第73話 この身を雫に捧げたい
めいたん事変から一週間と数日、雫の街はすっかり日常を取り戻していた。相変わらずそこかしこに刺客は潜んでいるが、目立った襲撃もなく見かけの平穏は保たれている。
そうやってなにもない日々は過ぎ、休日が目前に迫っていた。
明日は雫がこちらに来る、泊まりがけで。ゆえにゴミはおろかチリのひとつでさえも残せない。
窓を拭き、床を掃いて、掃除機をかけて、家具の配置を調整して、今は、スマホのインカメラを自分に向けていた。
「ううむ……前髪はもう少し短いほうがいいのだろうか」
毛先を指でつまむ。軽く弄ってから離すと、毛がまぶたを叩いた。背景の壁掛け時計は、いつの間にか針が半周していた。
顎を斜めにしたり、横から撮ってみたり、流し目を作ってみたり、色々試した。自分はまつげが結構長い、くるりとしていて可憐だ。
リンは自分の頬を触った。
「やはりくりぃむなどは塗るべきなのだろうか。スキンケアくらいしなければ、また雫たちに笑われてしまう……しかし本当に必要なのか、十分に質がいい」
指を四本押し当てて、ぐりぐりといじくった。どらやき、いや、大福みたいなものだ。硬さがない。内側が歯に当たるまで、抵抗なく沈んでいく。ヒゲなど生えるわけもなく、手触りもいい。こんなものを持っていたのか、この身体は。
「……雫が夢中になるわけだ」
頬を沈ませたまま、またシャッターを切った。モニターに映し出される自画像。ややツリ目ながらも、丸い頬と顎には愛嬌がある。小顔だし、肌は本当にきめ細かい。
「もう少し色目を使ってみようか、こう細めて……」
唇に指を当ててパシャパシャと写真を撮った。今まで気づかなかったが、瞳はまるで西洋人のように青い。それでいて大和撫子然とした顔立ちと調和が取れている。
写真を見ていると、とろぉっと頭からなにかが染み出してくる。撮影モードに戻ったスマホの画面には、頬を緩めた自分が映っている。目が離せない。ある四文字が頭に浮かんでくる。
かわいい。
外見だけなら非の打ち所がない、外見だけなら。
「……宝の持ち腐れだな」
画面に映る顔が、むくれた。それでも愛嬌がある。
問題は中身だけだ、やはり。心身一致が必要だ、雫のためにも。
ため息が出た。視線を落とすと、二つの山で出っ張ったエプロンが見えた。それに覆われているのは白いTシャツ。下には短パン。ソックスも無地で、かわいげがない。
服を見繕ってこようか、いや、この姿のままもう少し見栄えが良くなるように工夫してみようか。
襟に手を突っ込んだ。少し引っ張って、反対の手でスマホを構えた。
「確か雑誌のモデルはこのように――」
「さっきからなにしてるの?」
振り向くと、居間の入口に春が立っていた。腰に手を当てて、こちらを凝視していた。
襟から手を離して、完全に向き直った。
「明日の準備をしていた。魅力的な姿で出迎えるのも、礼儀ではないかと」
「ふうん……それでエロい自撮りしてたんだ。身体にはなにも思わない、キリッ、とか言ってなかったっけ」
「そ、それは……」
膝が閉じて、内股気味になった。
鼻で深めに息を吸った。胸と顔がごわごわ熱を持ち始める。が、しかし、しかし逃げてはならん。これは必要なことなのだ。妹であろうが誰であろうが、以前とはもう、違う。
「思っていたよりも、自分は魅力的なのではないかと再確認した。だから、磨きたい、雫のためにも。それで、お前にもひとつ頼みがある、いいか?」
勝手に顔が伏せ気味になる。目だけを上げて、春を見た。
「別にいいけど。お洋服? デートプラン? 髪? お化粧?」
「おお、そうだそうだ、話が早い。雫を喜ばせたい、なにかしてあげられることはないかと思ってな、考えるのを手伝ってくれ」
目を背けて、春はつぶやいた。
「そのままで十分だと思うけどなあ」
「なに?」
「ううん、なんでもなーい。じゃあじゃあまずはどうしよっか、なにが一番気になってる?」
「う、うむ。まずは中身からどうにかしなければと思っているのだが……」
髪をねじって、耳にかけた。春は薄く目を閉じてこちらを見ていた。
「それはすぐには無理でしょ、明日できることを考えないと。うーん、あんまいじれるほど髪長くないしなあ、小物か化粧か。やってみたいってのある?」
思考を巡らせる。言ってみたのはいいものの、なにがあるか。化粧や服は雫に学びたい気もする。そちらのほうが喜んでくれるのではないかと思う。
与えるもの、授けられるものがいい。見て喜んでくれるもの、それがなにか。
「ピンとこないので、困っている。やはり魅力を売りたい、だが、それがなにかと言われると、難しい。姉を、お姉ちゃんを助けてくれ」
「お姉ちゃん、ね。えー、パパっとメイクしてもいいけどなー、でもなんかそういうんじゃなさげだね」
春は腕を組んで、親指で顎先を弄りだした。
「雫さんが喜びそうな服か、それともプレゼント? 花束でも用意しておく? でもあの人もっと愛が重いのが好きそうだよねえ、いきなりチューしちゃえば?」
「うむ……それも考えたのだが」
春は顔を逸らして、ぼそっとつぶやいた。
「考えたんだ」
うー、うーと二人で頭をひねった。意見を色々と出し合った。
クラッカーだとか、ケーキだとか、部屋の装飾だとか、そのようなものも含めて思案した。だがどれもしっくりこなかった。やはりあの方が喜ぶのは自分なのではないか、と思った。
結局、おめかししよう、という春の意見で落ち着きかけたときに、ふと視線が落ちた。膨らむ胸とエプロンがあった。
そういえば、聞いたことがある。エプロンを使った趣向がひとつ。
雫が喜んでくれそうなもの。
顔を上げて、言った。
「裸エプロンというものは、どうだろうか」
0.2秒ほどで反応して、春はこちらを指さした。
「あ、それ超見たい」
リンは短く頷いた。




