第81話 お願いします、某を女にしてください
手短に服を脱いで、雫と一緒に浴室に入った。
橙色の光に照らされた空間に、二人っきりでいる。桃の葉湯からは湯気と、芳しい匂いが漂っていた。
風呂椅子に座って、股を閉じた。肩も丸まった。水滴のついた鏡には、そんな自分が映っていた。
裸で縮こまるリンの後ろでは、シャワーを手にした雫が膝立ちになっていた。
「やっぱりきれいなお肌」
「ん……」
水気のある指先が、肩甲骨のあたりをなぞった。皮膚が震えて、力が抜けそうになった。
「武闘派なのに、傷一つないんだね。顔もそうだし、前もそうだよね」
「し、忍びはやられる前にやるのが基本ですので、近接戦闘は発生しないのです……あまり……」
嘘だ。背中を斬られたこともある。肩に銃撃を受けたこともある。顔だって無傷なわけではなかった。
本当のことを言うべきなのだろうか、言えるのだろうか、いつかは。
自分には、なぜそんな過去があるのだろうか。単に肌のきれいな少女でいられないのは、なぜだろうか。
こればかりは、いくら雫でも伝えられない。
「そっかぁ、リンちゃん強いもんね。いっつもありがとっ」
「し……ぁぅ……」
後ろから、抱きつかれた。丸いものがふたつ、直接ぶつかった。
背筋が反り返った。前に回ってきた腕が、こちらの双子山をつぶした。
「前も柔らかぁい。身長の割には結構あるよね、うらやま」
「ぅ……ん……そ、そうですか……それよりも背中を流して、いただ、けると、嬉しいのです、が」
「なんで緊張してるの? 今更。自分から誘ったくせに」
「そ、そ、それはそうです、そうですとも。た、ただ、なんといいますか、肌のふれあいには未だに――ぬぅ」
舌を噛んで自分の口を閉ざさせた。鉄のような、血の味がした。
やめろ、言い訳はやめろ。覚悟を決めた、雫の彼女としてふさわしくなると決めた、喜ばせると決めた。過剰反応は卒業しろ、古いままでいるな。
いるな。
「雫ッ!」
「は、はいっ」
顔を上げた。振り向こうとして、やめて、鏡に映る雫を見た。
視線が重なった。鏡に顔を近づけた。
「お願いします、某を女にしてください」
鼻息で鏡が曇った。
密着する肌が、つるっと滑った。雫の言葉が、詰まっていた。
「え、いま、やるの?」
「い、今といいますか、継続的に」
「継続的に!?」
荒っぽい息が、首筋に吹きかかった。胸に触れていた雫の手が、なぜか腹の方まで落ちてきた。
「いいの? ほんとに? ほんとだよね?」
「は、はい。一人の力ではどうにも難しいので……助力していただければと……他ならぬ雫にしか出来ない頼みです」
「そこまで言うのなら……んっ……」
うなじに頭が近づいてきたのがわかった。さらに前のめりになって、雫はべったりと密着してきていた。前にある両手が滑る。腹よりもさらに下に、動いていく。
ぴちゃんっと、湯の溜まった桶に水滴が落ちた。
そういえば。
「そうだ、勘違いしていました。申し訳ありません、雫だけではありませんでした」
「え」
へその下に潜り込んでいた指が、ピタッと止まった。
「春にも助力を頼んでいたのです。今朝のあの催しも、発案者は自分ですが相談には乗ってもらいました」
「……ちょっと待って、今何の話してた?」
棘が生えたような、そんな声だった。
「はい。つまりですね、少女らしくあれるように、雫にも手伝ってもらいたい、と。武人のように振る舞うのは今後は控えようかと……も、もちろん任務に支障が出ない範囲に限定してではありますけれど」
「あ、そっか」
背中の重みが増した。ぐらっと揺れたかと思うと、雫は力を失ったようにのしかかってきた。
雫の顎は、肩に乗っかっていた。
「大丈夫……ですか? やはり体調が悪いのでは――」
「ううん、違うよ。雫ちゃんはピュアなリンちゃんに感動してるの」
「はあ……?」
ふんっと、雫は荒々しく鼻息を出した。すると今度は、しめ縄のように、思い切り力を入れて抱きついてきた。腕は押さえつけられ、腹には指が沈んでいた。
「代わりにめちゃくちゃに洗ってあげるから、覚悟しなよぉ」
「へ、しず、雫、ぁ、ちょ、お待ち、あ、あ、そこは触らないで、きゃっ」
隅々まで、めちゃくちゃに洗われた。なぜかスポンジもアカスリも使わないで、雫は指に洗剤を絡ませて執拗に、ねばっこく身体をまさぐってきた。
が、合宿所での仕返しかもしれない――思考は途絶えて、されるがままになった。
シャワーを浴びる頃には洗い場の床に倒れていて、傍らには満足そうな雫が立っていた。
長い洗体が終わって、二人で風呂に浸かった。
雫が壁際に陣取って、リンは股の間に座らされた。湯船の中で、下半身が密着していた。
それこそぬいぐるみを抱えるように、雫はリンの脇腹に手を添えていた。
「さっきはびっくりしちゃった。リンちゃんがあんなこと……」
雫は咳払いをした。
「かわいくなりたいだなんて、自分から言うなんてね。前はそんなの全然気にしてなかったじゃん」
「……もしかしたらあのめいたんとかいうふざけた刺客のせいなのかもしれません。奴が自分と某を比較して悔しがっていて、その際に、己の価値を実感した……気がします」
無論、それだけではなく、女子会の空気感というものを如実に感じてしまったこともあるのだが。ただ、あの会談が原因なのは間違いない。
「元からあったけどね、価値。本当に変わりたいって思うの?」
「はい、これは本心です。雫のおかげで、変わることは悪ではないと、思えたので」
風呂の湯は、身体の形を教えてくれる。細い足、くびれ、出た胸、温度は以前とは異なる分布をしていた。入ったときの、かさの上がり具合も驚く。押された湯は、桶を出ていかない。
雫が湯から手を出して、ちゃぷんっと音がした。
「そうだね、悪いことじゃないとは思うけど」
しばし沈黙があってから、雫は繰り返した。
「思うけど」
そこからは言葉が続かなかった。黙り込んだ雫は、今度はリンの肩に両手を乗せていた。
「もう人前で恥はかかせません。必ず変わってみせます」
雫は、静かに頷いた。
「うん。リンちゃんがそうしたいって思うなら、応援してる。けど、恥だなんて思ったことは一度もないんだって、それだけは忘れないでほしいな」
天井を見上げた。水滴がいくつも付いた、汚れのない白い板。それを見つめていると、言葉に詰まった。
なぜかは、わからないが。
「はい、忘れませ――」
「大変大変っ」
バチンッと音がして、いきなり浴室の扉が開かれた。
「くせ者っ……む、春か、なんだ急に」
目を丸くして飛び込んできた春は、口を押さえた。
「あ、いやぁごめんごめん、一人かと思った。イチャイチャ中に申し訳ないです、これはまた」
姿勢を低くして、春は軽く頭を下げた。そしてすぐにまた顔を上げて、声を張り上げた。
「えと、で、でね、師父様からの連絡があったの、そしたらすぐに伝えろって」
「むっ、敵か?」
春は頭を振った。
「違う。言うね――里に戻ってこい、だって」
「な」
体内の熱が、汗になって顔を流れていった。




