第86話 門の外で、雫が待っていてくれた
リンの放った一撃は、集によって下腹部の手前で受け止められた。裏返しの拳は、手のひらに押さえられていた。
「おわっ」
「ちっ」
空いていた左手で追撃するも――それもまたパチンッという音と共に受け止められた。
軽薄な笑みが凍りついて、集は頬を引きつらせていた。
「あぶねえっ、その技のキレ、容赦の無さ、凄み、ただの女じゃねえな。どこの所属だ」
「リンと申す。春の姉にして里の秘蔵っ子だ、二度と忘れるな」
集の視線が春を向いた。マジ? と口が動いていた。
横目で窺うと、春は頷いていた。
「うん、まー」
集は飛び退いた。姿勢を低くして、片手を地面についた。
「つええ女は好きだ、だけども、かわいらしい子のほうがもっと好きだ。ここはひとつ手合わせ願おう」
「承知。軽薄な言葉の代償、その身で味わえ」
リンはスカートの裏に隠していたクナイを抜いた。集も鉤爪を手に装着し、二人は跳び上がった。
初撃がぶつかり合って、キンっという金属音が鳴り響いた。
「場所を移すぞ、来い」
「おうよっ」
着地したその瞬間に、面々の声が聞こえた。
「え、なんで戦いになったの。止めなくていいの?」
「えと……加勢したほうが……どうしますアリス?」
「そっとしておきましょう」
「春たちは先に行ってるから、早めにねー。じゃ行きましょっか」
リンは再び跳び上がった。見上げる雫に、親指を立てて答えた。
敵を見据える。こいつを討たねば、雫のところへは帰れない。
畑を通って、山間部へと向かった。剣戟の音が、牛の鳴き声と混ざり合っていた。
戦いがあった。奴は一人前の忍びとして恥じない腕を持っていた。忍術の応酬、暗器のぶつかり合い、即席の仕掛けによる騙し合い、こちらも持てる力を駆使して渡り合った。
――激闘の果てに、決着はついた。魔法には手を付けず、奴を黙らせた。
全身泥だらけで、外行き用の服が台無しだった。
「ちっ、変身抜きではあんな男にすら手こずるとは、鈍ったか」
師父の屋敷へと向かう長大な石段を一人で上った。かつては鍛錬で何往復もしたこの階段も、心なしか、かつてより段差が大きいような気がした。
653段を登り切ると、木造の古い門へと辿り着く。今は大扉が開いていて、門柱の前には――人影があった。
リンは顔を上げた。小走りで階段を駆け上がった。
「雫」
声をかけると、雫は柱から背中を離した。
背中側にあった手を前に出して、雫は胸の前で組んだ。
「おかえり。下まで行こうと思ったんだけど、こっちのほうが雰囲気出るかなーって」
思わず、笑顔になった。顔が緩んで、抑えが利かなかった。
石畳を走って、雫へと近づいた。
「お待たせしました。申し訳ありません、お側を離れてしまって」
「いいよ、別に。それより、勝った?」
「はい、勝ちました。奴は今頃、熊の餌になっています」
「よかったぁ」
雫も表情を崩した。パチパチと控えめに、手を叩いていた。
「では、行きましょうか。アリスたちは中に?」
「うん。先に難しい話を済ませちゃうって。ほんとはわたしに会いたかったみたいなんだけど、後にしてもらっちゃった」
茶目っ気たっぷりに、雫は首を傾げた。
「まったく、神をも恐れぬお人だ。同行します、お手を……ぁ」
出しかけた手を、引っ込めた。反対側の手で、頬を触った。粘性のある泥が、指に付着した。
自分の身体を見た。ところどころ、布が破けていた。露出というほどでもないが、ないが。
顔を伏せた。肩のあたりから地面に引っ張られるように、そんな感覚があった。
「雫……あの……」
「うん」
拳に力を込めた。口内に溜まった唾を飲み込んだ。それから、顔を上げた。
「手を繋いでも、構いませんか。泥だらけです、みっともない格好です、それでも、隣を歩いてもよろしいでしょうか」
「ダメっていうと思うの?」
「思いません。だから言いました、あるいは……」
このような自分でも喜んでくれるのではないか、その言葉は口を出ない。
言い直した。
「いえ、改めてお手を取らせていただきます」
雫の手を取った。ぎゅっと握って、隣並びで門に向き直った。
「ねえリンちゃん」
「は、はい、なんでしょうか」
なにか考えるような沈黙があって、それから雫は言った。
「師父さんと会うのに、手を繋いで行くの?」
「あっ……」
肩が縮こまった。また顔を伏せそうになった。
確かに。
そう思った、思ったが、手は離れようとはしなかった。




