第93話 まひるは食事に興味があるのだと、今になって気づいた
屋敷の宴会場に、二十人ほどの住人が集まっていた。座敷の隅にはビールケースが山のように置かれ、酒樽は襖を覆い隠していた。
アリスたちと合流して部屋に入る頃には、既に老人たちは酒盛りを始めていた。
「……規律がない」
ぼやいてから、空いた席に座った。テーブルには鯛やら煮付けやら、洋風のオードブルやら、多種多様な料理が並べられていた。
主賓である雫には目もくれず、参加者たちは大声で会話を続けていた。
「儂ら公儀隠密をないがしろにするとは最近の政府ときたらほんまになんじゃいありゃ礼儀がなっとらん礼儀が」
「徳さん、公儀だったのは四百年前の話じゃよ、あんた生まれとらんがな」
「しんさんところは、孫娘が嫁に行っちゃったってえ? 忍びを引退するぅなんて、時代やんなあ」
「だけどもお相手はお医者の先生だってよぉ」
「あんらぁ、そしたら出てくわなあ」
ガハハと下品な笑い声が響いていた。白髪と禿頭ばかりで、若い人間の姿は見えない。
男女比は、雫たちを除いて九対一ほど。要職を集めたとはいえ、あまりにも里の現状が反映されすぎている。
歯噛みしていると、隣に座る雫から声をかけられた。
「飲み物どうする? ビール? ジュース? お茶?」
「烏龍茶で、お願いします。忍びは酒に溺れてはなりませんので」
グラスを差し出すと、雫が烏龍茶を注いでくれた。こちらも負けじと、オレンジジュースを雫のグラスに注いだ。
すぐ近くの席では、服を脱ごうとしていた老爺が、その隣の老人に頭を叩かれていた。
それを見ていたアリスが言った。
「うはぁ、エキサイティングな宴です。まるでサバトですね」
そのアリスの隣、リンの左隣に座るまひるは、食事に箸を伸ばしていた。
「ぁ、煮っころがし美味しい、田舎の味だぁ。リンさんもこういうの作れるんですかぁ?」
「いや、料理は専門外なもので味の継承はしておらん。興味があるのなら、はつさんに尋ねてみてくれ、喜んで教えてくれることだろう」
まひるは一瞬こっちを見て、すぐに料理に向き直った。返事は、どこか気が抜けていた。
「別に、そういうつもりで言ったんじゃないです。わ、イナゴの佃煮だぁ」
それ以上なにも言わず、まひるはパリパリと佃煮を食していた。
黙々とまひるは箸を動かし続けていた。食事に関心が強いのか、こいつは。今までそんな素振りは……いや、あったかもしれぬが……どうだったか。
それにしてもまだ挨拶も乾杯も済ませていないが……まあいいか、よほど腹が空いていたのだろう。どうせ周りもこの惨状だ。
「まひる、いいか」
高速で動いていた箸を止めて、まひるはこちらを見た。口を押さえるような仕草をしていた。
「はい、なんですか」
「里の料理は気に入ったか?」
「ぇ、ぁ……はい、とっても、毎日食べられるなんて幸せです、リンさんと……みんなと一緒ですし」
「なら安心だ。食事好きの口に合わないとなれば、こちらの責任問題だったのでな。そうだ、なにか飲むか? 注いでやろう」
まひるは、こちらの手元を見るように目を動かした。一瞬の沈黙があってから、返事がやってきた。
「じゃあ烏龍茶で」
「うむ」
小瓶の蓋を開けて、中身をまひるのグラスに注いだ。とくとくという音とともにかさが増えていって、ちょうどいいところで止めた。
まひるはそのグラスを大事そうに掲げて、軽く頭を下げた。
「ありがとうございます。大事に飲みますね」
ずいぶんといい笑顔をしていた。料理を楽しんでいるときと同じか、それ以上に見えた。
胸にあったほんの少しの重みが、消えた。どうやら、女性らしい気配りができたようだ。
こちらも、思わず笑みがこぼれた。
奥にいたアリスが片手を上げた。
「あ、ワタシはジントニックでお願いします」
とりあえず、目を逸らした。あれは放っておいても平気だろう。
リンが姿勢を正すと、ジャラララといくつも重なった鈴の音が聞こえた。
その瞬間、一斉に話し声が止んだ。沈黙が訪れ、老人たちはみな足を組み直した。ピリと空気が張り詰め、一様に死地に赴くような顔になった。
隣の雫が、きょろきょろと首を振っていた。
「へ、なにこれ」
リンは雫を見て、立てた指を鼻先に当てた。
伸びのある男の声が、座敷中に響き渡った。
「里長様のおな~り~」
参加者の全員が、一斉に頭を下げた。リンもそれに追従した。
「あ、また時代劇だ」
雫が、そんなことをつぶやいていた。




