第80話 日が落ちれば、もっと親密になりたいとも思う
目当てのものを手に入れたあとは、食事を摂って街を散策した。
ぬいぐるみを抱えて、ぶらぶらと商店街などを見て回った。
「似合うよね、ぬいぐるみ。かわいいのしゅき?」
「き、嫌いではありませんが、これは袋が地面に擦れてしまいかねないからこうしているだけで、今現在に関して申せば、好きだから抱いているのとは一線を画する状態でありまして――」
「はいはい。だいしゅきなんでしゅねー」
「し、雫、なぜ幼児言葉なのですか」
「金属探知機使ってくれないからだぞー」
よくわからないことを言う雫は、終始にこにこしていた。
ソフトクリームを食べて、洋服屋などを見て、途中ナンパされて、二秒で返り討ちにして、時間は過ぎていった。
帰路についてマンションに到着する頃には、もう日も落ちかけだった。
「楽しかったね。あぁーでももう終わりかぁ、明日も学校だるぅ」
「学生の本分ですから、辛抱してください。それにもうすぐ夏休みではありませんか」
夏休みまではあと一週間ほど。休み期間中も、どうせ顔を合わせることにはなろうが。
雫は手を叩いた。
「あそっかぁ、そうだそうだ、忘れてなかったけど忘れてたぁ。ね、夏休みはどこか行こうよ、花火とかお祭りとか、また海とか」
「はい、そうしましょう。また合宿所を訪ねてもいいかもしれません、演習場の紹介がまだ終わっていませんし」
「ちゃんと温泉入ってないし、それもいいかも。もう襲撃されないのならだけど」
「その件は、深く反省しております。今後来訪時には警備を十倍に増強しますので、どうかご安心を」
「ま、リンちゃんが守ってくれるから、いいけどねー」
雫は腕に抱きついてきた。
外廊下を歩きながら、空を見た。夕日は建物の影に隠れていて、赤い空だけがあった。
今日は、もうすぐ終わる。この一日で進展はあったのだろうか、なかったのだろうか。会話に限れば、いつもとなにも変わらないかもしれない。
悪いものではないが。朝の出来事からすれば、いくらか穏やかだ。
こじ開けられた痕跡がないか確かめてから、部屋のドアを開けた。エアコンに冷やされた空気が吹いてきて、まとわりつく湿気と汗がさっと引いていった。
「ふわぁあ、疲れたー、暑かったー」
サンダルを放り出して、雫は廊下に上がった。手にしたスーパーの袋をわさわさと揺らして、居間へと向かっていった。
夕暮れが薄っすらと差し込む室内。細い一本道に、赤と黒が混ざり合っていた。
遠ざかる背中を、靴置き場から見つめる。靴は、履いたまま。
遠くに救急車のサイレンが聞こえた。開けっ放しのドアの後ろを、住民が通過していった。
腕に力が入って、抱えたぬいぐるみが少しへこんだ。
「雫」
「んー、どうしたの?」
廊下の途中で足を止めて、雫は振り返った。
「某が、先行します。侵入者が扉に細工しているのかもしれないので」
「あ、そっか。じゃよろしく」
雫の表情が緩んだ。にしし、というような声を出して、嬉しそうにしていた。
足は動かなかった。細工などあるはずがない。春が監視しているし、異常があればこちらにも即座に通告される。無理に侵入すれば、部屋ごと粉微塵になっている。
「ぁ、いえ、申し訳ありません、それだけではなくて……」
雫は首をかしげた。
「まだなにかあるの?」
「それはその……」
下唇を薄く噛んだ。袋に入ったぬいぐるみを、両腕で抱きしめた。
今日はまだ終わらない。一日はもう少しだけ続く。
ならば、言うべきだ。望みがあるのなら、自分から。
言った。
「汗をたくさんかいたので、風呂などはどうでしょうか。実は、遠隔で湯を沸かしております。桃の葉なども用意しておりますので、疲れが癒えるうえ、肌荒れにも効きます」
「へぇ、じゃもらっちゃおうかな。先、いいの?」
顔を伏せた。袋の持ち手が、ぴらっと鼻を撫でた。
強めの鼻息が出て、腕の表面にかかった。
「順番というよりは……あの……」
ざわざわと胸の奥が蠢いている。ぬいぐるみ越しでも、心音が伝わってくる。
「一緒に入りませんか……? 背中などを流してもらいたいです……恋人らしく……」
沈黙があった。かぁかぁと遠くでカラスが鳴いた。
顔を僅かに上げる。雫は唇をややすぼめて、目を見開いていた。
「マジ?」
「真剣……です……ぅ……」
まじまじ見つめられて、頭が発火した。
贈り物のぬいぐるみに顔を埋めて「うぅ……」と情けない声を漏らした。
撤回はしない、しないぞ、命に代えても。




