第59話 刺客がいないことが、雫さんにとっては異常らしい【side 春】
「姉さまってさあ、堅物のくせに抜けてるっていうか天然でかわいすぎるところが、やばいですよね、マジヤバイ」
「ね、ね、ねー、リンちゃんはやっぱりピュアなのが――」
学校までの道すがら、突然雫さんが足を止めた。
「あれ?」
雫さんを追い越してしまい、一歩二歩と下がった。
「っとっと、どしたんですか?」
雫さんは左右を見回して、後ろまで見て、最後に空に目をやった。そうしてから顎に手のひらを当てた。
「えっとね、なんか……いつもと違くない?」
「いつも?」
「うん、人が少ないっていうか、今朝はちょっと静かじゃない? いま、急に思ったの、なんかおかしいなぁって」
雫さんと同じように、周囲を確かめた。道路と歩道の区別がない住宅地。公園があって、空き地もあって、あとは一軒家が建ち並んでる。
前方のちょっといったところに赤いランドセルの女の子がひとり。後ろには中学生の集団が……いたけど角を曲がっていった。
男子中学生の賑やかな声が遠ざかっていく。残るのはジージーと鳴く蝉の声だけ。車もいなければ、飛行機も飛んでいない、野良猫の姿も見えない。
鼻を利かせても、変な匂いはしない。アスファルトが焦げるってほど、暑くもない。空気はカラッとして、風が吹くと冷たさすら感じられる。
「そう、ですか。春には……私にはちょっとわかりませんけど」
人は少ないといえば少ないけど、特異なほどじゃない。大通りに出るまでは、このくらいでも不自然じゃないはず。
「見て、来ましょうか? どこが気になるとかあります?」
雫さんは首を振った。
「あ、ううん、なんとなくってだけで、そこまでじゃないの。けど」
微妙な笑顔になって、雫さんは喉を鳴らした。考え事をするように数秒間待ってから、また口が開いた。
「ほらぁ、いつもね殺気みたいな、悪い人の気配は最低でもひとつかふたつあるじゃない? 今日はどうしたんだろう、お休みしてるのかな?」
春は目を細めた。とんでもないことを言う人だ。殺気、少ないのかな、よくわからない。
うぅ修行不足……だけど、それが本当なら兄姉さまに報告するべきだろうか。
「悪い人たち、リンちゃんみたいに夏風邪かなぁ?」
「だったらいいんですけど、でも、雫さんの勘なら無視できないかも。とりあえず姉さまに伝えておきますね」
「うん。どうしようね、飛んできちゃったら」
「あはは、それ超ありえる」
小さく息を吐いた。
チュンチュンと今度は小鳥が鳴いていた。羽音がして、どこかに飛び去っていった。
春は耳に手を当てた。
「姉さま、聞こえてる? 今ね、雫さんが――あれ」
ザーッとインカムにノイズが走った。電波が乱れてる? おかしいな、専用回線なのに。
何度か声をかけても、やっぱり返事はなかった。
「なんだろ……ちょっと待ってくださいね」
耳から離して、手を丸めた。胸が詰まるような感じがした。
バッグに仕舞っていた通信端末を確かめた。緑のインジケータ―が点灯してる。正常、機器の故障じゃない。
「おっかしいなあ、仕方ないスマホを使うしかないか」
安全じゃないんだよなあ、傍受されたらめんどくさい……けど、背に腹はってやつだもんね。
スマートフォンを取り出して画面を――圏外と表示されていた。
「え」
心臓の音が大きくなった。きゅうっとお腹の筋肉が締まった。これ、やばいかも。
「雫さん、ちょっと移動しよ、人の多いところに――」
「ねえ、あれ」
雫さんは、道路の先をじっと見つめていた。
確かめると、赤いランドセルの女の子がいた。さっきまで背を向けていたのに、今は、こっちを向いている。
女の子は、行進みたいに足を上げて歩いてくる。その手にはプラスチックのおもちゃみたいな、ピンク色の杖が握られていた。
顔は伏せ気味で、口が半月みたいに笑っていた。
「ぐっもーにんぐ、おねえさんがた」
パチっ、パチっ、と静電気が弾けるような音がした。ゆっくりと近づいてくる少女の背後が、蜃気楼のように歪んだ。
肩にかかる髪の毛が、ふわりと浮き上がる。少女は、杖を斜め前に突き出した。
「変身」
小さな口がつぶやくと同時に、暴風が吹き荒れた。空気が渦を巻いて、少女を取り囲んだ。
風で目が乾く。破裂するような光があって、クラっとくる。魔法少女、実物、敵、こんなところで、てか。
「……やば」
雫さんの手を掴んだ。懐に隠していたクナイを少女に投げつけて、そのまま振り返った。
「ついてきてっ!」
少女に背を向けて、駆け出した。意識を向けても、攻撃の当たる音は聞き取れなかった。




