第56話 妹と恋人は、同じような圧をかけてくる
ダイニングテーブルの前に座らされていた。右を見れば、春がいる。
「雫さんが姉さまの彼女だってことは知ってます。お付き合いすることに異論なんてありません。ですけど、身の回りのお世話は春の仕事なので、そんなに張り切ってもらわなくても平気です」
左を見れば、雫がいる。エプロンを付けて、ニコニコしている。
「お姉さんが大事だってその気持ちはよーく、よーくわかるけど、わたしも負けないくらいリンちゃんのことが大事なの。それにね、逆に家族じゃわからないところの気配りとか、あると思うの」
春がテーブルに手をついた。ふたつの器と、ふたつのれんげが、がちゃりと音を立てた。右のたまご粥と、左の七草粥の表面がぷるぷると震えていた。
「あのですね、何度も言いますけど、ここがどこかわかってるんですか? 本来なら高度に訓練された人員しか立ち入りが許されない重要拠点なんです、ここでは大人しくするのが筋じゃありませんか」
「うん、知ってるよぉ。知ってるけど、お世話するのには関係ないよね」
吹き抜けからキッチンが見える。余った野菜や、卵の殻が散乱している。なにか液体のようなものも天板に飛び散っている。コンロには土鍋が2つあり、どちらも湯気が立ち込めている。
菜箸くらい片付けたらどうなのか。それを指摘すればどうなるのか。
いつ、食事は取れるのか。
胸になにかが詰まっている。ごわごわして胃の調子がよくない。
右側で、春がまた何かを言っている。左側で、雫はそれを受け流している。雫さんは強引すぎて常識がないだとか、そのようなことを。
それは、そうかもしれない。かもしれないが。
「春、春、いいか」
「ですから、早くお家に――ん、どしたの姉さま」
ゆっくりと、春の方を向いた。こちらも、制服の上からエプロンを垂らしていた。
「うむ、お前の職業倫理は大したものだと、某も思う。確かに雫が出入りするのは褒められた状況ではないかもしれぬ。しかし、以前師父様からもご許可を頂いておるゆえ、問題がないとは言わぬが、そうカリカリすることもなかろう」
「はぁ、なに言ってんの。雫さん部外者だよ、外の人だよ、里とは無関係の人だよ、必要以上に巻き込んじゃ、よくないでしょ」
「その考えは理解しよう、尊重もしよう。だが、こと雫に限っては――」
左側から、声を被せられた。
「巻き込まれるって決めたから。だからここにいるんだよ。春ちゃんにも、わかってほしいな」
雫は、笑顔を崩さない。腹の前で両手を重ねて、ぴんと背筋を伸ばしていた。
春は、顎を引いて雫を見ていた。やや腰を低くして、まるで任務の最中のように気を張っている。
なにがそんなに気に食わないのか。女心はよくわからない。
気に障るようなことを言っただろうか。これまでは雫に敵意など見せていなかったのに。なにかあったのか。状況の変化がそうさせているのだろうか。
あるいは、こちらの落ち度。
恋人である前に姉であることを忘れていたか。
春に向き直った。
「話なら、後でしよう。今は食事にしないか、せっかくの美味そうな粥が冷めてしまう」
顔を上げて、春はリンを見た。
「でも姉さま」
リンは指で、頬をかいた。
「頼む。口にするのは些か恥ずかしいものだが、いつかこの三人で食事がしたいと思っていた。なんだ、あぁ……好きあう者同士……いや、親しい間柄で、たまには、と、な」
口を閉じると、震える息が鼻から飛び出していった。喉の奥がかぶれたように痛んで、咳が出そうになった。
またなんとも、なんだこの口は。おかしいのはどちらだ。
腕をだらんと垂らして、春はこちらを見つめていた。目が見開いていて、顔に力がなさそうだった。
「食事だ、食事だ、食すぞ。この手間のかかった粥は、なんとも美味そうではないか。なあ雫、春、某のために腕をふるってくれたのであろう、ならば、冷ましては実はもったいない」
椅子から、背中が浮いた。食卓を吟味する。七草であろう緑、光を反射する米。とろとろのたまご、やはり米。器には一切汚れがない、どちらも。丁重に作ってくれたのがよくわかる。
ぐぅと腹が鳴った。口の中に涎が溜まった。湯気の熱気、胃を刺激しない素朴な匂い。乾いた鼻と喉が潤っていく。
「ど、どうした、一人で食べてしまうぞ。二人とも、席についたらどうだ」
二人を交互に見比べる。けれど、どちらも立ったまま動こうとしなかった。
視線がこちらに集まっていた。右から左から、矢印のような棘が刺さっていた。
「ぁ」と声を出したのは、雫だった。真横にやってきて、れんげを手に取った。
「忘れてたぁ、毒見しないといけないよね」
雫はれんげを自分の作った七草粥に入れた。それから春に手招きをした。
「春ちゃんもやろうよ。リンちゃんってば毒見が趣味なんだよ、知ってた?」
「いや……趣味ではなく任務のひとつなのですが……」
「リンちゃんは黙ってて」
口を結んだ。雫は、たまに理不尽だ。
きゅっとフローリングが鳴いた。今度は春が、真横にやってきた。テーブルに置かれたれんげを見つめて、言った。
「春は護衛対象じゃないんだけど……趣味なら仕方ないか」
つぶやいた春は、れんげを手にとってたまご粥を掬った。
「はい、あーん、あーん」
右肩に、春の左肩が触れた。猫の手のような右手が、れんげをリンの口元へと運んだ。
「あ、あーん……いやなぜお前まで、ぶっ」
湯気の立つたまご粥を、口内へと突っ込まれた。上顎に触れる、舌に落ちる。
「ごちゃごちゃ言わない」
水っぽい塊が触れて、しかし、口の中がヒリヒリと痛みを訴えた。
しまった、まひゃ熱い。
「あっ、ずるーい、わたしもわたしもぉ」
左肩も圧迫される。雫も密着してきて、二人に挟まれた。
ぬるっと新手のれんげが口元にやってきて、無理やりねじ込まれた。
「ぬんうっ……しず……あひ……み、みじゅ……」
咀嚼できないまま、次の塊がまた運ばれてくる。どんどん、どんどん、口内に放り込まれた。
「美味しい? ねえ美味しいの? ちゃんと教えてよ、姉さま」
「んふふ、美味しいでしょ。たぁっぷり愛情込めたんだ」
口、口の中が灼熱の田んぼのようになった。顎を落とし、口をすぼめて、ひーふーひーふーと息を吐きながら、答えた。
「お、おいひいれふ、とっても、おいしいですぅ……」
喉に詰まる。息ができない。舌の感覚がない。
混じり合って、味がわからない。
「はふ……はふっ……はう……」
目の前にいる二人の少女は、熱心にこちらを見つめていた。
食後も、世話を焼かれた。身体を拭かれて、トイレの介助をされて、歯を磨かれた。妹と恋人に、何度も両腕を引っ張られた。
「わたし」が、「春」が、そんな言葉ばかりが耳に残っていた。下着を着せるのはわたし、パジャマを着せるのはこっち、その役割分担になんの意味があるのかと思う。
就寝にあたって、布団には三人で入ることになった。なぜか雫は家に帰らなかった。風邪を引いてるのに一緒に寝るのはマズイだろうと言っても「わたし不死身だから」と平気で言っておられた。
春も春で、目を逸らしながら「たまにはいいよね」などと言って、雫に同調していた。
わからない、余計にわからない。
いつの間にか二人は言い争いをやめているし、なにが起きているのか理解が追いつかない。
結果、布団を二枚並べて敷いて、真ん中にリンが、左右に雫と春が陣取る格好になった。
腕を枕にされて、重い、痺れてくる、寝付けない。
時間だけが過ぎて、そして深夜。
暗い天井を眺めてつぶやいた。
「……なんだったのだ」
喉がぜぇと鳴いた。
重たいまぶたを閉じると、右の脇腹辺りから声が聞こえてきた。
「姉さま……ちょっといい?」
目を向けると、春が顔を上げていた。揺れる前髪が、パジャマをこすった。
「なんだ、起きていたのか」
「うん……でね、お話しがあるんだけど、いい?」
「……ああ」
春に促され、雫を起こさないように布団を抜け出した。




