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真夏のカリステギア  作者: 伽耶


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19/23

第十八話:余光のまち

流石の俺でも、小学生向けの算数教材なんて持っていない。


…と思っていた。


昔作った問題集のデータがクラウドから大量に発掘された。


我ながら何を考えていたのか分からない。


学年別で単元別、百問。

おまけに解説付き。


中学受験組に渡したら泣いて喜ぶだろう。


どう考えても普通の中学生が作る量じゃない。

昔の俺は余程暇だったんだろう。


基礎の必要なところだけ選んで、

じいちゃんの部屋にあるパソコンへ送ってみる。


ついでに隅に追いやられてホコリを被った年代物の複合機を起動した。


ガガガガ、と機嫌の悪い音を立てながら動き始める。

途中数回の紙詰まり、インク切れ、再起動。


いきなり労働をさせられたんだ、捻くれて当然だ。

老体をむち打ってくれた複合機に感謝だ。


なんとか数十枚ほど刷り終えた頃には軽く汗をかいていた。

ひと仕事終えた気分だったが本題はここからだ。


そもそも前の学校では授業も課題もタブレット中心だった、紙の教材に馴染みはない。


荷解きも終わっていない荷物の中から自分のタブレットを探すのは現実的じゃない。

今日はこれでいい。


居間に戻る。


観念したらしい真夏が、自分の教科書とノートを持ってきて机に並べていた。


少し意外だった。


もう少し抵抗されると思った。


机に並べてある教科書を見る。


綺麗だった。


拍子抜けするくらい綺麗だった。


角も折れていない、表紙に汚れもない。


鞄に入れて持ち歩くと気をつけていても傷はつくはずだ。


本当に新品みたいだった。


そのままノートを開くと変な違和感だけ残る。

消し跡、赤ペンでの書き込み。

マーカーペンで重要な部分が色付けされている。


最低限の色だけで整理されていた。


見やすい。


無駄がない。


たぶん、真面目な人間のノートだった。


……俺の好みだ。


並べられた教科書は五冊しかなかった。

国数英理社

二年生のみ、今年の教科書だけだ。


過去のものがない、小学校の教材もない。


深い意味はなかったと思うが、

「昔の教科書はないの?」

この一言に真夏が手がピシッと固まる。


一拍。


少し遅れて答えた。

「……そんなのない」

短かった。


でも、その一言だけで空気が変わった。


昨日の風呂場で感じた温度が戻る。


冷たい。


たぶんこれは拒絶じゃない、触れるなという警告だ。


俺は少し考えて、

「そうなんだ」

それだけ返せたと思う。


真夏はそのまま沈黙。

ピリオドの代わりに音をたててノートを開いた。


菖蒲さんが目を伏せる。

……そうか。


察する。


たぶん、真夏がこの家にいる理由に繋がっている。


彼女の持ち物をみる。

筆箱、シャープペン、消しゴム、マーカーペン。

教科書を見たときと同じ感想だ。


変なところに気づいてしまい、居心地が悪くなる。

息苦しい、たぶん、そんな感じ。


何かを振り払うため印刷したプリントを準備する。


「じゃあ始めるか」


あらためてトントンと机を使って束をそろえるとあからさまに真夏が嫌そうな顔をする。


「……なにこれ」

「ん…?テスト」

即答する。


「聞いてない」

「今言った」

むむっと唇を結んだが、さっきの冷たさは見えなくなった。


少しだけ安心した。

まだ大丈夫だ。


国、数(算数)、英、理、社

テストを順番にしていく。


時間の制限なく機械的にテストを進める。

ここに感情は乗らない。


部屋にある掛け時計の秒針の音が聞こえる。


途中で消しゴムとシャープペンの往復が何度も止あった。


明確に停止する時間が増えた。


算数。

計算ミスじゃない。

手が止まる。

解き方を選べない。


国語。

読めている。

でも答えを書くのに時間がかかる。


英語。

文法じゃない。

単語の蓄積不足。


理科社会。

覚えている箇所と空白が極端だった。


勉強してないんじゃない。

やり方がわからないイメージ。


基礎という積み木が崩れたんだ、当たり前か。

本来なら学校がやらないといけないことだ、教えてくれる人がいなかったのか…?


俺は丸を付けながら息を吐く。

「……なるほど」


真夏が嫌そうにこっちを見る。

「なによ」

目線に不満と不安の重さがのる。


俺は赤ペンを置いた。

「今日のやることが決まった」

「なに」

リアクションが早くて助かるよ。


「とりあえず、今日は小学生になる」

「最悪」

リアクションが早くて助かるよ…


くぅ〜

小さな音が聞こえて真夏の顔が赤くなる。

掛け時計を横目で見て正午をだいぶすぎていることに気づいた。


真夏の目線には羞恥と少しの怒りを含んでいた。

何も言うなという圧が加わる。


「お昼ごはんよ〜、暑いし素麺茹でてきたわ〜!」


なんとも言えない空気を切り裂くように菖蒲さんが綺麗なガラスのお皿に入れた素麺を運んでくる。


(命拾いしたな…)

何でもないふりをしてテーブルを片付ける。


「手伝います」

真夏は食器を受け取り並べていく。

もうさっきの空気はどこかに消えていた。


外では蝉が鳴き始めていた。

夏の太陽は、これから強くなり始めていた。


菖蒲さんと一緒に素麺を食べる。

コンビニで夏の時期に出るものをたまに食べることはあるが、全然違う。


茹で具合も麺つゆも何かのこだわりがあるように感じた。

たまに菖蒲さんを横目で見ると黙々と食べる子供二人をニコニコで見続けていた。


昼ご飯を食べ終わったあとは、引き続き勉強をする。

真夏の集中力が続く限りやろうと思った。


気づけば用意していたプリントが少なくなっていた。


途中で麦茶を足して、 何度か休憩して、 それでも真夏は席を立たなかった。


窓の外の蝉の声が少しだけ静かになった頃、

ようやく一区切りついた。


割合、分数、小数、九九。

途中で戻ったり進んだり。


根気強く付き合った。

真夏は投げ出さなかった。


注釈を入れるたび、険しい顔をして文句も言っていた。

でも逃げなかった。


俺が教える。

真夏が解く。

それを繰り返す。


「今日はここまでかな」


真夏が顔を上げる。

「……終わり?」

少し意外そうだった。


「疲れただろ?」


真夏は少し考えて、

「……まあ」

とだけ答える。

「じゃあ、また明日」

片付けをして立ち上がる。


首と背中が重い。

同じ姿勢を続けていたのがわかる。

少しだけ、頭が痛い。

これは気疲れというものだろう。


俺は人と長く一緒にいる方が疲れる。

部屋に戻ってなんとなく足が玄関へ向かう。


「和ちゃん?どこかいくの?」

台所から菖蒲さん。


「少し散歩してくる」


「あら、今日は迷子にならないでね〜」

……じいちゃんめ、口が軽いな。


サンダルを履いて外に飛び出す。


一日外に出てなかったせいか熱気に身体が驚く。

それでも昼より和らいだはずだ。


少しだけ冷たい風が吹いている。

稲の間を通り抜けたのか水の匂いがした。


蝉の声が変わった気がするが都会育ちにはわからない。


なんとなく歩き始める。

目的地はない。

ただ少し、一人でいることにする。


門を出る前。

なんとなく振り返る。

二階の窓でカーテンが少し揺れた気がした。


見られていた気がしたけど、 振り返らなかった。

たぶん、向こうも同じだった。


俺は何も考えないことにして、夕暮れの道へ歩き出した。

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