第二十三話:それでも朝はやってくる
だいぶ深い時間に眠ったはずなのに、いつもの時間に目が覚めた。
機械みたいに正確な体内時計に、我ながら感心してしまう。
「……眠いな」
窓から差し込む夏の日差しは、容赦がない。
寝不足の目には刺激が強すぎて、まぶたがしきりにしばたたく。
身体も気怠さを隠そうとせず、寝不足を分かりやすく訴えていた。
特に予定があるわけじゃない。
たぶん、昼過ぎまで眠っていたとしても、じいちゃんも菖蒲さんも心配はすれど、何も言ってはこないだろう。
そんな甘えを、タオルケットと一緒に跳ね除ける。
広げたままになっていた寝床を片付け、立ち上がった。
昨日は、たぶん心配をかけてしまった。
少しの罪悪感が胸に残っている。
真っ先に謝らなくてはいけない。
そう思いながら、謝罪の言葉を考えるより先に、菖蒲さんがいるであろう台所へ向かった。
夕飯も食べずに部屋へ籠もったんだから、何も感じないわけがない。
また迷惑をかけた。
どこへ行っても、結局こうなる。
そんなことを考えていると、廊下の向こうから朝食の匂いが漂ってきた。
焼いた魚の香ばしい匂い。
味噌汁の出汁の匂い。
炊きたての米の匂い。
身体は正直で助かる。
昨夜まであれほど何も食べたくなかったのに、今は空腹を隠そうともしない。
喉も渇いている。
眠気も残っている。
それでも、足は自然と台所へ向かっていた。
「おはよう、菖蒲さん」
「あら、おはよう、和ちゃん。具合は大丈夫なの?」
心配そうに、菖蒲さんが顔を覗き込んでくる。
「ごめんなさい。もう大丈夫です」
努めて何でもないように答える。
けれど、それより早く、菖蒲さんの指が目の下に触れた。
「……あんまり、眠れなかった?」
「いや、隈ができやすい体質みたいで」
誤魔化すように答える俺を見て、菖蒲さんはさらに心配そうな顔をした。
けれど、それ以上は聞かなかった。
「もう少しで朝ごはんだから、顔を洗っていらっしゃい」
「うん。いってきます」
たぶん、聞きたいことは山ほどあるだろう。
それでも今は、菖蒲さんの優しさに甘えることにした。
そのまま洗面所へ向かう。
初日と同じ轍を踏まないように、今度は少し強めにノックした。
学習能力はある方だと自負している。
もっとも、相手が聞き逃したとしても、こちらの分が圧倒的に悪いことに変わりはない。
反応がないのを十秒ほど待ってから、そっと扉を開けた。
どうやら、今日は誰もいないらしい。
冷たい水で顔を洗う。
寝ぼけた頭が一気に叩き起こされた。
顔を拭こうと手に取ったタオルから、柔軟剤の匂いがする。
自分の家にある、甘くてフローラルな匂いとは違う。
柑橘系の、さっぱりとした香り。
こんなところでも、自分が今いる場所を思い知らされる。
タオルを元の場所に戻して、洗面所を出る。
早足で、誰かが待っているはずの食卓へ向かった。
襖を開けると、すでに朝食が並べられていた。
「お、清和。おはよう」
じいちゃんが新聞から顔を上げる。
「おはよう。昨日は心配かけてごめん」
謝るなら、早いほうがいい。
そう思って、反射的に口から出た。
「なんのことだ?」
じいちゃんは、とぼけた顔をして首を傾げる。
「それより、夕飯食ってないんだろう。腹が減ってるんじゃないか。ほら、早くいただこう」
そう言って、読みかけだった新聞をきれいに畳んだ。
わざとらしい。
どう考えても、昨日のことを気にしている。
それでも、じいちゃんは俺に謝らせるつもりがないらしい。
……本当に優しい人だと思った。
「そういえば、まだ真夏が来てないな」
じいちゃんが、ふと入口の襖へ目を向ける。
「ん? 珍しいことなの?」
確かに、昨日は俺より先に食卓に座っていた気がする。
そのとき、襖が開いた。
「おはようございます」
菖蒲さんが入ってくる。
そして、じいちゃんと同じように空いた席へ目を向けた。
「あら」
すぐに何かを察したらしい。
菖蒲さんは小さく笑うと、俺の前に茶碗を置いた。
「和ちゃん、真夏ちゃんを起こしてきてくれる?」
「え、俺が?」
「うん。お願い」
少し食い気味に返ってきた。
有無を言わせない笑顔。
どうやら、拒否権はないらしい。
「……分かった」
俺は反射的に立ち上がった。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
二人に見送られながら、俺は小走りで二階へ向かった。
階段を上ってすぐにある俺の部屋とは違い、廊下を突き当たって、さらに奥にある。
元々は、父である梔也の部屋だったらしい。
高校を卒業してから実家に戻らなかった父の私物は、もう何も残っていないと菖蒲さんが話してくれた。
あまり、じいちゃんや菖蒲さんの話をしてくれなかった父。
それでも、長期の休みになるたびに俺を実家へ連れてきてくれたのは、ただの気まぐれだったのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、真夏の部屋の前まで来ていた。
大きな引き戸の前に立って、ふと思考が止まる。
……どうやって起こせばいいんだろう。
昨日の夜なら、普通に声をかけられた気がする。
でも、今は少しだけ気まずい。
「……真夏?」
返事はない。
「おーい。朝だぞ」
やっぱり返事がない。
昨日の俺なら、ここで勝手に開けていたかもしれない。
でも、初日に洗面所でやらかしたばかりだ。
「……学習能力を発揮するときだな」
そう呟いて、扉を二回ノックした。
――バタバタバタッ。
扉の向こうから、大きな音が聞こえてきた。
そこで、ようやく察する。
はっはーん。
寝坊だな。
どうやら、向こうではかなり慌ただしく動き回っているらしい。
「大丈夫かー?」
少し意地悪だったかもしれない。
それでも、とぼけた声をかける。
「……何よ」
寝起きなのに加えて、寝坊のためか声があからさまに不機嫌だ。
「グッモーニン! ディス・イズ・モーニングコール!」
寝坊を励ますために、俺が今できる全力の明るさで声をかけた。
「死ね」
どうやら失敗してしまったが、ありがたいことに気まずい空気はどこかへ飛んでいった。




