第7話 声帯は、窮地に女子の声を出す
「あれは……」
新手は雫宅の屋根に立ち、リンを待ち構えていた。
月を背にしてきらめく金色の長髪。真紅のカチューシャ。肩や太ももの露出した西洋甲冑。とても刺客とは思えない、またしても珍妙な女。
素肌を狙い、リンは両手に棒手裏剣を構えた。
その敵――青い目をした騎士が、いたずらな少女のように声を張り上げた。
「新顔の隠密さん、まさかブランシュを退けるとは、驚きました」
ブランシュ、さっきの女のことか。ならば十中八九こいつも魔法を操る者。先手を打つ。
リンは切っ先に魔力を乗せ、棒手裏剣を投げつけた。
鋭利な棒は闇夜に紛れ、一直線に敵へと向かっていく。わずか百メートルの距離。ものの一秒で達する。首と肩、致命傷は免れない。
しかし、到達するその直前に、敵はにやりと口元を歪めた。
「おう、手裏剣。実用的な形状をしていますね」
敵は手元にエメラルドのごとき緑色の片手剣を出現させ、間髪入れずにそれを振り上げた。
鉄の弾ける硬い音が二度響き、手裏剣は跡形もなく消滅した。
「む」
敵より二軒前の屋根に着地したリンは、一段と集中を深めた。視界が狭まり、周囲が黒く見える。
黒き翼を右手に構え、音よりも早く敵に迫った。
ろくに鎧のない風船のようなバスト、剥き出しの首、口角の上がった顔。
上体を見据え、一瞬のうちに間合いを詰める。膝を抜き、低い姿勢から刃を振り上げる。
「やらせてもらう」
「キュートなお顔でも、口は物騒ですね」
振り上げた右手に、抵抗があった。
刃は首に達することなく、敵の片手剣とぶつかりあった。ぎぃっと音を鳴らして、鍔迫り合いになる。
「ちぃ……」
身体のバネを利用して押し込もうとするが、均衡は崩れない。刀身から黒の瘴気が溢れ、敵方の発する緑の粒子と混ざり合った。
引くか、押し切るか、思考を巡らせていると、敵が口を開いた。
「あなたは、なんのために雫さんを守りますか」
「っ……貴様に伝える道理があるか」
なんのためかなど、知れたこと。課せられた任務は命に代えてもこなすだけ、理由も背景も末端の知るところではない。
「ワタシたち仲良くできると思いますよ、マイ・フレンド、シノビさん」
「ふざけたことをっ」
リンは後退を選んだ。あえて刃を引き、一歩後ろに下がる。瞬時に敵の側面へと回り込む。握りしめるように黒き翼を両手で持って、頭上に構える。
刃を下に向け、肩口を狙って――振り下ろすと、攻撃は空を切った。
敵は身体をずらして、リンの攻撃を回避していた。
「あはっ、ちょっとは癇に障ってくれたみたいですね」
「しまっ」
体勢は崩れたまま。防御、腰より上に魔力を固める。
受けきれるか、あの剣を。
思わずツバを飲み込んだ。スローになった視界は、エメラルドの剣を捉えた。
その片手剣は地面を向いて静止していた。攻撃が来ない、思ったその瞬間に、足に衝撃を感じた。
「えい」
足を払われた。片足立ちになり、身体が傾いていき、踏ん張りきれない。前のめりになって、地面が迫った。
「なっ……」
胸から、屋根に倒れた。
「きゃっ」
喉から、おかしな声が漏れた。
胸が潰れて、妙な圧迫感がある。屋根に這いつくばる形になる。鎧を纏った敵の足が見える。腹の底から熱が広がって、全身がほてった。
じんと痛みが身体を支配して、力が抜けた。顔の筋肉が震えて、ひくひくとしている。
なんだこれは、この程度なんのことはない、はず。立て直さなければ、殺される。
「うぅ……はっ」
殺気。咄嗟に身を捩る。肩を軸に半回転して、うつ伏せから仰向けへと変わった。
「足は想定外でしたか? ラブリー、食べちゃいたいくらいですね」
攻撃を予感していたが、やってくることはなかった。元いた場所にも、剣は突き刺さっていなかった。
「おのれ……」
黒き翼を振り上げながら、飛び上がった。膝を抱え空中で一回転、敵の間合いから外れた地点に着地する。
まだ、身体が熱い。息が荒くなっていて、じんとした痛みが残っている。
不覚、無意識の衝撃にこうまでも脆いのか、この身体は。
「なぜ殺さなかったっ」
リンが叫ぶと、敵はまた小さな笑顔を作った。
「ワタシたちは、人殺しを目的になんてしませんから。それに」
敵は、リンから目を切って上空を見上げた。それを目で追うと、ブランシュと呼ばれたあの宙づりの魔法少女がいた。
「大事なお友達を、丁重に扱ってくれたみたいですから、ね」
「暗殺者がぬけぬけと、よく言えたものだっ」
「雫さんが死ぬとわかっていれば、こんなやり方はしませんよ」
敵の横顔から笑みが消えた。目を細めて、空中のその一点を見つめていた。
「だからと言って――」
「リンちゃん!」
突然、背後から声が聞こえてきた。
振り向くと、焼け焦げたパジャマ姿の雫が、どこかに足をかけて屋根によじ登ってきていた。
歯を剥き出しにして、敵を睨み付けながら。




