ。
唐門の黒漆に朝の光が当たっていた。。
大きな観音像を眺めながら、豊臣秀吉ゆかりの建物が移されたという唐門がある。
「島まで来ても太閤さんか」
戦国武将というのは、城や戦場だけにいるものだと思っていた。
けれど実際には、こうして寺社の門になって残っている。
観光記事にするなら面白い。
湖に浮かぶ信仰の島。
そこに桃山文化の名残が混ざる。
宗教史だの建築史だの難しいことは詳しくないが、読み手には受けそうだ。
その門を背景に写真を撮るために何組かが並んでいる。
場所が空くのを待つ間に説明書きを読んでおく。
船の中で一通りは確認していても、現地の説明の方が詳しい。
もう一度階段へと戻り、カメラを構え、景色事収める。
光の中で黒漆が鈍く煌めく唐門は圧巻だった。
それにしても太閤さんは城だけでなく、死んだ後まで引っ越しが多い。
まだ何組かいるので、階段へともどり唐門を撮影する。
豪華な彫刻より、妙に影の濃さが気になった。
その瞬間だった。
『その女、朝まで待ってたのに』
紘一の指が止まった。
「……志乃?」
口にしてから、自分で息を呑む。
誰もいない。
後ろには観音像しかいない。
聞こえない。
そういうことにして、紘一は一枚撮って、もう一度角度を変える。
肉眼では豪奢に見えるのに、ファインダー越しだと妙に影が深い。
その時、門の奥を白いものが横切った気がした。
反射的に顔を上げる。
だがそこには、御朱印帳を手にした年配の女性が立っているだけだった。
「……またか」
独りごちて、紘一はカメラを下ろした。
シャッターを切ったその瞬間、背後で鈴が鳴った。
さっきとは違う。
もっと近い。耳元で鳴ったような音だった。
思わず振り返る。
誰もいなくて、観音像だけが静かに立っている。
『連れてきすぎなんだよ』
「……は? 男?」
これまでとは違った声が、また頭の中に響いた。
その直後、背中を冷たい風が抜けた。
ぞわりと肩が震える。
何かが、後ろを通り過ぎた気がした。
カラン。
足元に、黒い小石がひとつ転がった。
だが次の瞬間、それはただの濡れた木の実だった。
意識しすぎだな…と苦笑が漏れてしまう。
お読みいただきありがとうございます。
基本的に 不定期更新の のんびり進んでいきます。
ご意見、ご要望あればうれしいです。
アイデアは随時…物語に加えていければと考えています。
今回、チャレンジ企画に挑戦!です
よろしければお付き合い願えればと思います




