第8話 リンちゃんになら本当に殺されてもいいよ
ほぼ半裸の雫は、露出など気にせず、堂々と二本の足で屋根に立った。薙ぐように片手を振って、敵騎士に向かって叫んだ。
「どたばたどたばた人んちの上でいいかげんうるさい!」
敵は目を丸くした。
バツが悪そうに天を仰いで、片手で額を押さえた。
「オウっ、それはそれは夜分遅くに失礼しました。ですが雫さん、穏便にご同行いただけるのならば、ワタシ達もこのような真似は――」
「しないっていつも言ってる。あなた達の仲間にも、そうじゃない人たちにも、いっつも。なのにこんなに暴れてさぁ、いい加減家族だって誤魔化せなくなる」
リンの背中がぴくっと跳ねた。
よもや同居の家族に未だ悟られていなかったとは、それも雫殿の特異体質とやらが成せる離れ業だろうか。
なんとも怪奇な。
敵は言った。
「その件については申し訳なく思います。ですが雫さん、あなたの身に宿る神秘はあまりにも強大なものです。どうかワタシ達のお願いを聞いていただけませんか、これは正義なのです」
「うるさいっ、綺麗事言うな、いきなり攻撃してきたくせに。わたしの安眠を返せ!」
「それも、謝罪させてほしいのです。嗜虐的なブランシュの先走りを止められなかったこのワタシの罪、どうかお許しください」
「許すかっ、うるさいって言ってんのわたしは! 嗜虐的だかブランシュだか知らないけどさ、あんたが上司ならあんたが命令したのと一緒でしょ!」
言葉に気圧されるように敵はのけぞった。
雫の叫びには、まるで暴風が吹き荒れているような圧があった。
リンは彼女の守護も忘れて、ただただ立ち尽くしていた。
背中に寒気すらも感じる。雫から目が離せない。
下手なことをすれば、自分が噛みつかれそうだ。
そのようなことを思っていると、振り向いた雫と目が合った。
「リンちゃん!」
「は、はい、なんでしょうか。奴の抹殺をお命じとあれば、今この場にて直ちに」
リンは背筋をピンと伸ばして、雫に頭を垂れた。
雫は口を結んだまま、かたんかたんと屋根を鳴らして近づいてくる。
ふいに、リンは手を掴まれる。
細くしなやかな少女の指は、わずかに汗ばんでいた。
「し、雫殿……?」
顔を上げると、また目が合った。
目の前の雫は、真剣な表情でじっと自分を見つめている。
「リンちゃんはわたしのなに? あの人達となにが違うの? 正直に言って、隠し事なんかしたら許さないから」
「は、某は護衛を命じられておりますが、仔細は伏せられているために、任務の本質は把握しておりません。恥ずかしながら、忍びとはただの刃とも変わらぬのです」
雫は目を細めた。
凍りついたような、ぞっとする表情だった。
「ふぅん、じゃあリンちゃんも、突然わたしのことを狙うようになるかもしれないんだ、あの人達みたいに。ていうか、最初からそれが目的?」
「は……正直に申しますと、そ、その可能性はゼロではないと、お伝えせねばなりません。ですが……ですが、寝首をかくために接近しているわけではないと、それだけは確かな事実であります」
口が勝手に動いているかのようだった。
まるで魔力に当てられているようで、心の中身がそのまま外に飛び出していく。
背中が湿り気を帯び、繋いだ手には、少し力が入った。
雫は、ふっ、と表情をやわらげた。
少女の笑顔を、街灯の間接光が照らしていた。
「じゃあさ、約束してくれない?」
「約束、ですか」
雫の親指が、リンの手の平をなぞった。壊れ物のように触れられている。
こんな扱われ方は、知らない。
「うん、約束。もしものことがあったら――」
頬に、瞳に、唇に意識が集まった。
リンは雫から、目が離せなかった。
「雫ちゃんを裏切るよりも、組織の方を裏切るって」
胸と頭に圧迫感が生まれて、声が出せなかった。
忍びの掟や師父の言いつけよりも優先されるものなど、あるはずが……あるはずが。
「ふふ、やっぱり困るんだね。じゃあせめてわたしを殺すことになったら、命令じゃなくて、自分の意志で殺してね」
「そ、そのようなことは、某には……」
「これ、約束の証」
雫が目を閉じた。やや前かがみになり、口をこちらに寄せてきた。
そっと近づいてきて、唇がリンの頬に触れた。
「んっ」
背中が跳ね上がった。かちこちに固まって、顔は正体不明の熱に襲われる。
熱は、頬の内側までも溶かしてしまいそうだった。
脳がとろけるような感覚に襲われて、目が回る。なんだこれは、なんだ、雫殿は、なんだ。
某に、なにをした。
リンから離れていって、雫はにたぁと笑った。
「ま、返事は今度でいいよ。でも、雫ちゃんのキスは安くないってことだけは、覚えておいてね」
吃音のように、何度も声が出た。
「は、は、っは、承知、いた、いたしました」
雫は、なぜか、腕を組んできた。
抱き寄せられて、くっついて。
リンがめまいに対処していると、雫は敵の方を向いた。
「わたしを殺していいのはリンちゃんだけだって決定しました、もちろん拉致するのもね」
敵もどこか唖然としたように口を開けていた。
「ノー、それは、予想外です」
「ね、リンちゃん」
雫はリンにウインクをした。
激しくまばたきをして、息を整えて、忍びとして――リンは平静を取り戻した。
この契約、全てを即座に決定するわけにはいかぬ、いかぬが、なんとも魅力的だ。
乗ってみたく、思う。
雫に抱きつかれたまま、リンは敵を睨みつけた。
「某は命に代えてもこの方をお守りする。続けるというのなら――死ぬ気でくるがよい」
左腕に絡んだ雫の腕をぐっと引き寄せる。右手に短刀・黒き翼を構える。
身体が澄んでいる。明鏡止水、心にわだかまりはない。奴は強敵だが、まるで負ける気がしない。
数秒の睨み合いの後、敵は深く息を吐いた。
「はぁ、これじゃ完全に悪者です。仲間のお命も助けなくちゃいけませんから、今日はこのあたりで撤退させてもらいます」
「賢明だな」
隣で雫が「べーっ」と舌を出した。
「本格的に嫌われちゃいました、ブランシュと一緒に反省会です」
そう言って、敵は背を向けた。金色の後ろ髪を煌めかせながら、仲間の元へと撤退していった。
「また会いましょう、近い内に」
などと、言い残して。
敵の姿が消えてしばらくしてから、リンはようやく肩の力を抜いた。重い息を吐き出してしまいたかったが、雫の手前それは控えた。
夜空から目を切って、密着する雫に顔を向けた。
「敵は去りました、さ、もうお離れになっても――ん」
雫は、熱心にリンを見つめていた。
他のなにも気にしていなさそうで、その瞳はまっすぐにこちらを向いている。
まばたきが少ない。口元は引き締まっている。腕には力が入っていて、離れていこうとしない。
「どうか、されましたか? もしや新手を発見なされた、とか」
雫は首を左右に振った。
「わたし、リンちゃんになら本当に殺されてもいいよ」
「また雫殿は人の悪い御冗談を。なにゆえそのようなことを、申されますか」
「だって、あんなにわたしのために真剣になってくる人、他にいないんだもん」
「そういう話では……ないのでは」
「いーの」
雫は腕に頭を寄せてきた。
「んふふ、リンちゃん大好き」
つぶやきが聞こえてしまって、胸やら腹やらふくらはぎやらが、弾けて飛んでいってしまいそうになった。
寄り添っていると、ひゅっと夜風が通り過ぎていった。
その冷たさに、半裸の雫殿は寒くないのだろうか、と、ようやくリンは思い出した。
ここまで読んでいただきありがとうございます。面白いと思っていただけたら、評価やブックマークで応援していただけると励みになります。
第一章はここで一区切りですが、リンと雫の危険でハチャメチャで、愛の重い関係はこの先さらに加速していきます。
このままなろう版でも順次更新していきますので、二章以降もお付き合いいただけたら嬉しいです。
もし「続きが気になる」「少し先までまとめて読みたい」と思っていただけたら、カクヨム先行版もあります。
https://kakuyomu.jp/works/822139840779745257




