第5話 眠れないから敵を倒せと、あの方は言う
ガラスの散乱する部屋に、リンは飛び込んだ。照明の消えた、6畳間。
窓からの直線上に、雫の眠るベッドはあった。
布団が破けて、羽毛が飛び散っていた。仰向けになった右手が、ベッドから飛び出していた。
だらんと垂れ落ちて、力を感じない。
「雫……どの」
その場で立ち尽くす――暇はない。
まだ救命の可能性はある、追撃は防がなければならない。
丹田を引き締め、呼吸を整える。
ふと背後に圧力を感じた。背中に魔力を固め、雫を覆うように両腕を上げた。
次の瞬間、背筋が砕けるような衝撃に襲われる。カッと部屋が明るくなる。
「ぐぅ……」
跳ねる背中を抑える。歯を食いしばる。雫を見据え、飛びつく。
布団ごと抱え込んで、ベッドから転がり落ちる。簀巻きのような布団にのしかかったまま、窓に目を――「ふぎゃ」
胸元から、声が聞こえた。くぐもっているが、それは雫のものだった。
「雫殿! ご無事でしたか」
声を上げたその瞬間、光弾が頭上を通過していった。部屋中が瞬き、壁が粉砕された。
火事にでもあったようにぼろぼろになった布団を剥がすと、雫の顔が現れた。
「ふぇ……リン……ちゃん?」
雫は半開きの目で、リンを見た。呼吸は正常、肌の色も良い、唇がいくらか乾燥しているが、それくらいだ。
口を結び、出そうになった深い息を堪える。ゆっくりと吐き出しながら、リンは言った。
「よかった……」
「あー……やっぱり殺しに来たの?」
「こんなときになにをおっしゃるのです。某は雫殿の護衛に参りました。不覚を取りましたが……ご無事でなによりです」
「あぁ」
雫は布団から這い出てくる。無警戒に身体を起こそうとしたので、リンはその頭を抑えた。
「身を低く、敵に狙われております」
「痛い、痛いって、もぅ、平気なのに、仕方ないなあ」
四つん這いの姿勢で、雫は部屋の隅へと移動した。
射線からは、ここならば死角になっている。リンは先回りして、窓側を背にして雫の隣にしゃがんだ。
雫の姿を直視して、一瞬、息が詰まった。
パジャマの至る所が焼け焦げ、素肌が露出していた。胸に大きな穴があり、下着が消え、乳房の一部が見えている。腕や下半身も同様、布の面積よりも肌の比率のほうが高い。
胸の奥が、爛れたようにかすかな痛みを訴えた。なぜ、この方は平気な顔をしている。敵の攻撃が奇跡的に逸れた、そんなはずがない。布団に衣服、これではまるで。
雫は言った。
「ねえリンちゃん」
「は……は、いかがなされましたか」
口に手を当てて、雫はあくびをした。
「寝ていい? 明日も学校なんだけど」
自分の口から締まりがなくなって、二度三度と上下に揺れた。言葉が喉の中腹で止まった。股を割って座る雫は、目元を擦っている。
唾を飲み込んだ。
「あなたは状況を理解しておられるのでしょうか。敵の襲撃を受けています、今すぐ安全な場所にお連れいたします、ですから、私の指示に従ってください」
「やだよ、眠いもん、だるい。ほっといていいよ、どうせいつものことだし」
「いつも……しかし、身の安全を確保しないことには、某はここを離れるわけには行きませぬ」
「見たらわかるでしょ、雫ちゃんはなにされたって平気なの。そのうち諦めて帰るから、リンちゃんも帰っていいよ」
「帰れませぬっ」
見つめると、雫は閉じかけの目をぱっと開いた。
雫は、何度か瞬きをした。気の抜けた顔が、徐々に真顔になっていった。
「別に、頭が吹き飛んでも、心臓が破けちゃってもわたしは死なないよ」
「そのようなことは、無関係です」
「関係、あるよ。わたしはそうだから、リンちゃんとは違うの」
「違いませぬ。わたしはあなたをお守りする使命があります、ですから、ご自身もお身体を労ってください。お願いします」
リンは頭を下げた。素早く息を吸うような、そんな音が聞こえた。
「っ……じゃあさ、リンちゃんはわたしになにをしてくれるの。安全なところに匿われるなんて、やだ。ほかに、ほかにあるじゃん、そっちがいい」
リンは顔を上げた。
「と、申されますと」
「もう、なんでそうなの。わかるじゃん、ほら、安心して眠れるようにしてほしい。使命なんでしょ?」
また雫を見つめる。この方はなにを求めている、某になにを求めている。忍びとして、してやれることはなんだ。このような姿にさせてしまった失態、どうすれば挽回できる。
「お望みがあるのなら、申してください、なんなりと」
雫の目が、斜め下を向いた。
「悪い人を倒して、それ以外いらない」
街灯の薄明かりに照らされる雫の顔。少し膨れた頬はつややかながらも、まつげの長い目元は垂れている。シワの寄る眉間、すぼむ口元。しなびた柿すらも思わせる。
似合わぬ、こんな顔は。
目を閉じて、リンは首肯した。
「御意」
立ち上がり、窓を見た。ここから動かぬように雫に伝え、リンは飛び出していった。




