第88話 たとえ師父様であろうとも、雫への支配は――
奥座敷にて、師父様と対面した。普段は閉め切りで昼でも行灯が置かれているのに、今日に限って外光が取り入れられていた。
厳粛な場であるはずが、妙に明るかった。
「面を上げい」
「はっ」
床に額を付けていたリンが、顔を上げた。隣で正座していた雫は、物珍しそうにこちらを見ていた。
「時代劇……」
そのようなことを、雫はつぶやいた。
師父様は、その雫に頭を下げた。
「ようこそいらっしゃった東山殿。お目にかかれて光栄です」
「こちらこそ、この前は失礼なこと言っちゃってごめんなさい」
「いや結構。このような立場にいると素直な物言いがむしろ心地よいもの。雑に扱える爺だと思って今後も接してくだされば、年寄りには至上の喜び」
「はぁ、じゃあうちのおじいちゃんだと思って話しますね」
「是非とも」
師父様が口周りを歪めた。ぞくりと鳥肌が走って、背筋が跳ねた。咄嗟に雫をかばいそうになった。が、行動に移す直前に、師父様は笑っているのだと気づいた。声を上げて、楽しそうにしていた。
合わせるように雫も笑っていた。この部屋がなごやかになった、あるのか、そんなことが。
師父様は言った。
「大して取り柄もない村ですが、自然と人の情だけはあります。夏の催し物などもいくらかあるゆえ、滞在期間中、どうぞ羽根を伸ばしてください」
「はい、ありがとうございます。こっちも、なんでもお手伝いするので、できることがあったら言ってください」
「ならば肩揉みなどを頼みましょうか。その神秘、この老骨で味わわせていただきとう」
「えー、んー、じゃ招待してもらったお礼にちょっとだけ、今でもいいですよ」
リンは雫を見た。立ち上がろうとしていた。本気だ、師父様の身体に触れる気だ。
目の奥がひりひりと痛んだ。足の指が丸まった。
師父様に視線を移した。顔中に力が入った。眉間が狭まった。雫に抱きついて止めよう。ダメだ、させてはならない、奉仕など、もってのほかだ。力による支配を許すな。
いくら里長とて限度が――師父様に睨み返された。瞳の奥に、闇を見た。明るく照らされた部屋の中で、唯一の漆黒があった。
息が詰まった。二の腕が震えた。身体が縮んで、四肢は動かなかった。
雫が立ち上がった。ダメだ、行くな。
「ぃ……うぅ」
かかとを浮かせた雫が、振り向いた。
「リンちゃん? どうしたの?」
顔を上げて、雫の目を見つめた。今できるのは、それくらい。
「しず――」
師父様が、大声で笑った。
「わーはっはっはは、腰を下ろされい東山殿。真に受けなさるな、客人にどうしてそのようなことがさせられようか、冗談ですぞ」
雫は師父様に向き直った。
「へ、あは、ですよねー、わかってましたよ、ちゃんと」
肩の力が抜けて、震えも収まった。視線の圧も、なくなっていた。
雫は元の位置に座り直した。それから、こちらを見た。
「さっきなにか言おうとしてたよね、なんだった?」
「……どうして行こうとしたのですか」
「え?」
「……なんでもありません、忘れてください」
首を傾げる雫から、リンは顔を逸らした。
前歯が頬の肉を噛んだ。
師父様が言った。
「さて、挨拶はこのくらいにして、お部屋にご案内しましょう。お時間を取らせて申し訳ない」
「いえいえ、わたしも直接話したかったし」
また雫は立ち上がった。今度はリンも続いた。
一礼して師父様に背を向けようとしたが、声をかけられた。
「待て、貴様は残れ」
冷え切った、低い声だった。
「大切な話がある、任務に関することだ」
「はっ」
雫を先に行かせて、リンは跪いた。
着物では、上手く片膝を付くことができなかった。




