第60話 リセットなんて兄姉さまが望んでない【side 春】
雫さんの手を取って、全力で走った。アスファルトを蹴る、住宅地を駆ける。
背後に目に見えない圧力がある。うなじがぴりぴりする、髪の毛が逆立つような感覚がある。
敵の戦力は不明。目的は不明。剛糸を使って道を塞ぐか、それとも煙幕を張って目をくらますか、少量だけど爆薬も……どうする、どうにかしないと、あの子はきっと普通の刺客なんかじゃない。
斜め後ろで、雫さんが言った。
「あの子、リンちゃん達と同じ雰囲気がする。いつもの人たちと違う」
「そんなの承知、わかってます。今考えてます、だから、とにかく走って、はし……伏せてっ」
雫さんに飛びかかった。抱きしめながら、地面を転がった。
「きゃっ」
岩に杭を打ち付けたような、衝撃音がした。一秒前に立っていた場所になにかがぶつかって、光が弾けた。
「うぅ……」
突風に殴られたような衝撃が、背中を襲った。痛み、なんて無視して、雫さんを見た。
「大丈夫ですかっ」
「う、うん、わたしは平気」
腕の中で、雫さんが顔を上げた。服は汚れてるけど、傷は見当たらなかった。
ため息を吐きそうになって、飲み込んだ。
雫さんを背にして、身体を起こした。
砕けたアスファルトがあって、その向こうに、全身ピンク色の服に身を包んだ子供が立っていた。先端に星のついた杖を構えて、ニッコリと笑っていた。
「よかったぁ、いまので死んじゃったかと思った。ごめんなさい、ちょっと強めにやりすぎちゃった」
魔法少女は、ぺろっと舌を出した。
敵との距離は15メートルくらい。あの杖が武器。魔法、どんなんだった、わかんない、そんな余裕ないし、くそっ。次はいつくる、殺すつもりはない? それとも挑発? ダメ、油断しちゃいけない、切り抜けないといけない。敵の慈悲なんて期待するな。
「雫さんっ、立って!」
背中側に隠していた煙玉を、敵に投げつけた。ちゅどんっと弾けて、白煙が立ち込めた。
雫さんの手を取る。走り出す。数メートル先の路地に、逃げ込む。
「このまま行って大通りに出よう。敵だってあんまり派手なことはできないはず」
道幅は同じくらい。やっぱり人通りはない。スマホは、回復してる。もう妨害は必要なくなったってことなの。
息が切れる。額に汗が滲んでくる。前を見る。あの角を曲がれば通りに出る、そこで兄姉さまに――コトンっと背後からヒールのような足音がした。
「ね、ね、後ろ来てる、あの子っ」
振り向くと、路地の入口で魔法少女が手を振っていた。お見送りでもするような、そんな調子で。
「どうして逃げるんですかー。うちの魔法少女をやったっていうから、期待してたのにぃ」
うちの、うちのってどれだ。兄姉さま沢山倒してるから、あれか、あの合宿所の……今はそんなこと後回し。
もう一度煙玉を――魔法少女が地面を蹴った。
残像を残して、視界から姿が消えた。差し込んでくる日差しと建物の影だけが残っていて、そこにいたはずの人がいなくなった。
首を振る。どこっ、どこにいった。消えた、違う、素早いだけ、ならどこに、どこにっ。
電柱、民家の塀、屋根、いない。
隣で、雫さんが叫んだ。
「前っ!」
「はっ」
正面に向き直ると、敵がいた。電柱の間隔すらも離れていない、目の前。杖を持つ方の手首を曲げて、アニメの主人公みたいなくねくねとしたポーズを取っていた。
「まじかるラブラブめいたん只今参上。わるーいお姉さんたちはやっつけちゃうぞ☆」
きゃはっ、と魔法少女――めいたんは笑った。
首筋から、腰から、ふとももから、冷や汗が垂れていった。あの子、遊んでるつもりなの、それともなんらかの意図があって、あんな振る舞いを、わからない、なにあれ。
めいたんは唇を尖らせて、上半身を突き出すような姿勢になった。
「ねーぇ、やろうよぉ、早く本気出してぇ。そんなよわよわじゃないってめいたん知ってるもん」
腕を伸ばして、雫さんを下がらせた。
「そう。だったら」
頭を低くする。腰に手を回して、指に剛糸を引っ掛ける。間髪入れず、それを左右の電柱に向かって投擲した。
「お望み通りにっ」
指先を操る。二重、三重に張り巡らせる。日陰になっていた路地に、キラッといくつも光沢が現れた。
「わぁ、細いのがいっぱいだぁ。すっごーい、それがお姉さんの魔法?」
ふにゃふにゃした息を、喉の奥に押し込める。カッチリ歯を合わせて、笑顔も浮かべてみた。
「そ、触れたらズタボロ、せっかくのお洋服が台無しになっちゃうよ」
めいたんは胸を抑えるような仕草をした。
「いやん、清純な魔法少女はそういうのやってないですぅ。きたなぁい」
「じゃあ、帰ったら? 今なら見逃してあげる」
腕が震える。呼吸も、同じくらい震えてる。頭がキーンとする。はぁ、はぁ、と自分の息がうるさい。
めいたんは指折り数えるような動きをした。
「そうなんだぁ、淫らな糸かぁ、すごぉい。でも、それがなにか?」
ひゅうっと風を切るような音がした。めいたんが、軽く杖を振ったのだとわかった。
指に絡めていた剛糸の半分から、抵抗がなくなった。人差し指と、中指から、圧力が消えた。
交差する腕が、また震えていた。見えなかった、なにも見えなかった。なにをしたのか、わからなかった。
唇が乾いていく。端っこだけが、唾で濡れている。どうする、いや、どうするもこうするもない、全部切られたらおしまいだ。
ごめんなさい、街の人達。
「わ、なにかするつもりだね、えへへ」
残りの糸を保持したまま、制服のポケットに手を突っ込んだ。小型の爆薬、残っていた全てを電柱の根本へと投げつけた。
丸い球が連鎖的に弾ける。コンクリートにヒビを入れる程度の、小さな爆発。きっとあいつには効かない、けど、これなら。
「だぁああ」
電柱に絡めた糸を思いっきり引っ張った。腕が、筋肉が張り裂けそうになった。指がちぎれそう、取れそう、けど、これなら、なんとか。
高いところにかかっている糸を重点的に引っ張る。根本のヒビが広がる。砕ける。折れる。
ふらっと揺れて、電柱は斜めを向いた。他と結びついた電線がその身体を支えて、しかし、持ちこたえられずに倒れた。連鎖的に、ばたばた、ばたばたと。
「雫さんっ」
自由になった手を使って、雫さんを抱き寄せた。
地面が揺れる。バチ、バチッという音がそこらじゅうから聞こえてくる。大量に埃が舞って、電柱は路地を埋め尽くした。
めいたんが立っていた場所も完全に潰れていた。
「う、うまくいった……かな……」
荒い呼吸を整える。吸っても、吐いても、酸欠みたいで頭がくらくらした。
そうしていると、敵の方を見ていた雫さんが、こっちに向き直った。目と眉間に、力が入っているのがわかった。笑顔なんてなく、すごく真面目な顔をしていた。
雫さんは言った。
「今のうちに、逃げて」
「う、うん、逃げるのは逃げるけど、これだけやったんだし――」
雫さんは左右に首を振った。
「あの子、遊んでる。全然、これくらいじゃ全然、応えてない」
「え」
笑いの混じる声が、響き渡った。
「あはぁ、これくらいなんだぁ。魔法っていうより、物理だよぉ、これじゃあさっ」
破裂音がして、瓦礫が吹き飛んだ。破片のひとつが、足元に突き刺さった。
「おかえし、どーぞ」
杖が掲げられていた。先端に光が灯る。空間がねじれて見える、台風の天気図みたいに、瓦礫や空気やなにかいろんなものが一箇所に集まっていく。
雫さんは、突き飛ばすように、腕から抜け出した。
「わたしは大丈夫だから、なにがあっても平気だから。取り返しのつかないものとは、違うから」
雫さんは、一歩前に出た。盾になるみたいに、両腕を広げた。
二本の足で立つ背中。芯があって、一切ブレなくて、でもだめで、そんなのだめで。違って。
「ちがう、違うよ雫さん、それだめ、そんなのだめ、絶対に駄目っ」
低音が響くみたいに、心臓が鳴ってる。ずん、ずーんと響いてる。
雫さんは、振り向いてもくれない。
「いいの。知ってるでしょ、わたしが死んでも、元に戻るから。全部無かったことになっちゃうから、気にしないで」
「気にするっ、そんなの、そんなのっ」
叫びが、喉から飛び出した。ダメだ駄目だ駄目だって言葉が、ずっと頭の中にある。
だってそれは、それはそれは。
「姉さまが、兄姉さまが望んでないっ、だから春はそんなの認められないっ!」
ぴくっと、雫さんの肩が上がった。
「約束したんだ、守るって、やり通してみせるって……だからぁっ」
雫さんに飛びかかった。背中から、思いっきり抱きしめる。
「はるちゃ……きゃっ」
覆いかぶさるように、地面に倒れた。雫さんの頭を押さえる。腕の中に隠す。敵を、あの光を見る。
「よーし、いっくよー☆」
喉が震える。胸が震える。がたがたがたがた、身体が全身が震えている。あれは、あの攻撃は、あの力は、無理絶対に無理。死んじゃう、死んじゃうけど、雫さんだけでも。
目を瞑る。口に力が入る。歯が震えてる。どこも震えてる。涙が滲む。嵐が吹き荒れる。熱が前髪を焦がす。
もうダメ、だめ、無理、無理だけど……無理だけど。
「雫さんだけは守るから……後は……」
その先が口から出ようとしたそのとき――すっと鼻を利かせるような、そんな音が聞こえた。
雫さんが、つぶやいた。
「……匂いがする」
ほとんど同時に、頭上から声がした。
「そこまでだ、悪党」
かわいらしい声、聞き覚えのある、声。
「二人への手出し、断じて許さん」
顔を上げると、民家の屋根にその人が立っていた。黒尽くめの装束、たなびく襟巻き、小柄な身体、やさしくて、つよい、誰よりもつよい瞳。
「姉さま……兄姉さま……」
涙が止まらなくて、身体の力が全部抜けた。




