第94話 へえアリスに見惚れてたんだ、次からは許可取ってね
座敷に入ってきた師父様は、床の間の前に置かれた座布団に腰掛けた。
「皆の衆、面を上げい」
号令でリンと老人たちが、一斉に顔を上げた。
「知っての通り、今宵の宴には来賓が訪れている。くれぐれも不快な思いをさせず、里の威信をかけて持て成すこと、よいな」
ははぁ~という掛け声とともに、場のほとんどがまた頭を下げた。
「承知したのなら気を緩めてよし。この場は無礼講じゃ、存分に飲めや歌え」
一言伝えられるたびに、また一斉に頭が下がった。続く言葉がやってくるのは、一拍置いてからだった。
リンの隣に座っている雫が、口を押さえてぼそっとつぶやいた。
「うわぁテンポ最悪」
小声でほとんど聞き取れなかったが、おそらくそのようなことを言っていた。幸い、他の誰にも気づかれていない。
雫ならば、この場でも上手く立ち回れることだろう。
反対側にいるまひるとアリスの様子を窺った。
背筋を伸ばしたまひるは、周りに合わせて自分も頭を下げていた。きょろきょろと首を振って、これであっているのかと確認するようにこちらを見てきた。頷いてやると、途端に表情がほころんだ。
アリスは、居住まいを正して静かに座っていた。手は膝の上に置かれ、髪の毛は整頓されて背中側に流れている。ほんのりと笑顔を浮かべていて、なんとも余裕を感じさせる。
着衣の乱れもないし、正座の作法にも間違いがない。マイペースな雫や、がちゃがちゃしているまひるとは対照的だ。
すらりとした金色の髪が、初めて美しく見えた。腰にかかる長髪でありながら、手入れは完璧だ。自分との違いは、このようなところにあるのかもしれない。
耳元で小さな声が聞こえた。見れば、雫がこちらに耳打ちをしていた。
「どうしたの? なんかあった?」
小声で返事をした。
「いえ、このような場においては、あのような女でも彩りになるなと、そのようなことを……し、静かにしましょう、師父様の機嫌を損ねてしまったら大変ですから」
「へえアリスに見惚れてたんだ、次からは許可取ってね」
「……は?」
一度見て、顔を戻して、もう一度雫を見た。正面に向き直っていて、もうこちらのことは気にしていなさそうだった。
師父様の視線が、雫を向いた。
「あちらの方が、今宵の主賓東山雫殿であられる。天女とも比喩される東山殿ではあるが、御本人は堅苦しい扱いを望まぬ。里の娘だと思い、肩肘張らずに接すること――それでよろしいですかな、東山殿?」
笑顔を浮かべて、雫は頷いた。
「もちろん、そうしてくれるのが一番嬉しいです。皆さんはじめまして、東山雫です。リンちゃんと一緒に一ヶ月くらいお世話になるので、よろしくおねがいしまーす」
その笑顔を、雫は参加者全員に振りまいた。硬い空気が弛緩して、老人たちの頬が緩んだのがわかった。まるで部屋全体が、日向になったかのような、そのような雰囲気だった。
それから師父様は、西洋の魔法使い組織の使者である二人を紹介した。はじめこそ戸惑いの空気はあったが「友好的な関係を結んだ」とその一言で、場は収まった。
来賓の紹介を終えて、しかし宴に戻る前に、上座にいた老爺がゆっくりと手を上げた。
「あんのぉ、里長様、ひとつよろしいでしょうか?」
「許す。なんだ」
「そのぉ、東山様に付き添ってる、リン様というのはどちらの御方なのでしょうか?」
「ほぉ、あの女が気になるか」
師父様は、口元を歪めた。
「神秘よりも異物を気にするとは、貴様らも根っこは忍びよのお」
目だけを動かして、師父様は圧をかけるようにこちらを見ていた。




