第74話 裸エプロンで出迎えた
粉微塵に弾けてしまいそうなくらいに心臓が暴れている。なぜか足の裏が敏感になって、床の感触がこそばゆい。
雫はもうマンションに入ったと春から連絡があった。今頃、エレベーターを上ってきているに違いない。この先になにが待つかなど、想像もせずに。
太ももの内側、足の付け根辺りが汗ばんでいる。直接エアコンの風が当たる尻が冷たい。
裸にエプロン、ただそれだけの格好。背中も脇も丸出しで、正面以外から見れば、もう脱いでいるのと変わらない。
橙色の明かりに照らされる廊下を見る。本当にこれでいいのだろうか、雫は喜んでくれるのだろうか。馬鹿みたいだと思われないか、引かれたりしないか、やはり服を着たほうがいいのではないか。
だが、しかし、欲しいはずだ、恋人なら、きっと。
ピンポーンとチャイムが鳴った。走ってモニターに向かうと、途中で躓きそうになった。
体勢を立て直して、モニターに顔を寄せた。雫がいた。
応答ボタンを押した。
「リンちゃーん、わたしきたよー。家まで来てくれないなんて珍しいね、なんかあった?」
「いえ、特別なことはなにも。ただいま鍵を開けます、お待ちください」
「うん。……なんか顔赤くない? また風邪?」
首を横に振って、玄関に走った。素足がフローリングを踏みつけて、どたどたと賑やかな音が響いた。
玄関にたどり着いた。電子ロックを、解除した。隙間から顔を出して「どうぞ」と言った。
靴置き場から下がって、廊下に戻った。両手を後ろに回して、雫が入ってくるのを待った。
目を開けていられない。顔や下腹部に妙な感触があって、身体が落ち着かない。しかし、しかし笑顔を作る、ちゃんと出迎える。
彼女として。
音もなく、扉は開いた。いつも通りの自然さで、雫は入ってきた。
「おじゃましまーす。ドアも開けてくれないんだ、なんか今日サービスあんまり」
雫の声が中途半端なところで途絶えた。細胞の動きが止まってしまったように、表情も固まった。舌が少し見える程度口を開けて、こっちを見ていた。
支えを失った扉が閉まって、ぼふっとそんな音がした。
「あの……雫……その……」
口を開くと、荒い息が出る。う、う、と子供みたいな声をこの喉は漏らしている。
太ももと太ももが擦れ合う。ほんの一秒でも雫を直視していられない。
「リ、リンちゃん、それ」
「ひと、人に言われてやったわけではありません、自分で考えて、雫に少しでも喜んでいた、いただければと……」
恥ずかしい。こんなことがあるのか、こんな日が自分の人生にあるのか。
言わないと、ちゃんと言わないと、決めていたことを言わないと。
熱い吐息と一緒に、言葉をひねりだした。
「そ、その……食事にしますか、それともそれがし……私にしますか?」
「ぬふっ」
ノックバックするように、雫は頭をのけぞらせた。後頭部がドアに直撃していたが、まるで気にしている様子はなく、固まった表情のまま視線を維持していた。
「ぁ……だ、大丈夫でしょうか」
「だいじょぶ、続けて」
雫の目が充血していた。鼻からは透明な液体が垂れて……いるように見えた。
「ええと……あの、どうでしょうか、この格好はかわいいでしょうか」
「ちょっと背中側見せて」
「……へ?」
ハッとしたように雫は言い直した。
「ごめん、やっぱ後でいいや。触らせてね」
「は、はい……それで、この後はどのように……ぅ、実は食事の用意はまだなのですが……」
くすぐったさが拡散して、もう立っているのも辛い。膝が震える、肉が痙攣しそうになっている。こんなところでいつまでも見られていると、変になる。
雫は左右に首を振った。
「リンちゃんもらうから。ご飯は明日とかでいい」
こちらを見つめる雫の顔に笑顔はない。一切崩れない、淀みもない。まるで果たし合いの最中のように。
「とりあえず布団行こっか」
雫は廊下にあがった。背中側に手が回ってきて、尻の割れ目付近を触れられた。
「ひゃっ……」
さすられるだけで、跳ねそうになった。指が這うと、なにかが飛びそうになる。頭が、脳が、胸が、あ、あ、だめだ、だめだ、壊れるな、壊れる、壊れてしまう。
「し、雫ぅ」
「んぅ、なぁに?」
見つめられていると、ますます頭がぽーっとする。食べられてしまうんじゃないかと思う。
食べたい、食べられたい、求めて、求められて……早すぎる、まだ朝だ。
「き、着替えてきますっ、冗談が過ぎました!」
雫の腕から抜け出して、背を向けた。居間に向かって走った。二の腕やら、胸やら、尻やら脂肪がたぷたぷ揺れる感触があった。
ドアノブに飛びつくと、後ろから雫の声が聞こえた。
「かわいいお背中ぁ、紐、すっごくえっちだ」
ようやく、笑い声が混じっていた。
喜んでくれた、くれたはずだ、きっと。
力が抜けて、目の淵が涙で濡れた。




